第05話 やがて来る嵐、テンペス
「この近辺では特に危険視され、頻繁に発見報告があった狼男に、こんなとこで会うとはな」
「おォい! だから狼男じゃねえケルベロスだっつってんだろ! 吠えるしか能のねぇガキ共とはそこ違うとこだから間違えんな。俺様の機嫌を損ねたら地獄の入り口があくぜぇ! ハアァッ!」
テンペスが獣臭さをまき散らしながらまくしたてる。やたら喋る奴だと場違いな感想を浮かべながらも、エドワールはその迫力に圧倒され、冷や汗が頬を伝った。
「んで、そっちの嬢ちゃんは久しぶりだな。相変わらずおっそろしいツラの仮面してやがる」
テンペスがエドワールの後ろに視線をうつした。
「知り合いか、エリス」
エリスは小さく頷く。彼女は先程農夫と会話をしていた時と同じように、エドワールの背に隠れていた。
「旅仲間として忠告しとくがな、友達は選んだ方がいいぞ」
「ハアァッ! 俺もそう思うぜ。ま、ウチのボスは嬢ちゃんの事を嫌ってるみてえだがな。しかしそうかい。つまりはこの兄ちゃんが例の『王子様』ってわけかい。なかなかの色男じゃあねえかよ。ま、俺様ほどじゃあねえがな!」
テンペスはしげしげとエドワールの顔を見た。爛々と輝く金色の眼に見据えられ、エドワールは後ずさりそうになるのを抑えるので精一杯だった。
「見たところ、あんまり強そうじゃねえな。だが得体のしれねえ気配は確かに感じるぜ。っといけねえ。どうも今日は機嫌が良いや。三つ首で最も無口で思慮深い俺様が、つい喋り過ぎちまった。最近じゃめっきり俺様とやり合おうっていう奴も居なくて、退屈だったからよ」
ケルベロスを自称する狼男が、愉快そうに自慢の爪を鳴らし、牙をむき出しにして身構える。それは地獄の門番というよりは、鎖を喰いちぎって放たれた狂犬だった。彼が戦闘態勢を取ったことで周囲の狼も昂ぶったのか、うなり声を強め吠え始めた。
エドワールの腰の剣を握る手に、力が入る。
「ボスは手を出すなと言った。言ったがッ! こんな獲物を目の前に知らんぷりなんて無粋なこた、できねえよなぁ! ッハアァッ!」
テンペスが顔の前で両手をクロスさせて大きく息を吸い、星も落とさんとばかりの咆哮を天に轟かせようとした、その瞬間だった。
「待った!」
「グ! ……ォ?」
広げた手を前に繰り出したエドワールの大声に、テンペスがそれこそ魔法にでもかかったかのように動きを止め、喉まで出かかった声を詰まらせる。その様子に狼達もぴたりと吠えるのをやめ、テンペスを仰ぎ見た。
「一応聞くが、用事があるのは俺のほうか?」
「なんだそんな事かい。あァそうだ。ここで俺と闘りあってもらうぜ。安心しな、周りの狼共には手をださせねえからよ」
「それならエリスと俺の馬は関係ないだろう。囲いを解いて、外に出してくれ」
エリスが顔をあげ、エドワールの横顔を見た。
「そうはいかねえな。人質なんてもんは趣味じゃねえが、兄ちゃんには本気になってもらう必要があるからよ。それに、実はアンタの逃げ足がとんでもなく早い、なーんてことでもあったら困っちまうからな」
「ずいぶん慎重なんだな」
「言っただろ。俺様は思慮深ぇのさ。もういいよなァ?」
再びテンペスが構えを取り、再び深く息を吸った。狼たちも再び牙をむき、エドワール達を睨んだ。
「待った!」
「グオッ……今度は何だよオイィ! いっぺんに言え!」
テンペスがつんのめりながらまくし立てた。狼達がまたもテンペスを見上げる。
「まさか命乞いでもしようってんじゃないだろうな!」
「覚悟は出来てるさ。ただ、そっちが名乗った以上、返すのが礼儀だと思ってな。墓に書く名前も必要だろう?」
「おぉおぉ、そういやそうだ!」
エドワールは胸に手を当てて名乗った。
「俺の名前はエドワール。つい先ほどまでは極西騎士団第十二分隊の末席を飾っていた。今はただの旅人だがな」
「ッハアァ! ご丁寧にありがとよ」
「騎士団でもケルベロスは有名だったよ。脅威レベルが最高位クラスの連中だからな。しかしボスってのは誰の事だ? もしか魔王のことか?」
「オイオイなんだよ兄ちゃん知らねえのかぁ? 大陸のモンじゃあねえのかぁ? それかよっぽど能天気な親に育てられたか、どっちかだな」
呆れたようにテンペスが続ける。
「魔王は確かに魔族の王だ。だが森の中じゃそうじゃねえ! ここで俺様達に命令できるようなヤツっていやあ一人しかいねえだろうが! 人間共は名前を聞いただけで震えあがり、ガキなんざ姿を見ただけで魂だけ残して肉体が消し飛ぶ、百の森と『妹達』を思うがままに支配する『緑淵の魔女』よ!」
「『緑淵の魔女』? なるほど魔女か。そいつは大したボスのようだ。しかしそうなると、お前たちも苦労してそうだな? 魔女ってのは、ずいぶん身勝手なようだしな」
「アァ? おいおい兄ちゃんテメェずいぶんと……なかなかよく解ってンじゃねえかよォ!」
テンペスが感心したように大げさに両手を広げた。
「あいつは! あいつとか言っちまったが、つまるところ人使いが荒ぇんだよ! 俺たちには獲物を取らせておいて、自分は人間魔族の見境なく男漁りと来た! あげく最近じゃ洗濯物みてーな小間使いがやるような事まで押し付け始めやがってよぉ! そういうのが得意な妖精共にやらせりゃいいのに、俺たちが爪を立てないようにそーっと、そおおーっとうすっぺらいドレスを絞るとこを、あの野郎! 愉快そうに笑いながら見てやがるんだ! 優雅に紅茶なんかすすりながら……ックショー! 思い出すだけで情けなくって泣けてくるぜェ!」
「解る解る。解るぞ。俺も今日会ったばかりの女に日常を滅茶苦茶にされ、仕事も失って、ここまでの道中好き放題やられっぱなしなんだが、驚いたことに、そいつも魔女なんだよ」
酒場で上司の愚痴をこぼしあうような奇妙な空間が展開し、気が削げたのか、狼たちも座り込み、あるものは腹這いになってあくびまでし始めた。
「苦労してんだな兄ちゃんも。ところでその魔女ってのは、ひょっとして……」
「そうだ。今俺の後ろにいる」
「ブッハハアァーッ! そうかい! 嬢ちゃんもそうだったかい!」
「ここまでくると、ひょっとしてたまたまこいつが特別なんかなと脳裏をよぎったんだが、それは間違ってたな。魔女というのは総じて我儘だ。合点がいった」
「ここだけの話だが俺もそう思ってたぜ。ッハァ」
二人が腕を組んで猛烈に頷く。話の槍玉にあげられたエリスも、仮面の上からでも解るほど呆れてぽかんとしていた。
「うんうん。ところでテンペス。言いにくい事があるんだが」
「あんだぁ? かまうこたねえ。言ってみな」
「あの向こうの木の陰にいるのは、おたくのボスと違うか?」
エドワールが遠くを指さす。テンペスがぎょっとして肩をすくめた。
「まさかッ! この時間はどっかの優男とのんびり酒でも飲んでるはずだぜ! 俺様はちゃんと見計らってきたんだからな!」
そう言いつつ、テンペスは勢いよく振り向き周囲を見渡した。夜目が利く彼は焚火からやや離れ、さらに右へ左へと首を振り回し、鼻をひくつかせた。
「ん? オイ、ちょいと待て」
そんなさなか、彼はふと気が付く。
「兄ちゃん、さっき知ったばかりのうちのボスの姿が、なんで解るんだ? 大体人間はこんな暗くちゃ何も見え――」
振り向いた彼が見たのは、わたつきながら馬に乗り込む二人の姿だった。
「あれェ? オイ兄ちゃん何して……あっ、ああァーーッ!」
「突っ走れダリア!」
テンペスが騙されたと気づいたのと同時にダリアが大きくいななきをあげ、狼たちの隙間を駆け抜けた。
「あのやろ、だっ、だっ、騙しやがったなアアアアァァ! おいお前ら! 呑気に寝てんじゃねえ起きろッ! アオォーーン!!」
テンペスが一際大きく鳴くと、すっかりくつろいでいた狼達も慌てて馬の後を追い始めた。