03.ディーン帝国へ
生暖かい風が吹く薄曇りの早朝、
リディアが、作業机に向かって熱心に薬を作っていた。
水魔法を使って、魔力を思い切り込めた水玉を作りだし、そこに丁寧に処理した最高級の薬草を抽出する。
そして、それらを瓶に詰めて、しっかりと蓋をすると、傍に置いてあった箱型の魔道具にしまった。
エマとハンナと共に共同開発した魔道具で、この中に入れると、回復薬の品質を長期間保つことができる。
リディアはそれを持って台所に移動した。
作ってあったサンドイッチやキッシュ、パウンドケーキなどを丁寧に包み、水筒にお茶を淹れる。
そして、「できたわ」とつぶやいていると、外からレオハルトが帰ってきた。
旅の装いをしており、腰には剣を下げている。
彼はリディアを見ると、穏やかに微笑んだ。
「そろそろ出ます」
「ええ、分かったわ。これ、持って行って」
リディアが、回復薬が入っている魔道具と、食料と水筒の入ったカゴを渡す。
ちなみに、今日はレオハルトがディーン帝国に一時的に帰る日だ。
家の都合でちょっとだけ帰ることになったらしい。
数日前、この話を聞いたとき、リディアは心配した。
最近様子がおかしかったが、もしかして故郷で何かあったのだろうか。
そう尋ねると、レオハルトが首を横に振った。
「知り合いを尋ねるだけです」
「そうなの? 何かあったわけではないの?」
「ええ、ありません」
何かあった訳ではないと聞いて、リディアは胸を撫でおろした。
レオハルトは故郷にいい思い出がない風だったが、訪ねるような知り合いがいたことを嬉しく思う。
「分かったわ、行っていらっしゃい」
「ありがとうございます、3日ほどで戻ります」
そして、色々準備をして、今朝出発することになった、という次第だ。
レオハルトは、嬉しそうにお礼を言うと、食料の入った包みと回復薬入りの魔道具を革鞄に入れた。
家を出て、春の花が咲く庭を通り抜けて門に到着する。
門を出ると、そこには1頭の栗毛の馬が待っていた。
リディアはレオハルトと向かい合った。
「いってらっしゃい、楽しんできてね」
「いってきます。くれぐれも外には出ないで下さいね」
「ええ、分かったわ。レオハルトも気を付けて」
「ありがとうございます」
レオハルトが寂しそうに微笑む。
そして、躊躇いがちに手を伸ばすと、リディアの口元にそっと触れた。
「……キスしてもいいですか?」
「え?」
リディアは思わず目を見開いた。
驚きと恥ずかしさで頬が熱くなる。
(な、なにかしら、この感覚)
戸惑いながらレオハルトを見上げると、真剣な目で見返される。
リディアはたまらなくなって、思わず目を逸らした。
「ちょ、ちょっと考えさせて」
「どのくらい考えるんですか?」
「そ、そうね、帰ってくるまでには考えておくわ」
リディアがとっさに言った言葉に、レオハルトは思わずといった風に吹き出した。
「なるほど、では大急ぎで帰ってこなくてはなりませんね」
「そ、そんなに急がなくてもいいのよ、ゆっくりしてきて」
レオハルトは微笑むと、真っ赤なリディアのおでこにキスをした。
愛おしげに軽く抱きしめると、
「行ってきます」
と言って馬に飛び乗ると、名残惜しそうに去っていく。
「いってらっしゃい」
何とか気を取り直して、リディアがその後姿を見送る。
そして、彼女は、
「び、びっくりしたわ……」
と息を吐いた。
ものすごく恥ずかしいけど、嫌ではないし、むしろ嬉しい気もする。
こんな気持ちになったのは初めてだ。
「と、とりあえず中に入りましょう」
彼女は熱くなった頬を冷ますように、手でパタパタと風を送りながら、門の中へと入っていった。
*
一方のレオハルトは、馬を走らせながら空を見上げた。
上空は厚い雲に覆われており、今にも雨が降り出しそうだ。
ちなみに、彼が向かっているのはディーン帝国の片田舎だ。
目的は、そこに住んでいるという、エルドの師匠であるエルフに会うことだ。
黒装束の男との邂逅後、レオハルトは改めてエルフ国の現状について調べる必要があると感じた。
リディアに話すにせよ、あまりにも情報が不足し過ぎている。
しかし、閉鎖的なエルフ国の情報はほとんど外に出ない。
どうしようかと考えた時に、彼はふとエルドの師匠であるエルフを思い出した。
エルドによると、植物の研究者である彼女は、春と夏はディーン帝国、秋と冬はエルフ国に住んで研究を続けているらしい。
(彼女に聞きに行こう)
彼女が住んでいるのはセレニアとの国境沿いの辺境の村だ。
自分1人であれば、3日ほどで行って帰って来れる。
その間、リディアには、城並みの防御力を誇る家にいてもらえばいい。
そして、昔エルドに聞いた話から様々な準備をして、こうして向かっている、という次第だ。
*
馬を走らせながら、レオハルトは空を見上げた。
ふと、リディアのことを思い出し、別れたばかりなのに、もう会いたくなっている自分に、苦笑する。
出掛けに真っ赤になった彼女を思い出し、思わず口元が緩む。
そんなことを考える彼の頭に、ポツポツと雨が降って来た。
雨脚がどんどん強くなっていく。
(急ごう)
彼はフードを目深にかぶると、国境を目指して雨の森を駆け抜けていった。
今日はここまでです
お付き合いいただきありがとうございました(*'▽')