06.決断と知らせ
「ここに黒装束の男が倒れていたのですね」
「ええ、確かにここよ」
レオハルトが帰って来てから、約10分後。
リディアは彼に抱えられながら、塀の外、男が倒れていた場所の近くに来ていた。
レオハルトが、地面にひざまずいて目を凝らす。
「一応形跡は消していったようですが、若干残っています。ずいぶんと慌てていたようですね」
リディアはしゃがみ込んで地面を見つめた。
強い電撃を浴びたせいか、足跡に魔力が残っている。
彼女は杖を構えると、自分の魔力を広げた。
足跡がぼうっと浮かび上がる。
レオハルトが目を見開いた。
「これは?」
「魔力を浮かび上がらせたの」
「なるほど。これは便利ですね」
その後、2人は警戒しながら、ぼんやりと光る足跡をたどって森の中に入った。
小川のそばのぬかるみで立ち止まった跡があり、その後はまっすぐ森の外まで続いている。
「小川で水を飲んで一目散に逃げた、というところでしょう。形跡からして他に仲間がいた訳ではなさそうですね」
「そうね……」
「もう大丈夫ですよ、私もいますから」
頭をなでられながらそう言われ、リディアは安堵した。
不安でいっぱいだった心が落ち着きを取り戻していく。
その様子を見て、レオハルトが申し訳なさそうに言った。
「申し訳ありません。もっと早く帰ってくるべきでした。あの飲んだくれ(グレタ)に付き合いさえしなければ」
「え? 飲んだ……?」
「いえ、こちらの話です」
その後、2人は家に戻った。
門をしっかりと閉め、家の中に入ると、レオハルトがうず高く積まれたパンケーキを見て、目をぱちくりさせた。
ちょうどお腹が空いていたと言って、ほとんど食べてくれる。
そして、2人はソファに隣り合って座ってお茶を飲み始めた。
リディアは隣のレオハルトをそっと伺った。
(なんか、妙に落ち着いている気がするわ)
レオハルトは、年下とは思えないほどいつも落ち着いている。
しかし、今回は少し落ち着きすぎな気がする。
(まるで、こうなることを知っていたかのようだわ)
そんなことを考えていると、レオハルトがお茶をローテーブルの上に置いた。
リディアの方を向くと、真面目な顔をする。
「リディア、これから話すことを落ち着いて聞いてください」
「ええ。なに?」
「あまり良い話ではありませんが、必要な話です」
何だろうと思いつつも、リディアがこくりとうなずくと、レオハルトが静かに話し始めた。
「私はディーン帝国の片田舎に住むエルドの師匠に会ってきました」
「エルドさんのお師匠様って、魔法の?」
「ええ、実はその方はエルフの女性なのです」
その後、レオハルトは言葉を選びながら淡々と話を続けた。
リディアが閉じ込められていた巨木は“静寂の巨木”と言われ、1000年前まで生贄が閉じ込められていた場所であること。
妹のヴェロニカは、地脈を活性化させるためにリディアを閉じ込め、その成果を自分のものにしていたこと。
リディアが巨木から出たことにより、地脈が元に戻り、気候や食物の育ち方が10年前に戻ったこと。
リディアは黙って話を聞いた。
まるで自分ではなく他人の話を聞いているような気がする。
(……でも、理解できることは多いわ)
巨木にいた頃は、巨木の魔力と自分の魔力が混ざり合い、お互いに影響を与え合っている感覚は常にあった気がする。
そして、レオハルトの話が終わると、リディアは息を吐いた。
心を落ち着かせるように胸に片手を当てると、レオハルトの心配そうな顔を見た。
「ありがとう、レオハルト。調べてくれて。色々と理解できたわ」
「……大丈夫ですか」
リディアはため息をついた。
「……まだよく分かっていない気もするけど、そこまでの驚きはない気もする。――もしかすると、心のどこかで薄々感じていたのかもしれない」
レオハルトが、やるせなさそうな表情で彼女の肩を抱き寄せる。
リディアはされるがままになりながら、彼の胸のあたりにコテンと頭を預けた。
現実感がまるでない、とても不思議な感覚だ。
その後、2人はこれからについて話し合った。
「恐らくむこうは、こっそりリディアを捕まえて巨木に戻したいのだと思います。公にすると、自分たちが禁忌を破ったことがバレますからね」
「そうね、暗部が出て来たということは、そういうことだと思うわ」
リディアがうなずく。
「ただ、むこうは、あなたがエルフである確信がまだないと思います」
「どうしてそう思うの?」
「1人で来たからです。確信があったら複数で来ると思います。現に、街で会った黒装束の男は、疑ってはいましたが確信していないようでした」
なるほど、とリディアはうなずいた。
以前、暗部が犯罪者を捕らえたときも、最初は1人で偵察して、確信が持てたら複数で捕まえに行っていた気がする。
「……ということは、バレないように暮らせばいいということね」
「そうなりますね。警戒が必要だとは思いますが」
分かったわ。と、リディアは覚悟を決めてうなずいた。
「じゃあ、わたし、魔法の杖を常に持ち歩くことにするわ」
「いい考えだと思います」
「あと、いざという時のために目潰しの薬も持ち歩くわ」
「……それは危ないからやめてください」
レオハルトが苦笑いする。
そんな彼を見て、リディアは不安になって尋ねた。
「……レオハルトはわたしと一緒にいてもいいの?」
自分の事情に巻き込んでしまうのは……と言おうとすると、レオハルトが自分の指をそっと彼女の唇に当てると、真剣な顔をした。
「それ以上はどうか言わないで下さい。あなたをあの巨木から助け出そうと決めた時から、如何なる困難にも立ち向かう覚悟ができています」
「レオハルト……」
リディアは、思わず彼にギュッと抱き着いた。
心の底から感謝すると同時に、ものすごくホッとする。
体の奥底から、徹夜でパンケーキを作りまくった疲れがどっと出て、一気に眠気が襲ってくる。
そして、レオハルトの、
「……リディア、伝えておきたいことがあります。私はずっとあなたのことが……、リディア? リディア……? まさかこのタイミングで寝……」
という声が遠くからするのを聞きながら、すっと意識を失った。
*
それから、2人は警戒しつつも以前と変わらぬ生活を送り続けた。
リディアは薬を調合して冒険者ギルドに卸し、レオハルトは冒険者として活動する。
少し変わったのは、リディアがオーダーメイドの薬の受注を受けるようになったことだ。
きっかけは、持病の悪化で動けなくなってしまった、エマの母親のために薬を作ったことだ。
ほとんど寝たきりだったエマの母親が、屋根に上って雨どいの修理をするまでに回復したのを見て、街の人々は驚愕した。
そして、この噂を聞きつけて病気で困った人々が助けを求めてくるようになった。
(落ち着いたらオーダーメイドの薬屋を開きたいわ)
こんな感じで、緊張感がありつつも、普段通りの生活を過ごす。
暗部はもう現れず、塀に電撃を浴びせられる者もいない。
(……もしかして、わたしはここにいないって思ったのかしら)
もしそうだったらいいな、と思いながら過ごしていた、ある日。
リディアとレオハルトが冒険者ギルドに行くと、どこかざわついた雰囲気が漂っていた。
(どうしたのかしら)
レオハルトがカウンターの奥に座っているミランダに声を掛けた。
「どうしたんですか? 落ち着かない雰囲気ですが」
「ええ、今朝ちょっと珍しいニュースが入ったの」
「ニュース?」
ええ。とミランダがうなずいた。
「エルフ国の国王が重病で、もう長くはないっていう情報よ」
「……っ!」
まさかの情報に、息を飲んで立ち尽くすリディア。
そんな彼女の肩に、守るように手を置きながら、レオハルトが冷静な顔で目を細めた。