02.静寂の巨木
謁見の間で行われた断罪から、約2か月後。
リディアは、木の壁と緑に囲まれた空間で、作業机に向かっていた。
慎重に試験管をかたむけて、2つの液剤を混ぜ合わせる。
そして、それを小指につけて舐めてみて、彼女はガバッと立ち上がると小躍りした。
「やったわ! 塩味スパイス、完成!」
試験管を光に透かして見て、「これで野菜の味変ができるわ!」と嬉しそうに目を細める。
そして、ふっと我に返り、誰もいない緑色の空間を見回すと、ハアッとため息をついた。
「……もう2カ月も経つけど、むこうは一体どうなっているのかしら」
*
約2カ月前、リディアが身を隠すために訪れたのは、国境沿いにある森だった。
滅多に見ないほど深い森で、強い魔力を帯びている。
一緒に来たヴェロニカとギルバードによると、この森の下に“魔力泉”があるらしい。
「ここは、国全体を流れる地脈(魔力の流れ)の源流なのです」
そして、深い森を進むこと、しばし。
3人は巨大な木の前に到着した。
幹がとんでもなく太くまっすぐで、てっぺんが見えないほど背が高い。
(驚いたわ、まるで世界樹みたい)
ポカンと木を見上げるリディアの前で、ギルバードが緑色の鍵を取り出した。
巨木の根元にそれを差すと、何もなかったところに扉が現われる。
扉を開けて中に入り、リディアは大きく目を見開いた。
「まあ! 素敵だわ!」
中は、吹き抜けになっており、明るく広々とした空間だった。
室内は緑に包まれており、温かみのある家具や本が並んでいる。
リディアは目を輝かせて部屋を見回した。
居心地が良さそうだし、本もいっぱいあって暇しなさそうだ。
ギルバードが中にある扉を開けると、そこは小さな畑と果樹園のようになっていた。
色々な実をつけた木がたくさん生えている。
「魔力泉の上だから、何でもよく育つ。食べ物には困ることはないよ」
リディアは、試しに林檎をもいでかじってみて、大きく目を見開いた
中にたっぷりと蜜が詰まっており、食べたことのないほど甘くておいしい。
端の方には小さな泉が湧いており、その水は飲んだことがないくらい美味しくてパワーに溢れている。
(なんだかすごい場所だわ)
1カ月くらい住んでも全く困らなさそうし、何ならちょっと楽しみなくらいだ。
その後、2人はリディアが持ってきた荷物を運び入れた。
製薬用の本や器具、毒が入っていたとされる父親の薬や、着替えや洗面用具などを運び込む。
そして、
「魔獣もいるし、誰かに見つかるかもしれない。外には出ないようにね」
「ええ、分かったわ」
そんな挨拶を交わすと、ヴェロニカとギルバードは「またすぐに来る」と言って帰って行く。
2人が帰ってあと、リディアはまず毒が入っているという国王の薬の分析を始めた。
微量の異物が含まれていることを突きとめる。
(これって、毒というよりは、神経を興奮させる作用のある成分ね)
国王の気が高ぶっているように見えたのは、これが原因かもしれないと思う。
もしかして眠りが浅くなっている可能性もある。
(でも、これは明らかに後から加えられたものだわ)
製薬の過程でこの成分を入れると、この薬を作ることはできない。
明らかに後から混ぜられたものだ。
(ヴェロニカたちが来たら、この話をしないとね)
彼女は分析結果をまとめると、ヴェロニカたちを待つことにした。
本を読んだり植物の世話をしながらのんびり暮らし始める。
「こんなにのんびりするのは久々だわ~」
王宮にいる頃、リディアはとても忙しかった。
第1王女としての業務に加え、畑にまく肥料や父親の病気の薬の調合などに追われていたからだ。
しばらくすると、どこから来たのか、小さな白いウサギや、尻尾がふさふさのリスたちがやってくるようになった。
彼らをなでたりエサをあげたりしながら、料理をしたり、本を読んだりする。
「お父様の体調、大丈夫かしら。早くちゃんと話をして誤解を解きたいわ」
そんな心配をしつつも、すぐに2人が迎えに来るだろうとのんびり過ごす。
――しかし、1週間経っても、2週間経っても、ヴェロニカたちは一向に現れない。
そして、とうとう1カ月経ち。
さすがにおかしいだろうと、リディアは行動に出ることにした。
(外に出よう)
2人の言うことを聞いて大人しく籠っていたが、さすがに外に出た方がいい。
彼女は動きやすい服に着替え、魔法の杖を持ってドアの前に立った。
ドアノブをつかみ、ゆっくりと回そうとして……
「あら?」
首をかしげた。
ドアノブが全く動かない。
「どうしたのかしら?」
その後、押したり引いたり叩いたり、魔法で電撃を浴びせてみたりしてみるが、ドアはビクともしない。
そして、試行錯誤を続けること1時間、彼女は息を切らして床に座り込んだ。
「ダメだわ、開かない」
ドアがダメなら、上から出られないかと見上げるものの、空は遥か上で、登ることも難しそうだ。
その後、彼女はどこか出口はないかと探し回った。
ありとあらゆる場所を探すが、見つからない。
そして、半日が経ち、彼女は悟った。
ドアが開かなければ、この場所から出られない、と。
「こうなったら……!」
彼女は、壁に向かって魔法の杖を構えた。
「ごめんなさい! 火球!」
巨木に謝りながら、魔法で火の玉を出して、思い切り壁に当てる。
しかし、一瞬、壁が焼け焦げるものの、みるみる修復して元通りとなってしまう。
色々な魔法を試してみるものの、リディアの魔法では火力不足で穴すら開かないし、ダメージが付いてもすぐに修復してしまう。
「困ったわ……」
リディアは座り込んだ。
上に登るという手がないこともないが、何せ上の方が霞んで見えない高さだ。
落ちたら一巻の終わりだろう。
「これは、2人が来るのを待つしかないということね……」
そう思って、リスやウサギと共にずっと待っているのだが、2カ月経っても一向に音沙汰がない、という次第だ。
*
リディアは木の蔓で編んだ籠を手に取ると、リスとウサギを呼んだ。
1階の扉を開けると、中には果物の木や小さな畑があり、全てが見たことがないほど実っている。
「さすがは魔力泉の上よね」
彼女は、畑からサラダ用のレタスなどを収穫して籠に入れた。
ウサギとリスと共に台所に向かう。
そして、サラダを作ると、先ほど作った塩味のスパイスが入った試験管を取り出した。
「じゃーん! これさえあれば完璧よ!」
そして、サラダをテーブルに運ぶと、ウサギとリスと一緒にサラダを食べ始めた。
スパイスをかけてサラダを食べて、リディアは片手を頬に当ててうっとりした。
「ん~! 味変最高!」
やっぱり変化って大切よね、と夢中で食べる。
そして、食事を終えて片付けながら、彼女は壁に貼っている紙を見上げた。
ここに来てから付け始めたもので、もう2カ月経っていることが分かる。
(ヴェロニカたちに何かあったのかしら……)
リディアがそんな心配をしていた――、そのとき。
「キュウキュウ!」
足元から小さな声が聞こえて来た。
下を見ると、小さなハリネズミがいる。
「あら、どうしたの?」
ハリネズミを拾い上げると、リスやウサギも足元でキュウキュウと何か訴え始める。
(どうしたのかしら)
リディアが「どうしたの」しゃがみ込むと、ウサギがリディアのスカートの裾を引っ張った。
来てくれと言うように、後ろを振り向きながら走り始める。
(何かあったのかしら)
ハリネズミを抱えながら動物たちと一緒に移動すると、階段の後ろに小さな穴が空いていることに気が付いた。
「あら、この子たち、ここから入ってきていたのね」
ウサギがしきりに何か言いたげに鼻をピクピクと動かす。
リディアは不思議に思って穴のそばにしゃがみ込んだ。
その穴の少し上に、外を覗けるくらいの小さな穴が開いているのを見つける。
「こんな穴、あったかしら」
そうつぶやきながら、外をのぞいて
「……っ!」
彼女は思わず目を見開いた。
そこには、見たこともないほどボロボロの服を着た、傷だらけの男の子が倒れていた。