初めての〈スキル〉
◆
焚火がぱちぱちと音を立てて跳ねる。
黒龍城塞の外周を回り脱出した先は、山と森になっていた。
キャンプとして陣取ったのは崖下に出来た窪み。
もうすぐ夜が来る。
夜行性のモンスターは光を避けるため、火を絶やしてはいけないらしい。
俺はこの世界に自然が存在することにとりあえず安堵した。
しかし、辺りに生える植物は奇っ怪で不気味だし、霧と薄暗さ、不穏な気配は森に入ってより濃くなった。
こうなってくると黒龍城塞の空中回廊が爽やか観光スポットに思えてくるから不思議だ。
「トーキョー……きっと、凄く楽しい世界なんでしょうね」
焚火を見つめながら、ミリアが呟く。
俺はそれに自虐的な苦笑で返した。
「どうかな。思うほどじゃないよ。物や事は溢れるほどあったけど……結局、俺には何も残らなかった」
トラックに轢かれる前の事がふいに思い出される。
胸を締め付ける何かが『ぎゅっ』と襲ってきて、俺は俯いてそれをやり過ごした。
「でも、この世界よりマシでしょ? ここでは皆、生きていくのに精いっぱい……」
「…………」
正直分からなかった。
きっと東京でも……いや、どこにいたって、皆生きていくのに精いっぱいだ。
でも、それを忘れて逃避させる手段が、あそこにはあまりにも溢れていたんだと思う。
「……よし! 決めました!」
ぽん、と手を打ってミリアがおもむろに立ち上がった。
「ラインハルトさんを、トーキョーに送り返します!」
「送り返しますって……。手段は?」
「……さぁ?」
「だぁッ!」
思わずずっこける俺。
「でも、何か方法はあるはずです。そして……、帰るときに私もこっそり付いていっちゃいます。だから、ラインハルトさんも諦めないでください」
ミリアが悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
正直、帰りたいかと言われれば分からない。強い動機を感じない。
ただ、目の前のこの子と二人で帰れたなら……それはとても素敵なプランに思えた。
「……頑張ってみるよ」
俺が言うと、ミリアは瞳を輝かせて頷いた。
「そうと決まれば、早速……」
ミリアはごそごそと自分の腰のあたりを探ったかと思うと、大ぶりなナイフを外して俺に渡してきた。
「ラインハルトさんに死なれてしまっては困りますからね。自分の身はある程度自分で守ってください」
「いやいやいや! 刃物なんて使ったことないよ俺!?」
「誰でも最初は初心者です。ほら、握ってみて」
ミリアが俺の手に触れる。
ひんやりとした柔らかな感触にドキリとして、つい俺は言われるがままナイフを握ってしまった。
しぶしぶ立ち上がる。
ずっしりとした金属の重み。
「今のラインハルトさんの筋力では、普通に切ってもダメージは入らないと思います」
「うるさいな。確かにひょろひょろだけど」
「ふふ。なので初歩の〈共通技〉を教えますね」
「共通技……?」
「まず、ナイフをしっかり構えて。腕の力は抜いてください」
「こ、こうか?」
まぁ当然しっくりこない。
こちとら根っからの文科系だ。身体の使い方の下手さには自信がある。
「うーん……。とりあえずそんな感じで。〈イメージ〉が一番大事です。強力な攻撃を放つイメージ」
「イメージったってなぁ……」
初めて握ったレベルなのに、攻撃のイメージなんて浮かびようがない。
「そうしたら、重心を軽く後ろに傾けます」
「……こう?」
我ながら見事なへっぴり腰だと思う。情けない……。
「えーと……。ちょっと……というか、だいぶ違うかな……」
「教えようとしたこと後悔してるだろ」
俺がジトっとした目つきで言うと、ミリアは首をぶんぶんと横に振った。
「いえいえいえ! ここから! ここからですよ! まず、体幹を意識して……」
ミリアが俺の横に回り、俺に向けて腕を伸ばした。
「自分がこの腕に操作されているようなイメージで」
ミリアが俺の背の方に腕を傾けていく。
俺はそれに合わせて重心を傾けた。すると──
「あっ。出ました。上手です!」
ミリアが喜ぶ。
俺の身体からうっすらと金色の光の粒子が生まれ、重心の方へ流れていくのが見えた。
「これ、さっきのミリアのと同じ……」
「はい。〈軌跡〉といいます。これの組み合わせで〈印〉を組んで、技のイメージを具現化させるんです。……さ、もう一度」
「あ、ああ」
もう一度重心を後ろに持っていく。光の粒子がそれを追った。
なるほど、自分の中に八方向の『ジョイスティック』があるような感覚だ。
それなら簡単にイメージ出来る。
つまり、後ろに溜めて──
前っ!
一歩踏み出す。光の粒子が流れた。
「うおっ!?」
ナイフを持った腕が何かに押されるように加速。
「えっ、ちょっ──!?」
その先をどうしていいか分からない。
ナイフってどうやって振るんだ!?
「あ……」
俺の戸惑いを如実に現すがごとく、光の粒子も強い加速度もパッと霧消する。
残ったのは俺の、ハエが止まりそうなへろっへろのナイフ攻撃だけだった。
「あと一歩でしたね」
ミリアが満足げに言う。
「そのあと一歩は人類が月に行ったくらいの距離があると思うぞ」
俺の戯れ言を無視して、ミリアは俺からナイフを受け取るとまっすぐ構えた。
身体に光の粒子がまとわりつく。
「こう後ろから前に〈軌跡〉を結んで……。〈ヘヴィ・ショット〉!」
──スパァン!
空気が裂かれる音と同時に、目で追えない速度でナイフが突き出された。
「……ね? 簡単でしょう?」
「いやいやいや、無理無理! っていうか、俺みたいな素人がナイフ持ってたら逆に危ないから! 丁重にお断りします」
「むー……」
俺の完全拒否に頬を膨れさせるミリア。
その後も俺が頑なに拒否すると、
「じゃあ、灯台に帰ったらちゃんと教えます」
と、しぶしぶ折れたのだった。