めおと湯けむり紀行4
フレンチフルからの由緒正しき湯《川浦温泉山県館》
師走になったある日私は甲州へと車を走らせていた。
同行するのは妻と亡き祖父の霊だ。数日前祖父が夢に出た、前に行ったあの信玄の隠し湯に行きたいと。
その旅館は祖父が生前気に入っていた旅館の一つだった、夢枕に立たれては行かない訳にはいくまい。
私はネット予約し、当日を待ち望んでいた。
私の住む街から山梨までは高速道路ですぐなので渋滞さえ酷くなければ時間も大して掛からないし運転も楽だ。
昼頃目的地最寄りのインターを降りた、昼はどうしようかと妻に聞くと洋食が良いと言う。
iPhoneで検索すると沢山のイタリアン、フレンチが出てきた。私はその中でも現在地から近いレストランを選んだ。
ナビって行ってみると、山梨の山々に囲まれた盆地を見下ろすような場所に有るレストランが有った。きっと夕暮れは夕陽が、夜は夜景が綺麗だろう、ここで食べたら料理の美味さも倍増しそうな程良い眺めだった。
なかなか洒落たレストランだなと妻と話しながら中に入る、フレンチのコースを出してくれるらしい。
洒落た内装のレストランを妻は気に入っていた。盆地を見下ろす眺めの良いテーブルが良かったが予約済みだった。
そして私達が通されたのは奥のテーブルだった、周りにはバカラやステンドグラスの仕切りが置いて有る。普段見慣れないインテリアに妻は興味しんしんだった。
フレンチは量が少ないだろうと思ったのでスペシャルコースというフルコースを選んだ。
久しぶりのフレンチを慣れない手つきで一生懸命スマートに食べようと頑張ってみた。妻は苦戦していたようで普段よりも食べるペースが遅かった。
まあ味は普通だった、前菜は美味しかったけどメインの魚、肉が期待してた程では無かった。しかしパンが美味しかった、作りたてらしい。外はこんがり中もっちりでパンの美味さは感動した。
食前酒でワインが出るがこの後も運転する私はジュースにしてもらった、残念だ。
iPhoneで検索した時思ったが、やたらこの辺りは洋食レストランが多いと感じた。勝沼はワインの名産地だからそれを楽しむ為に洋食レストランが沢山有るようだ。
箸でも楽しめますなんていうお気楽なレストランも有るようで興味を惹かれた。
いつか美味しいレストランを見付けてワインを愉しみたいと思った、私が運転を諦めて代行運転を使う位の。
鳥居平はまた来ても良いかな位の感想だ、次は予約して眺めの良いテーブルにしてもらいたい。
レストランを後にしフラフラ買い物をして信玄の隠し湯に向かった。
塩山市街地から冬の寂しげな山に向かって走り山奥に有るような旅館だ。
今回で5回目位か?相変わらず立派な佇まいの旅館だった。宿に入ると甲冑や大きな太鼓が有った、武田軍所縁の品なのだろう。
チェックインを済ますと部屋に行き風呂の支度をする。楽しみだ、ここの温泉は優しいお湯なんだ。
部屋を出ると妻とは別行動、各々のタイミングで温泉を満喫するつもりだ。私はまずここの自慢の信玄公岩風呂から攻めた、エレベーターで降り、なお外階段を降りて笛吹川を眺める静かな河原にある岩風呂だった。
服を脱いで体を清め岩風呂にドボン。ああ、あったかい。そしてこの温泉は甘いような良い匂いがする。一気に心身共にリラックスした。
この岩風呂は混浴らしい、時間によっては男用女用と分けてもある。何よりも山奥の川沿いに有るので甲州の大自然を満喫できるのだ、都会や日々に疲れた方は一度お試しあれ。
この岩風呂は信玄公と付くだけあって格式有る立派なお風呂である。太く立派な柱が何本も建ち大きな屋根を支えている、木造の力強い造りだった。
そして屋根部分や柱の根元には銅が使われていた、銅が緑色に変色しており良い味が出ている。天晴れ!思わず口から出てしまう。
ここは素晴らしい事に循環、加温、加水無しの本物の源泉掛け流しだ。そしてシャワーも源泉らしい、こんな温泉旅館はなかなか無いだろう。
誰もおらず貸し切り状態!体を思いっきり伸ばして休めた。
ここの温泉は武田信玄が川中島の戦が激しくなると予想し、傷付いた兵士達を療養させようと家臣の山県氏に開発させたという。そして山県氏の末裔が経営してるので山県館なのである。
それにしても武田信玄は部下の事も考えれる立派な大将だったんだなと思った。自分も風呂好きで、早く傷治して兵隊使いたいというのもあると思うが。
腕っ節もさる事ながら広い視野で組織運営もする器量も持ちあわせている。
そんな武田信玄、武田軍に想いを馳せながら英気を養い、自分もこれから頑張ろうと思って温泉に浸かっていると短歌が浮かんだ。
【強者が 開きし湯にて 我思う より逞しく 独立独歩】
んっ?外階段から誰かが降りてくる音がする。温まったし切り上げて部屋に戻ろう。
格のあるお風呂を独り占めできた私は満足しながら部屋に戻った。
部屋に戻るとお茶を淹れた、畳の上で喉を潤した。畳の上に転がると眠くなってしまい次に目を覚ますと30分位経過していた。
丁度良いお昼寝だ、体力が回復した一方で少し冷えたのでまた風呂に向かった。
今度は大浴場だ。大浴場の入り口を入ると脱衣所の手前にスペースが有りこの温泉の開発者である山県氏の紹介が有った。後で触れるがとにかく凄い武将だったらしい。
脱衣所でを見ると他にも人がいるようだった。服を脱いで入ると老人達の話し声が響き渡っていた、ここの大浴場は立派な石が使われているのか雰囲気が有る。黒を基調とした落ち着いた雰囲気だ、そして大きな湯船からは波波と豊富な湯量の温泉が掛け流れている。
高級感の有る風呂から湯水の如く、その光景を眺めているだけで贅沢な気分になり金運が上がってくるようだった。
石の種類には詳しくないので何と言うのか分からないが大理石みたいな感じだ。
石造りの風呂なので老人達の話し声が反響する、耳が遠いのか声がデカい。
もう少し静かにして欲しいと思いつつ私は体を流しお湯に浸かった。
微かに甘い香りのする温泉に優しく包まれた。あったかい、ジャグジーが出てる場所が有る。
足裏をジャグジーに向けて刺激した。体は温まり、足裏を刺激し疲れが取れていく。
心を無にしてみたが老人達がやかましいので内湯から露天風呂に行く事にした。
露天風呂には1人いたが静かに入浴していた、私もそっとお湯に浸かる。
外を眺めると山が見えた、ぼちぼち日が暮れてくるな。ボーッとそんな事を考えていた。
部屋に戻ると今度はビールだ!広縁の椅子に座りビールを開けた、グラスに注ぐとお楽しみの一杯が始まった。
ビールを飲みながら景色を眺めると露天風呂から見えた山景色が見えていた、段々と夕焼けになり味のある景色になっていた。
ビールも2本目を開けた頃には空と山の間が真っ赤になっていてギョッとする程、物凄い夕焼けだった。
武田軍の赤備えかと思った、武田軍は赤や朱の甲冑、兜を着けて闘っていたらしい。
色で目立つし、何よりも戦闘力の高さが有名だったので相手側は赤の軍団を見るとブルっちゃう位の兵隊だったようだ。
その赤い軍団を直接指揮していたのが武田二十四将の中でも四天王と言われた山県昌景氏なのである。
猛将エピソードとして、徳川家康は山県昌景にビビってうんこ漏らしながら逃げたらしい。
赤備えと真っ赤な夕焼けを重ねながら私は甲州の雄大な自然美に圧倒されていた。
至福の時間を楽しんでいると妻も風呂から戻ってきた。かなりの長風呂だった、相当楽しんできたのは表情から明らかだった。
私は夕焼けを見届けた後にまた温泉に浸かった。そうして戻ると夕飯の時間になった。
夕飯は山の幸中心だった、魚の塩焼きが美味しい。さっさと食べて部屋でゆっくりしたくなった。
部屋で休憩してから信玄公岩風呂へ行った。夜で一段と冷えるのですぐ温泉に浸かる。
夜なので真っ暗で景色は見えないが川のせせらぎがのんびりとした気持ちにさせる。
しばらく浸かっていると喉が渇いてきた、夕飯の時もお酒を飲んだし水分補給をしようと温泉を飲んだ。
この温泉は飲泉できるので注ぎ口から手に溜めて飲んだ。
美味い、私は外からも内からも温泉を満喫した。
引き続き温泉に浸かりながら空を見上げると星が見えて綺麗だった。お風呂に入りながら星が見れるのは嬉しい。見てる間に体も冷えないし得した気分だ。
冬空の中キラキラ光る星は疲れた心と脳を癒やしてくれるようで、とてもリラックスできた。
その夜私は爆睡した。朝起きると妻は不機嫌だった、イビキが煩かったらしい。
不機嫌な妻をなだめるように朝風呂に行き朝食を食べると楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
ここの温泉は飲泉できるが、なかなか美味い!帰宅したら家で泡盛のお湯割りに使おうと私はペットボトルに入れようと最後の入浴に行った。
帰りの車中妻は寝ていた、寝不足&絶妙な揺れで寝落ちしたみたいだった。
私は申し訳ないという気持ちからノンストップで帰宅した、起こす時にはもう家に着いたよと起こしてあげたかったからだ。
そう思いながら静かにペースを上げて愛車を走らせた。
地元に入った頃妻は目を覚ました、いくらか寝れてスッキリしたらしい。夕方前には帰宅したが、これから夕飯の支度は大変なので今夜は寿司に行こうと妻に言うと機嫌が良くなった。
私は武田信玄に見習った、傷付いた兵士には温泉を。迷惑をかけた妻には寿司を。
飴というか、楽しい事良い事が無ければ人のやる気は無くなってしまう。楽しくなければ人生じゃない、潤いがなきゃ。
そんな教訓を得られたこの温泉旅行はとても有意義だったと感じた。
これで今年も良い年が越せる、そんな風に思わせてくれた温泉であった。