02.黒装束の男
澄んだ水色の空が広がる春らしい朝。
リディアは台所で忙しく料理をしていた。
作っているのは、苺のチーズケーキだ。
ボールにチーズや砂糖、卵などを混ぜ合わせ、ピューレ状にした苺を入れると、砕いたクッキーを敷き詰めた型に流し込む。
暖めていたオーブンに入れてしばらくすると、苺の良い香りが家の中に広がり始めた。
「……そろそろかしら」
わくわくしながらオーブンを開けると、苺のつぶつぶが入ったチーズケーキが焼き上がっていた。
焼けたチーズの香りに、思わずため息がこぼれる。
「これは間違いなく幸せの香りだわ」
リディアは、ホクホクしながら、オーブンからケーキを取りだした。
ふと時計を見上げ、「もうこんな時間」とつぶやく。
そして、家の外に出ると、外で塀のチェックをしているレオハルトに、
「そろそろ時間よ」
と声を掛けた。
その後、彼女は出掛ける準備を始めた。
チーズケーキを2つに切り、片方を棚に、もう片方を丁寧に包んで、調合した薬と共にバスケットに詰め込む。
そして、玄関で待つレオハルトに、
「お待たせ」
と微笑むと、帽子を被って外に出た。
森は一面若葉色で、あちこちから楽しげな鳥の鳴き声が聞こえてくる。
リディアは、楽しい気持ちになった。
レオハルトの腕につかまって歩きながら、
「今日もいい天気ね」
と、春の澄んだ空気を吸い込む。
レオハルトの方はというと、楽しそうではありつつも、どこか警戒の色を浮かべている。
どうしたのだろうと心配になるものの、話してくれるまで待とうと思う。
2人は春風に吹かれながら街に到着した。
若葉色の街路樹の間をゆっくりと歩く。
そして、もう少しで冒険者ギルドに到着する、という段になって。
街に入ってからずっと黙っていたレオハルトが、ゆっくりと口を開いた。
「リディア、今日は先に行っていてもらえませんか?」
「え?」
リディアは目をぱちくりさせた。
今まで絶対に1人で冒険者ギルドに行かせてくれなかったのに、今日は1人で行って良いらしい。
(どうしたのかしら)
レオハルトの顔を見上げると、いつも通りではあるものの、目の奥に懇願の色が見える。
(たぶん、何か理由があるのね)
そう思いながら、リディアは笑顔でうなずいた。
「ええ、分かったわ。先に行っているわね。帰りはいつも通りで大丈夫かしら?」
「ありがとう。もちろんです」
リディアはレオハルトに手を振ると、冒険者ギルドに向かった。
中に入って扉を閉める際に、チラリと外を見ると、レオハルトが既にいなくなっている。
(何かあったのかしら)
そう思いながら受付に行くと、ミランダが心配そうな顔で立ち上がった。
「レオハルトさんはどうされたんですか? もしかして体調を崩されて……?」
「いえ、何か用事があるみたいで、すぐそこで別れたんです」
「そうでしたか、そんなこともあるんですね」
ミランダが、ホッとしたような驚いたような表情を浮かべる。
その後、リディアはいつも通りギルド奥の部屋に向かった。
エマとハンナと一緒に、開発した魔道具を実際に使用した冒険者たちの感想を分析して、更に改良できないか考えたり、実験したりする。
2人の話を聞きながら、リディアは窓の外を見た。
いつもなら、時間を忘れて熱中するのだが、今日はどことなく落ち着かない。
(レオハルト、大丈夫かしら)
*
一方のレオハルトは、というと、
リディアが冒険者ギルドの入口に到着するまで見送った後、踵を返して足早に街を歩き始めた。
(……やはり、何者かが見ている)
街に入ってからずっと感じている視線。
その正体を確かめようと、彼は狭い裏路地に入った。
何度も角を曲がって人気のない通りに出る。
そして、雨どいを伝って屋根に上ると、そこでキョロキョロしている黒装束の男の後ろを素早く取った。
振り向いた男が、あっという間もなく、足を払うと屋根の上に押さえつけて腕を捻り上げた。
「……ずいぶんとこちらを見ていたようですが」
「お、俺は何も」
動揺した声で答えながら抜け出そうとする男を、レオハルトが更に押さえつけた。
魔法を発動しようとする気配に、容赦なく腕をギリギリと捻り上げる。
男がうめき声を上げた。
脂汗をかきながら苦しそうに叫ぶ。
「す、すまない! あ、あんたに用があった訳じゃない!」
「ということは、一緒にいた女性の方ですか」
「そ、そうだ! 探している女かもしれないと思ったんだ!」
「探している女とは?」
「銀髪のエルフだ!」
(やはりか)
レオハルトは冷めた目で男を見下ろしながら、冷静に思考を巡らせた。
男の口ぶりから、リディアをエルフだとは確信していないようだと思い当る。
(であるならば、ここは騙し切るか)
レオハルトは、男からパッと手を離すと、パンパンと手をはたいた。
男が素早く起き上がって腕を押さえながら後ろに飛びのくと、その青い瞳でレオハルトを睨みつけた。
「な、なぜ放した」
「人違いだと分かったからです」
「人違い?」
「ええ、あなたはエルフを探しているのでしょう?」
男が探るような目でレオハルトを見た。
「……つまり、あの女はエルフではないのか」
「そうです」
「あんたはあの女の恋人か?」
「いえ、護衛です」
そう答えながら、レオハルトが男を冷たく見据えた。
「それで、どうしますか? 彼女に何かする気なら、全力で排除させらもらいますが」
レオハルトが腰の剣に手を掛ける。
そのあまりに凄まじい殺気に、男が思わずといった風に一歩下がった。
どこか悔しそうに、
「ふん、無関係の人族の女を相手にするほど暇ではない」
と捨て台詞を吐くと、屋根から飛び降りる。
男のかぶっている帽子の端から、ちらりと銀色の髪の毛が見える。
(あの男、エルフか。あの動きはただ者ではないな)
レオハルトは男が冒険者ギルドとは反対方向に向かうのを見届けると、屋根から飛び降りた。
警戒しつつ街を歩きながら、思案に暮れる。
(あの男の口ぶりからすると、該当しそうな女を次々と調べている、といったところか)
そんなことを考えながら、彼は冒険者ギルドの周辺を歩き回った。
怪しい気配がないことを確認し、ギルドに向かうと、ちょうどリディアが出て来たところだった。
レオハルトを見てホッとしたような顔をする。
「レオハルト、さっきは大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫です。ご心配おかけしました」
「良かったわ。では帰りましょう」
手の中に、小さくてすべすべした手が滑り込んでくる。
彼はその手をそっと握った。
彼女の幸せを阻害するものは、それが何であろうと排除せねばと心に決める。
その後、彼は警戒しながらリディアと共に買い物を済ませた。
リディアに笑顔を向けながらも、周囲に最大限の注意を払う。
そして、その警戒を保ったまま、彼は今度どうするか思案しながら、ゆっくりと森へと帰っていった。




