01.リディアの楽しい1日
巨木を抜け出してから、約4か月。
リディアは、窓から色づき始めた木々の見える台所で、お菓子を作っていた。
今日作っているのは、最近よく作っているパウンドケーキだ。
彼女は、ボウルにバターと砂糖、卵を入れて、泡だて器でぐるぐるとかき混ぜた。
細かく切ったドライフルーツとナッツを入れ、ふくらし粉を入れてさっくりと混ぜていく。
彼女が熱心に混ぜる様子を、作業台の上にいる2匹のリスたちが、物珍しそうにながめている。
「ふふ、面白いわよね」
リディアはその様子にくすりと笑うと、混ぜ合わせた種を型に流し込んだ。
足元にいたウサギに「ごめんね」と言ってどいてもらい、型を温めておいたオーブンに入れる。
そして、時計を見上げて、「40分っていうところかしらね」とつぶやくと、余っていた木の実をリスたちに差し出した。
両手で受け取ってカリカリと食べる様子に微笑みながら、キッチンに置いてある鉢植えから葉野菜を切って、足元のウサギにあげる。
ちなみに、この動物たちは2カ月ほど前から家に来るようになった。
庭に花を植えていたところ、物珍しそうな顔でやってきたのだ。
巨木の中で一緒にいてくれた小さな動物たちを思い出し、懐かしくなってエサをあげていたところ、よく遊びに来るようになった。
リディアはエプロンを外すと、お茶を淹れた。
台所の椅子に座ると、置いてあった本を開く。
この本は、エマに借りたセレニア共和国に生える薬草の本だ。
面白いと薦められて読んでから、すっかりはまってしまった。
本を熱心に読んでいると、オーブンからバターの美味しそうな香りが漂ってくる。
そして、40分ほどしてから、オーブンを開けると、とんでもなく美味しそうな香りのするパウンドケーキが出来上がっていた。
「今日も成功ね!」
思わず手が出そうになるが、彼女はブンブンと首を振った。
今日はこれを持って行く先があるのだ。
彼女はケーキに薄い布を被せると、2階に上がった。
外に出る用の木綿のワンピースに着替える。
そして、玄関を開けて外に出ると、外で作業をしているレオハルトに声を掛けた。
「そろそろ出掛けられそうよ」
「分かりました。今行きます」
レオハルトが、立ち上がって歩いてきた。
白いシャツの首元には、リディアがプレゼントした青い石のついた銀色のペンダントが光っている。
彼はリディアの正面に立つと、切れ長な目を優しく細めた。
「楽しそうですね」
「ええ、持って行くケーキがすごくよく焼けたの」
「そうですか」
レオハルトが、リディアの頭を愛おしそうに撫でる。
そして、「私も準備してきます」と言って家の中に入って行った。
リディアは彼に撫でられた箇所をそっと触った。
「……最近、なんだか立場が逆転している気がするわ」
前はリディアがレオハルトの頭を撫でていたのに、最近はレオハルトがリディアの頭をよく撫でるようになった。
(私の方がお姉さんなのに)
そう思う一方で、この感じも悪くない気もする。
その後、リディアはバスケットに作ったケーキを詰めると、帽子をかぶって外に出た。
レオハルトがすでに待っており、水を浴びたのか艶のある黒髪が少し濡れている。
2人は門を出て鍵を掛けると、街に向かって歩き始めた。
リディアは、歩きながらくるりと振り向いて家の方を見た。
来たときは、森の空き地に家が建っているだけだったが、今は緑の蔦で覆われた高い塀に囲まれている。
レオハルトが、自分が不在時に何かあっても困るからと、1カ月かけて作ったのだ。
作るのがとても大変そうだったので、もっと簡単に作ったらどうかと言ったところ、
「リディアの安全を守るなら当然です」
と真顔で言われたため、任せることにしたところ、何とも頑丈そうな塀が出来上がった。
レオハルト曰く、築城の手法で作ったようで、ちょっとやそっとでは壊れないらしい。
2人は、にぎやかな大通りを通り抜けて、冒険者ギルドに入った。
いつも受付にいる中年女性――ミランダが、「こんにちは」と声を掛けてくる。
リディアは「こんにちは」と返すと、レオハルトに「行ってきます」と手を振って、ギルドの奥に進んだ。
廊下を歩いて端の部屋をノックすると、ドアが開いて薬師のエマが顔を出してニカッと笑った。
「こんにちは! 待ってましたよ!」
「こんにちは、今日もよろしくね」
2人が部屋の中に入ると、ローブを目深にかぶった小柄な女性が座っていた。
彼女の名前は、ハンナ。
ちょっと無口でオタクな女の子で、冒険者ギルド付きの魔道具師だ。
「じゃあ、始めましょ!」
エマの声を合図に、3人はあれこれ相談しながら作業を始めた。
3人が今取り組んでいるのは、
『長期間持ち運んでも品質の落ちない、回復薬を入れる魔道具』
もともとエマとハンナが取り組んでいたところに、魔法知識と魔力担当としてリディアが加わった。
出来上がった暁には、3人で共同特許を申請する予定だ。
ハンナが、箱型の魔道具を取り出した。
中には、薬瓶が並んでいる。
「これ、1週間前に仕込んだやつ」
エマが瓶を開けて、品質の変化をチェックし始めた。
「効果は1割減ってところですね!」
「ん。いい感じ」
「もうちょっと魔力を弱くした方がいいかもしれないわね」
結果を踏まえて、3人で色々と相談しながら作業を進めた。
エマが新たな試作品を作り、リディアが魔力を込めて、ハンナが薬瓶を詰める。
そして、作業が一段落すると、3人は雑然としたテーブルの端っこの方に移動した。
リディアが持って来たケーキを切り分けて、他2人もお菓子の袋をゴソゴソと取り出す。
その後、ビーカーにお茶を淹れると、3人は「いただきまあす」と食べ始めた。
「やっぱり仕事の後の甘い物は最高ね!」
「ん。リディアのケーキ、今日もおいしい」
「ふふ、ありがとう。このクッキーとチョコレートも美味しいわ」
とりとめもない話をしながら、リディアは楽しい気持ちになった。
エルフ領にいた頃はずっと1人でひたすら薬を作っていたから、とても楽しい。
(こういうのがお友達っていうのかしら)
そんなことを考えていると、ハンナが「そういえば」とため息をついた。
「次の実験、ちょっと間が空くかもしれない」
「え、そうなの?」
エマが驚いたような声を上げると、ハンナがうなずいた。
「ん。なんか材料の1つが入ってこなくなってる」
「材料?」
「“霜の木”。エルフ領から輸入してるやつ」
エルフ領と聞いて、リディアはドキリとすると同時に首をかしげた。
"霜の木"は、確かにエルフ領の特産で、成長が遅く、これまで輸出できるほど採れたことはなかった。
(それを輸出していたって、どういうことかしら……?)
そして、夕方になり、リディアは2人に別れを告げてギルドの受付に戻った。
受付には既にレオハルトが待っており、冒険者の男性たちと何かを話している。
リディアに気が付くと、彼はすぐに歩いてきた。
「終わりましたか?」
「ええ、終わったわ。レオハルトは?」
「先ほど戻ってきました」
2人はギルドホールにいた冒険者に別れを告げると、夕方の街を歩き始めた。
街はオレンジ色に染まっており、冷たい夕方の風が吹き始めている。
リディアが考え込みながら歩いていると、レオハルトが心配そうな顔をした。
「どうかしましたか?」
「え? うん、何でもない」
「そうですか? そうやって眉間にしわが出来ている時は悩んでいる時ですが」
リディアは苦笑した。
最近全てお見通しされている気がする。
彼女は足元に伸びた長い影をながめながら口を開いた。
「今日、エルフ国の話を聞いて、ちょっと考えちゃったの」
「……エルフ国ですか」
「ええ。何だか気になっちゃって」
リディアが素直にそう言うと、レオハルトが改まったように口を開いた。
「前々から聞きたかったのですが、リディアはなぜあの巨木に幽閉されることになったのですか?」
補足:
リディアは「一時的に巨木に隠れるだけのつもりだったが、迎えが来なくて10年幽閉された」といった話を第1、2章でしていますが、詳細まではまだしていません。




