04.7カ月目
リディアが巨木に来てから、7カ月目の朝。
彼女は湧き水で顔を洗っていた。
「ずいぶんと水が冷たくなってきたわ。もうすぐ秋ね」
その後、いつものように畑に行って野菜を収穫すると、スープを作って焼いてあったパンと一緒に食べ始めた。
「ん~、美味しい」
パンは、最近作り始めた。
本棚の中にあった料理本に、作り方が書いてあったのを見つけたのだ。
やってみたところ、思いの外上手くいき、色々な種類を作るようになった。
他にも果物を煮てジャムを作ったり、ワインを仕込んだりしている。
どれも美味しくできて大満足ではあるのだが、自活能力ばかり向上して、少し気が滅入る。
「……そろそろ冬だし、本気でここを抜け出すことを考えないと」
7か月経っても迎えに来ないということは、きっと向こうで何かあったに違いない。
「まさか、わたしを庇ったばっかりに、2人が罰せられている、なんてことはないわよね……」
そんなことを心配しながら、台所でジャムを作っていた――、そのとき。
コツッ コツッ
巨木に何かを打ち付けるような音が聞こえてきた。
「あら、今日は早いのね」
リディアは、いそいそと用意していた籠を持って、階段の下に向かった。
穴に向かって声を掛ける。
「おはよう、レオハルト」
「おはよう、リディア」
可愛らしい子どもの声が返ってくる。
穴から覗くと、そこには3カ月前に助けた黒髪の少年レオハルトが立っていた。
以前よりも頬がふっくらとしており、普通の服を着ている。
ここで助けて以来、彼は頻繁にリディアのところに来るようになっていた。
どうやら訳ありのようで、家や生活についてあまり話したがらないので、なるべく聞かないようにしている。
リディアはしゃがみ込むと、リスに頼んでパンを穴の外に持って行ってもらった。
「どうぞ、新作のイチジク入りよ」
「ありがとう。いただきます」
レオハルトが嬉しそうにお礼を言う。
リディアは覗き穴から外をうかがった。
美味しそうに食べるレオハルトの顔を見て、幸せな気持ちになる。
その後、彼女はレオハルトにせがまれて、本を読んだ。
巨木の中にはたくさんの本があり、その中には子ども向けの童話も多くあった。
その中からリディアが今日選んだのは、世界を旅する冒険者の本だ。
「じゃあ、読むわね」
「うん」
ゆっくりしたリディアの声に、レオハルトが巨木の幹に寄りかかりながらそっと耳をかたむける。
そして、本を読み終わると、リディアが楽しそうに言った。
「冒険者って素敵ね。旅をしたり謎を解いたり、わくわくするわ」
「リディアは冒険者になりたいの?」
レオハルトの質問に、リディアはくすくす笑った。
「わたしはのんびりしているから無理だと思うわ。なるなら薬屋さんかしら」
「この前の本に出てきた、森の薬屋さん?」
「ふふ、いいわね。理想だわ」
そんな会話をしながら、いつも通り、おやつを一緒に食べながら、ゆったりとした時間を過ごす。
そして、周囲に夕方の気配が漂い始めたころ、リディアが優しく言った。
「もう暗くなるからお帰りなさい」
「……うん」
レオハルトが渋々といった風に立ち上がる。
そして、おみやげのパンとジャムを「ありがとう」と受け取ると、手を振りながら帰っていった。
少年の後姿が見えなくなるまで見送りながら、リディアはため息をついた。
にぎやかに過ごしたせいか、急に寂しさが襲ってくる。
「……あの2人は一体いつ来るつもりなのかしら」
そんなことをつぶやく。
*
それからも、リディアは変わらぬ日々を過ごした。
食事を作って動物たちと仲良く食べ、数日に1回現れるレオハルトと楽しい時間を過ごす。
話をしていて、レオハルトは文字を書くのが苦手だということが分かった。
読む方はちゃんと習ったのだが、書く方は勉強を中断してしまったらしい。
「じゃあ、わたしが教えてあげるわ」
それから、リディアとレオハルトは手紙の交換をするようになった。
レオハルトが一生懸命書いた手紙を、リディアが添削して返事を書く。
どんどん上達するレオハルトに、リディアは密かに舌を巻いた。
この子はずいぶんと頭の良い子どもらしい。
――そして、リディアが巨木に来て8カ月が過ぎたころ。
夕方になって帰ろうとしたレオハルトが、ふと尋ねた。
「ところで、どうしてリディアはずっと木の中にいるの?」
どうして出てこないの? と問われ、リディアは苦笑した。
「実はね、出られないの」
「そうなの? ドアはないの?」
「ええ、ないのよ。壁を壊そうと思ってがんばってみたんだけど、わたしの魔法じゃ歯が立たなくて」
レオハルトが首をかしげた。
「どうしてそんなところに入っちゃったの?」
「……少しの間隠れるだけのつもりだったの。すぐに迎えにくるって言われていたのだけど、全然来なくて」
「そうなんだ。……リディアは1人で寂しくないの?」
彼女は心配させまいと明るい声を出した。
「大丈夫よ。動物たちがいるもの」
「……そう」
レオハルトが、表情を隠すようにうつむいた。
おみやげのパンとジャムを「ありがとう」と受け取ると、考え込むような表情で戻っていく。
その後姿を見送りながら、リディアはため息をついた。
外に出たい、と心から思う。
「いつまでもここにいる訳にはいかないもの。冬が来る前になんとかしないと」
雪が降れば、森を出ることが難しくなる。
今のうちに何とか外に出たい。
――そして、何か方法はないかと考えていた、ある晩秋の午後。
コツッ コツッ
壁に何かを打ち付けるような音が聞こえてきた。
リディアは顔を上げた。
「あら、この前来たばかりなのに、もう来たのね」
いつものように食べ物の詰まったバスケットを持って、いそいそと穴の傍に行くと、そこにはいつになく立派な服を着た少年が立っていた。
「あら、どうしたの? 今日はかっこいいわね」
少年が、改まったように口を開いた。
「リディア、今日はお別れを言いに来たんだ」
「……え?」
リディアは目を見開いた。
「どうしたの?」
「王都にある本家に帰ることになったんだ」
そうなのね、とリディアは目を逸らしながらつぶやいた。
寂しさが襲ってくる。
その気配を察したのか、少年が苦しそうな顔をした。
穴のそばにひざまずくと、真剣な目で言った。
「僕、強くなって、ここからリディアを出してあげるから、それまで待ってて」
リディアの目が潤んだ。
彼は自分がここから出たがっていたことに気が付いていたのだろう。
「……ちょっとそこにいてね」
リディアはそう言うと、研究机から回復薬の瓶を持ってきた。
穴の外にパンやジャムと一緒に差し出した。
「これ、あなたが怪我をしたらと思って作っておいたの。持っていって。それと、パンはあなたの好きなレーズンパンよ」
「ありがとう、リディア」
男の子は涙をぬぐうと、それらを大切そうに肩に掛けていた革鞄の中に入れた。
そして、穴の中に手を入れた。
リディアの目の前に小さな手が出て来る。
「最後に、握手して」
「ええ、もちろんよ」
リディアはその手を両手でそっと握った。
柔らかく温かい手に、泣きそうになる。
そして、レオハルトが名残惜しそうに何度も振り返りながら立ち去った後、彼女はため息をついた。
彼の気持ちはとても嬉しかったが、彼はまだ小さな子どもだ。
きっと自分のことなどすぐに忘れてしまうだろう。
(それは仕方のないことだわ)
そう思いながら、今までもらった手紙をそっと机の引き出しにしまう。
その後、彼女は何とか巨木を抜け出す努力をし始めた。
魔法で上に上がろうとしたり、蔦のロープを作ってみたりする。
しかし、すぐに雪が降り始め、脱出計画は頓挫してしまった。
本日も3話ほど投稿しようと思います