〈黒龍城塞〉からの脱出
ミリアの後をついて朽ちかけた細い階段を上ると、やがて頭上から光が差し込んできた。
「やっと外だ……!」
いい加減地下の瘴気にもうんざりしていた俺は、足を速めて階段を上った。
しかし、その先で俺は唖然というか落胆というか、言葉を失った。
一気に広がった世界は、薄い霧が立ち込める陰気な世界だった。
雲海のような霧の中に浮かぶ巨大な回廊や建築物。
それはまるで違法な増築を重ねたスラム街のように入り組んで、果てしなく霞の中へ続いている。
「ここは〈黒龍城塞〉……。第三灯台までは一晩ほどで帰れます」
「黒龍城塞……」
俺の呟きに答えるように、遠くから亡者の叫び声がこだましてくる。
花の舞い散る大草原を期待していたわけでもないが、それにしてもこれは……。
せっかくの異世界転移だというのに、暗澹たる気持ちになってくるなぁ。
「こちらです。足場に気を付けて」
三次元迷路のように入り組んだ空中回廊を、ミリアは迷いなく歩いていく。
回廊の下は霧に阻まれて何も見えない。落ちたらどうなるんだろうか……。
「あの……。〈灯台〉っていったい?」
「本当に何も覚えていないんですね……。なんだか、恰好も変わってるし」
丈夫そうな布と革の旅装束姿のミリアに対して、俺の恰好はパーカーにジーパンだ。
普通ならミリアの恰好の方が変なはずだが、この陰惨な空間では俺の恰好の方が浮いている。
「いや、実は……」
俺は恐る恐る、自分が全く違う場所から転移してきたらしいことを告げた。
◆
「時空転移……」
ミリアが顎に手を当てて呟く。
気が付けば二人は足を止めて話し込んでいた。
「〈アヴォイド〉の影響で、そう言ったことも起こりうるのかも知れません。この地では、何が起きても不思議ではない」
「アヴォイド……?」
俺が問うと、ミリアは神妙な顔で頷いた。
「元々ここは、太陽が降り注ぎ緑に溢れる豊かな地でした。……闇の異界〈アヴォイド〉に飲み込まれるまでは」
ミリアは憎々しげに霧の向こうを睨んだ。
「時空は歪み、世界は異界の|モンスターたちに蹂躙されました。私が4つの時です。住んでいた町も、自然も、家族も友人も、皆……」
「で、でも、その〈灯台〉ってとこに、仲間もいるんだろ?」
俺が聞くと、ミリアは微かに笑顔を浮かべた。
「はい。〈灯台〉は私たち人間が作った最後の希望です。〈灯台〉の光だけがアヴォイドの浸食を打ち消すことが出来るんです。我々残った人間たちは灯台の下に街を作り、何とか暮らしています」
「じゃあ、元の世界に戻すにはその灯台ってのをどんどん建てなきゃいけないわけか」
俺の言葉にミリアが苦笑する。
「そんな簡単な話でもないんですけどね。灯台の火を灯すには、モンスターを殺し〈スピリット〉を集めなければ──」
と、そこでミリアが口を閉ざして通路の先を睨んだ。
「……?」
俺も同じ方向に目を凝らすと、霧の向こうから誰かがやってくるのが見えた。
微かに〈シェル〉のゲージも見える。
おかしな方向に折れ曲がった首。よたよたと歩く腐りかけた身体。
360度どこから見ても、立派なゾンビだ。
ご丁寧に、半ばから折れた長剣で武装している。
「ミリア。あれ──」
「静かに」
言いかけた俺を手で制止して、ミリアは弓を構えた。
半身に構えると、矢を軽くつがえた弓を持ったまま重心を後ろに傾ける。
(不思議な構え方だな……)
と思った瞬間、ミリアの身体から金色の光の粒子が生まれた。
粒子が彼女の重心を表すように背中の方に流れる。
直後、ミリアは弓を大きく引き絞りながら力強く足を踏み出した。
光の粒子がそれに追従するように前方へ流れる。
「〈ヘヴィ・ショット〉!」
重い射撃音。
光の尾を引いて飛んで行った矢は、前方のゾンビ兵士の胸に風穴を開けた。
〈シェル〉が一撃でゼロになり、ゾンビが膝から崩れ落ちる。
「行きましょう」
ミリアはそう言うと、倒したゾンビの方へ足早に向かった。
俺も慌ててついていく。
「〈シェル〉を消失させると、シェルが全回復するまでこのように動けなくなります」
地面に横たわったままのゾンビを見下ろしてミリアが言う。
「まだ生きてるのか?」
「ええ。この状態に──」
ミリアが矢を番え発射。今回はあの独特な動きは無しだ。
ゾンビ兵の背中に矢が突き立つと、その体はさらさらと黒い煤のように風化し始めた。
「これで、完全に倒しました」
スケルトンの時と同じように、風化したゾンビの跡に人魂のような光が浮かぶ。
「これが〈スピリット〉……。モンスターに凝縮された異界のエネルギーです」
ミリアが手をかざすと〈スピリット〉が吸い込まれて、ミリアの中に消える。
「このスピリットを燃料に灯台の光を灯しています」
「ってことは、モンスターから身を守るために、モンスターを倒さなきゃいけないってことか? なんつーか、本末転倒な……」
つい身も蓋も無いことを言ってしまった俺に、ミリアは怒るでもなく苦笑した。
「同感です。だから、私のように灯台の外でスピリットを集める専門の人間……〈コレクター〉がいるんです」
「ちょっと待って、ややこしくなってきた」
頭が痛くなってきた俺は、こめかみを揉みながら順序だてて記憶を整理した。
──この世界は闇の異界〈アヴォイド〉に浸食されていて、モンスターがうじゃうじゃいる。
灯台と言われる場所だけは安全で、その灯台を動かすのにモンスターのスピリットが必要だ。
そして、灯台の外でモンスターを狩りスピリットを集めるのを生業にしている者をコレクターという。
「……オーケー、分かった。ラノベによくあるバラ色の異世界生活が絶望的だということが」
げっそりと漏らした俺の言葉に、ミリアは不思議そうに首を傾げた。
「……? 良く分かりませんが、理解していただけて良かったです」
言いながら弓を背負いなおす。
そして、俺を上目遣いで見つめた。
「じゃあ、今度はラインハルトさんの番です。聞かせてください、あなたの世界の事」
「だから、名前微妙に間違ってるんだけど……。俺の世界の事、ねぇ」
ミリアの先導で陰気な空中回廊を歩きながら、俺は現世の東京についてあれこれと解説する羽目になった。