胡散臭い詐欺DMを揶揄っていたらいつの間にかオッサンの俺がとんでもない奴に溺愛されていた件について
『愛しています』
日本において、日常生活でまず滅多に言われる事はないだろうフレーズ。
俺のような髭でむさいガチムチの独身おっさんサラリーマン45歳なら尚の事だ。だがこのところ俺は毎日のように愛を囁かれ熱烈に口説かれている……詐欺師に。
元々は趣味のお菓子作りのアカウントだった。
おっさんの趣味としてお菓子作りは余り周りの人に自慢できないと分かっているから、せめて上手くできたときは記録に残したくて写真を撮るようになり、せっかく写真を撮ったのだから……と偽名のSNSを開設したのだ。
ぼちぼち交流する人もでき、それなりに楽しんでいた時、作ったお菓子の写真に頻繁にいいねを飛ばしてくるアカウントがあった。最初はお菓子好きの誰かが褒めてくれるのが単純に嬉しかったが、そいつがある日飛ばしてきたDMが問題だった。
『とても美味しそうなお菓子ですね。私はフランス人と日本人のハーフで30代の男性です。モデルでそれなりの資産家でもあります。貴方にとても興味があります。貴方と是非仲良くなりたい。怪しくないです』
いやいやいや。どうみても怪しいだろ!?。
俺の偽名が中性的なのと、お菓子作りのアカウントだから女だと思っているようだ。
(自撮りとか男だと分かるものもアップしてねえからなあ……)
さてはヤリモクの出会い厨かロマンス詐欺か……どちらにしろ中身は詐欺師のおっさんだ。おっさんがおっさんに詐欺を……現代の闇を見る気がして画面の前で失笑した。そして、なんとなく哀れなのと、面倒でそのままブロックもせずDM画面を閉じる。俺は疲れていた。
だが、次の日も帰ってきてパソコンを開くとまたそいつからDMが来ていた。
仕事終わりの疲労をビールで誤魔化しながら、つまみがわりに開いてみる。
『私は今フランスに住んでいます。フランスはとてもいい国です。貴方を是非案内したい。フランスに来ませんか?』
マジで胡散臭い事この上ない。だが疲れは判断力を麻痺させる。俺の指は気が付いたらレスを返していた。
【私は日本在住です。フランスは少し遠いですね。あなたはフランスのどこに住んでいるのですか?】
SNSにもこのくらいの個人情報はいつも流しているから問題ないだろう。
すぐに返事が返ってきた。
『パリです』
「ぶはっ」
おれはビールを噴き出した。相手は下調べしないタイプらしい。
『日本は美しい国ですね。貴方が住んでいるから、余計に眩しく感じます』
「口説いてんのかボケてんのかどっちかにしろっつーの」
零れたビールを拭きながら、面白くなって続ける。
【あなたのお仕事は?】
またすぐ返ってくる。詐欺師は暇らしい。
『私は経営者です。ファッションモデルもデザインもやります。貴方を幸せにするために私は資産家になりました』
俺も調子に乗ってレスをタイプする。こういうのもネカマになるのだろうか?男とも女ともとれるそっけない言葉で綴る。
【すごい、色んな活躍をしているのですね】
『私にはお金がありますが、お金は飽くまでも手段です。でも、頑張り屋の貴方を喜ばせることができるなら私はいくらでもお金を費やすでしょう』
【あなたのお金は貴方のものです。お金は大切に使ってください】
『貴方は聡明で優しいですね。私の理想の天使。どうか私を貴方の愛で救ってください』
「(お、もう尻尾出すのか?金の要求か、怪しい闇バイトへの勧誘か、ヤリモクか……)」
ワクワクしながらあえてこちらから分かりやすい隙を作る。
【あなたはなにか困っているのですか?私にできる事はありますでしょうか?】
「(さあどうだ)」
ちょっとワクワクしながら次のメッセージを待つ。即座にレスが届いた。
『愛らしい貴方!すぐにでも飛んでいきたい。貴方を腕に抱き眠りたい。貴方を独占して、閉じ込めたい。貴方を愛でたい。強く愛したい!』
なぜか急にトーンが変わる返信に、つい背筋に寒気が走る。コイツ、ちょっとキモイかもしれねえ。
「ちっ、しかしなかなか尻尾出さねえな。まあほぼ初日だしな」
その後も詐欺師はあからさまに資産家である事を匂わせつつ、甘ったるく口説いて来た。まるで少女漫画である。いや、少女漫画ってこんなに甘いのか?よくわからん。
とりあえず今判明している設定は、パリ住まいで、ハーフで、モデルで、金持ちと言う事。やたらと会った事もない俺に執着しているらしい事。設定を盛り過ぎている。こんな詐欺師に騙される女性っているのか?釣り針がデカすぎる。
詐欺師は塩対応の俺にも関わらず、めげることなく俺を口説き続けた。
『貴方に運命と癒しを感じます。仕事の合間にいつも貴方のSNSを眺めて泣いています。こんな気持ちは初めてです』
『貴方のつくるお菓子になりたい』
『許されるなら貴方と結婚したい。貴方と静かに暮らしたいのです。それに足る蓄えは十分あります。貴方を千年は豊かに養える。私は良い夫になります』
『私がデザインしたウエディングドレスを着てくれませんか』
『気がはやってしまい申し訳ありません。でも、気持ちは本当です。どうか信じてください』
『優しい人。世界が貴方に気づいてしまわないか私は気が気でありません。貴方は魅力的すぎる。そして優しすぎる貴方が優しさゆえに傷つかないか心配です。貴方を守りたい。おこがましいですが、私の切なる願いです』
俺は読みながら缶ビールの空き缶をゴミ箱にシュートして苦笑した。よくもまあこうスラスラと口説き文句が出るものだ。
詐欺師は凄い勢いでメッセージを送り続けたが、次第に落ち着いてゆき、そして、最後にこう言った。
『長々と付き合わせてしまいごめんなさい。話を聞いてくれてありがとう。貴方も寝る時間ですね。おやすみなさい美しい人。愛しています。また明日』
「……」
また明日?明日も、コイツからDMがくるのか?あの甘ったるい妙なメッセージが?
「ふぅん?」
その夜、なんともいえない歯がゆいような、もやもやするような気持で床についた。
変な夢を見たような気がするが、覚えていない。
◇
それからも詐欺師はほぼ毎日同じ時間にDMを送って来た。
俺の仕事が終わって、メシを食って、筋トレして、風呂に入って、ビールを開けて一息つくタイミングだ。
パリに住んでんじゃねえのかよ。時差はどうした。設定ガバガバだな。
一瞬botやAIによるメッセージ送信を疑ったが、レスに柔軟性があるし、なにより粘着性を感じる独特の口説き方は特定の人間の個性を思わせる。やはり相手は詐欺師のおっさんだろう。
生憎テレビは習慣でつけっぱなしだが面白くない。
お菓子作りもやりたいレシピがひと段落してしまった。
畜生、タイミングが神過ぎてつい今日も詐欺師のメッセージに反応してしまう。
『ぴこん』と早速届いた音がする。時間通りだ。勤勉な奴め。
『今日も貴方のSNSを眺めながら仕事をしていました。部下達に会社を分散譲渡したいと言ったら泣かれました。長期的に見ても順調な優良企業なのだからそろそろ私を解放してほしいです。私も泣きたい。慰めてくれますか?』
『新しく立ち上げるブランドに貴方の名前を付けたいです。いや、やはり駄目ですね。貴方の神聖な名を多くの人達が気安く呼ぶのは我慢できません』
『今度20個目の別荘をバリに買おうと思います。貴方と来れたら最高なのに……。貴方はシンプルで近代的なデザインより、ぬくもりのある木の設えのほうが好きですよね?貴方自身が暖かい人だから』
『今度創刊される雑誌の表紙の撮影に来ています。化粧は嫌いです。香水も。べたべたしてくるスタッフや業界人にウンザリしています。ああ、素顔の貴方とデートに出かけたい。貴方となら何枚でも写真を撮りたいです』
『パーティーはいつも退屈です。つまらない会話、つまらない腹の探り合い。誰にも心を許せない。今貴方に攫われたい。私を助けてくれませんか?』
詐欺師から届いたメッセージにはそれぞれそれっぽい写真が添付されているが、本人らしい人物は写っていない。
「へえ、最近の生成AIはこんな事もできるんだな」
ちょっと感心した。セレブの生活はよく分からないが、巨大な新築の家、高価そうな調度品、有能そうな部下達、見た事もない鮮やかなごちそう、どれも偽物とは思えない。まあだからと言って騙されねえが。
「あんまりそれらし過ぎると逆に作り物みてえだな」
散らかった狭い部屋で、裂きイカを噛みしめながら時折塩対応のリプを返す。どうも最近詐欺師に親近感が湧いていた気がする。
お察しの通り俺は友達が少ない。
数年前親友だと思っていた男の連帯保証人になった事が原因だ。親が病気をした事で治療費を借りたいと言うので快諾した。まあ良くある話だが、案の定親友は夜逃げし、俺は借金持ちになった。病気の親の話も嘘。借金はなんとか数年で返すことができたが、その事件がきっかけで友達の多くは俺から離れ、残ってくれた数少ない友人以外は信用できないようになってしまった。性格もひねくれた。
そんな俺には詐欺師相手の距離感が丁度いい。最初から欺かれ、欺いていれば心も痛まない。
まあだからと言って個人情報は明かさないし、俺がおっさんだと言う事も言わないが……。嘘はつかないが、本当の事も言わない。女だとも男だとも、こちらが気づいていてあえて遊んでいる事も。
それでも詐欺師は俺に甘い言葉を送り続ける。
『貴方を愛する私は世界で一番の幸せ者です。そっけなく見える言葉にも、優しさが滲んでいる。貴方の言葉は私にとっての清涼な水。どうか今日も私に蜜なる言葉を恵んでください。いや、私のメッセージをその美しい瞳にうつしてくれるだけでもいい。愛しています、私の女神』
DMのメッセージは今日も今日とて甘ったるい。
「ホントよくやるぜ。それにコイツ、多分ずっと一人で俺にレスしてるんだよなあ。詐欺の業界も人手不足か」
詐欺師からまた追加でメッセージが来た。
『優しい貴方がいるから頑張れます。この世に絶望しないで済むのは、貴方が居るからです。この世に産まれてきてくれて感謝しています。貴方のご両親にもいつかお礼を言わなければ』
大仰なセリフに、なるべく当たり障りなく俺も返信する。
【大袈裟ですね(笑)】
『大袈裟ではありません。貴方は優しく美しい。世界は貴方を誤解している。でもそれでいい。私だけは貴方の真実を理解しています。貴方を独占したい』
画面に向かって思わず鼻で嗤う。
「……はん」
缶ビールの最後の一口を煽る。
そろそろ持ち帰った仕事をせねばならない。暇つぶしは切り上げよう。
【今日はこれからお仕事なんです】
『貴方は頑張り屋さんですね。早く貴方を仕事から解放したい。どうかご自分をくれぐれも大事にしてください。ではまた明日。愛しています』
途切れるDM。
「愛しています、ね」
毎夜繰り返されるフレーズ。
俺は無意識に口ずさみながら、憂鬱な書類を引っ張り出し仕事にとりかかった。いつの間にか機嫌がよくなっている事にも気づかないで。
◇
「クソッ」
その日は最悪だった。
仕事でミスをした部下を庇い、裏切られ、叱られ、残業をして、せめて夕飯を買おうと寄ったコンビニでは目当てのおでんも肉まんも売り切れ。弁当類もろくなものが無く、辛うじて買えたのは期限ギリギリのパン一つ。
おまけに雨にまで降られびしょ濡れだ。傘は忘れた。
帰ってすぐ熱いシャワーを浴びたが、ささくれた気持ちはおさまらない。トレーニングにぶつける気にもならない。
『ピコン』
メッセージ到着音が薄暗い部屋に響く。
なにもかもが最悪な中、泥のような疲れを感じながらDMを開く。
『愛しています。大切な人。今日も頑張りましたね。大好きです』
デジタルに浮かぶ空虚な言葉。詐欺師の偽り事。下心あっての嘘。
わかっている。
だが、俺の頬はいつの間にか涙で濡れていた。
そして俺は気づいた。自分があの甘ったるい口説き文句達を嘲笑しつつもどこかで確かに救われていた事に。塩辛い現実に晒された心に、それら甘い言葉たちがどれだけ甘美な毒だったことか。すっかり浸食され伽藍洞になった自分を思い知る。
少しだけ泣いて、自暴自棄に落ち込んで、どれだけ経っただろうか?
俺の指が震えながら動く。ゆっくりキーをタイプして、エンターを押す。大海に小舟のおもちゃを送り出すように。
【俺、おっさんだよ。普通の社畜のおっさん。若い女の子じゃない。45歳。ガチムチ。髭生えてる。名前は偽名。詐欺師さん、無駄骨、残念でした】
最悪な日最後の、最悪のトドメとしては悪くない。哀れな詐欺師を騙して笑いものにする最低の俺もこれでお終い。自己嫌悪が胸を焼く。
詐欺師のおっさんも、これでひとつ無意味なタスクから解放される。
ふっと脱力した。
何かに負けたような、感謝したいような、滅茶苦茶に暴れたいような空虚な気持ちがじわじわ湧いてくる。
詐欺師も詐欺師できっと今頃嫌な気持ちになっているだろう。俺はブロックされる事を期待した。
だが、意外な事にブロックはされず、すぐ返信が来た。
酷い悪態だろうか?こうなったらどんな罵声も受け止めようと覚悟し開く。だがそこにあったのは全く予想外で、意味不明な内容だった。
『最初から知っていますよ?全部調べましたから。明日ようやく貴方に会いに行きます。待っていて愛しい人』
「……へ?」
目に入った筈の文字が滑って理解できない。これは脅し……?それとも単なる強がり……か?だがそれにしては妙な胸騒ぎが止まない。なんだこの違和感は。
その時、BGMがわりにつけていたテレビからニュース速報が流れる。
『……速報です。今話題の資産家が明日、フランスはパリから日本に急遽到着するとのことで空港にはファンが溢れています。資産家はモデルでもあり、美貌とその経営力でも有名で、せめて一目見ようと押し寄せる人々で渋滞が解消される目途は無く混乱が……』
ぞくりと怖気がはしった。背を伝う冷や汗。
「ま、まさかな……」
『ピコン』
恐る恐るDMを開く。
『愛しています。逃げても無駄ですよ』
そこに添付されていた画像は、テレビに映るそれと寸分たがわぬ美貌が、隠し撮りであろう俺の写真に唇を寄せて満面の笑みで自撮りするものだった。
俺の最悪な日は、まだ続くらしい。
この作品は飽くまでもフィクションであり、詐欺メールを勧めるものでも、詐欺メールに関わる事を勧めるものでもありません。お読みくださってありがとうございます。