第四話 巨神兵と墓所
今回はナウシカの中でも謎の多い、巨神兵と墓所について考察していこうと思います。
巨神兵については説明は要らないですよね。ナウシカを見た人でアレを忘れられる人はいないと思います。一方で墓所については劇場版では一切出てきません。原作漫画のみの登場ですが、重要度で言えば巨神兵に劣るものではありません。
それでは、始まり始まり。
・共通点
まずは共通点について語っていきましょう。
巨神兵と墓所の共通点は、人工知能を搭載した人工生命体という事ですね。
混沌とした世界で自然に発生した生物ではなく、どちらも旧時代の人類が生み出したシステムです。
もう一つの共通点は、どちらも生体パーツで構成された"生もの"という事です。
巨神兵は金属製のガンダムではなく人造人間のエヴァンゲリオン。墓所は機械式コンピューターではなく、なんだろう。該当する例がパッと思いつきませんが、とにかく知識を蓄えた動けない生き物ってところです。
双方に知能と意識があり外部からの操作を必要としない、独立した思考エンジンを搭載しているようです。
・巨神兵
風の谷のナウシカのオープニングで一番インパクトがあるのは、燃え盛る大地を一列に並んで進む巨神兵たちの姿でしょう。あんなに恐ろしいオープニングはそうそうお目に掛かれません。素晴らしい演出だと感嘆いたしました。
劇場版での巨神兵は、ほぼ怪獣です。
「笑ってやがる」というクロトワの台詞からも知能を持っている様子が窺えましたし、クシャナの命令を理解している風ではありました。
しかしながら特別に高知能って訳でもなく、最期にプロトンビームをぶちかまして往年の力の片鱗を見せてくれましたが、その後に死んでしまい、物語のパーツの一つとして登場に留まっていました。
しかしながら原作版の巨神兵の存在感は、こんなものではありません。圧倒的な火力と非常に高い知能で会話も可能。始めこそ劇場版と同じように怪獣みたいでしたけど、秘石の力でアップグレードして全くの別物へと成長しました。
ここで疑問なのですが、この巨神兵というシステム、一体誰が何の目的で制作したのでしょうか。
巨神兵は作中の言い伝えで、七日で世界を焼き払った怪物として描かれています。実際に巨神兵の戦闘力は作中においても比類なく、「世界が燃えちまう訳だぜ」って感じでした。
しかし世界を焼き払うだけなら巨神兵は要りません。核爆弾で十分に代用可能です。そっちの方が格段に安上がりですしね。
巨神兵の真の目的は「調停者」「裁定者」としての役割でしょう。
中立、公平な人工知能が、紛争を力ずくで調停することが巨神兵の役割です。
ナウシカは神様の代役ではないかとも考えていました。実際に光輪を背負い浮遊するので、神が遣わしたの使徒と言った様相です。少なくともただの兵器といった立ち位置ではないでしょう。
では、もう一つの謎ですが、これはいったい誰が作ったのでしょう。
一番簡単な答えであれば旧人類の誰かです。開発、製造を考えれば、それこそネルフみたいな巨大な組織が作ったのでしょう
しかし、ここでちょっとおかしなことが発生します。
人工知能を必要とする調停とは一体何なのかについてです。
例えばA国とB国が争っていたとしましょう。
互いに話も聞かずに武器をちらつかせて意地の張り合い。そこへ巨神兵が颯爽と現れて調停。両国は矛を収めましたとさ。
うーん。では、巨神兵を差し向けたのはどこのどいつじゃ。
巨神兵を開発した超大国のC国なのか、はたまた国すらも凌駕がする国連的な組織か巨大企業体なのか。しかしながらどちらの場合もぶっちゃけ巨神兵は要らない気がします。普通にその権力をもって調停すればいいだけなのです。
私は巨神兵からは、運用者もしくは製作者の冷たい怒りの波動を感じます。
要するに、自分で調停はしたくない、しかしながら放置も出来ない。だから巨神兵という調停者としてのシステムを作って、そこに丸投げ。こちらの言う事を聞かなければ、焼野原にして強引に問題解決。
話の通じない馬鹿は相手にしたくないという、製作者の強い意図を感じます。
調停という根本の話になりますが、調停者という存在は、争っている人たちよりも圧倒的に上位の存在であることが求められます。
身近なところで言えば裁判所ですね。
刑事事件を起こせば警察が逮捕して、裁判、判決、刑の執行という流れになりますが、全てにおいて一般人では抗えない強制力を持っています。それらを中心的に動かしているのが裁判所です。
巨神兵は、警察、裁判所、法務省を一つにしたような存在と言えます。
ここからは私の完全な妄想になりますが、巨神兵を作ったのは地上の勢力ではない気がします。
劇場版の後半で、風の谷の人々が立てこもった施設を覚えておられますでしょうか。彼らが籠ったのは、旧時代の遺物である宇宙船。
「嘘だかほんとだか知らねぇが、星まで行ってたとか何とか。えらくかてーから砲も効かないが、なぁーに、穴にぶち込んでやれば」
なんでそんなこと知ってんのクロトワさん。
とにかく宇宙船が出てきます。しかも戦車砲が通じないほどに硬い。
私のイメージでは、宇宙船は頑丈ですが硬くはありません。しかし何故か硬い宇宙船が出てくる。もしかしたら風の谷の宇宙船は月とか火星とかの近場に向かう船ではなく、さらに遠くの天体、もしくは太陽系外へと向かう船だったのかもしれません。
そうであれば長旅に備えて硬くする必要があるのかも。そして超絶テクノロジーを持った神様気取りの人類が、地上に残った人々に遣わしたのが巨神兵なのかもしれません。
という事は風の谷のナウシカの世界の外側にはもう一つ上の世界が広がっていて、地べたを這いずっているナウシカたちを観察しているのでしょう。
うーん。完全なる妄想。
確かに妄想ですが、これだと作品冒頭に出てくる機械式の巨神兵の説明が出来ます。
劇場版、原作版どちらにも明らかに巨神兵を模した、人型のロボットの残骸が登場します。
一般的な解説によると、宮さんのアイデアが固まっていない頃の名残という事ですが、私はあのジジイに限ってそんなことがあるのかと疑問符が浮かびます。
そんな生易しいジジイだろうか。
あの機械式の巨神兵もどきは、天上の人類が遣わした本物の巨神兵に対抗するために、地上の人々が制作したなんちゃって巨神兵なのではないでしょうか。
少なくとも巨神兵のプロトタイプではないと断言できます。なぜならば中に人が乗っているからです。明らかに進化前として変です。
人は主観の生き物です、バイアスも掛かります。しがらみもあります。調停者としては公平無比の人工知能に勝てないでしょう。分が悪すぎます。
このことから重要なのは巨神兵の殻ではなく、調停を行う人工知能の方でしょう。開発の優先度は明らかにこちらが先です。こうなると人の出番はありません。
大体、人が調停するのであれば、武力は必要ですが背広姿でもそれ自体は可能なはずです。ガンダムに乗って調停する人はいません。ですからあれらの巨神兵もどきは、人工知能型の巨神兵とは明らかに別物。
凄まじい力を持った巨神兵に対抗するため、俺らも頑張ってんのやと国民を安心させるための、プロパガンダ要員だと思う訳です。
対巨神兵の為の決戦兵器として、本質を無視して見た目だけ頑張ったのが、機械式巨神兵の正体なのでしょう。
本物の巨神兵は人類の調停者であり神の代理人ですが、機械式巨神兵たちはただの兵器だと考えたら合点がいきます。
このように考えると、本物の巨神兵が埋まっていたペジテ市は超越した人類勢力の拠点だったのかもしれません。
・墓所
お次は巨神兵以上にややこしい存在である墓所です。
墓所には旧時代のテクノロジーが詰め込まれており、地上再建のための橋頭保として作られています。しかしながら仕様なのかバグなのか、おかしな挙動で地上に厄災を振りまいていました。
私の印象ですが、墓所は巨神兵とは違う思想から生まれた存在でしょう。
敵対しているとまでは言えませんが、同種の存在ではないと考えます。憶測になりますが、墓所は巨神兵が登場した後の時代に作られたのではないかと。
巨神兵の役割が現状維持であるのに対して、墓所の役割は前向きといいますか非常に革新的です。
大地に腐海を広げ地中の毒素を無害化し、それを守るために虫を放つ。ナウシカたち人類は、腐海の毒素が蔓延する環境下でも生きていけるように改良されています。
そして、いつの日にか地上の毒素が全て無害化した時に、かつての美しい世界を再生するための箱舟となっています。
めっちゃ計画的、かつ未来志向。
その場しのぎの巨神兵とは大違いです。大地に対して、ある種の執念のようなものを感じます。なので墓所は地上勢力のどこかが作ったのでしょう。
墓所の悲しい所は墓所を作った人々が、ナウシカたち今を生きる人たちを信用していなかった点ですね。
誰も読めない文字でテクノロジーを伝えるのは、手違いなのか伝える気が無いのかのどちらかです。なんとなく理解できる部分もあるようですので、手違いかもしれませんが、多くの秘密を抱えていることは否定できません。
その最たるものが、今の人類が毒のない世界では生きていけないという残酷な事実です
これは酷い。
清浄な世界の再来のために現人類を利用しています。
ナウシカも我々を家畜として扱うのかと憤ります。墓所は言い訳しますが、それなら最初に公開すべきことでしょうね。しかもこっそりと、新人類の卵を隠し持っていたのですから信用度はゼロです。
新人類の卵からも分かるように、墓所の製作者たちは選民思想の強い人々に感じます。
自分たちが必要だと思ったもののみ、未来に向けて受け継ぐ。それ以外は全て抹殺するぞ。それを感じ取ったからこそ、ナウシカは墓所を巨神兵のプロトンビームで吹き飛ばしたのでしょう。
墓所が示した清く美しい未来は消滅し、血と汗と涙の地獄のような日々が続くこととなりました。ナウシカを含め全ての人々は、血反吐を吐きながらでも生きていかなくてはならないのです。
ふと、思ったのですが、これって「宝石の国」の真逆の終わり方なのかもしれません。
・最後に
手段も目的も全く違う二つの旧時代の遺物ですが、どちらも機械ではなく生体であることは面白いですね。やはり機械では何百年という時の流れには、抗えないということでしょう。
自己増殖、もしくは再生する生体こそが、長い時代を乗り越えていける。それが宮崎駿の感覚だと思います。
終わり
やはり終末物のロストテクノロジーは燃えるのよ。