第03話 東へ
「ダリア、俺は今二つ驚いている事がある」
エドワールが、彼と魔女エリスをのせ街道を疾走する愛馬に語りかけた。
「まず今日初対面なはずのこの魔女が、よくもこんだけ図々しくいられるなという点だ」
「美味しいねこのお菓子。ほかにも無いの?」
「だーっ!もうちょいおとなしくしろ!」
揃えていた足も投げ出し、すっかり馬上でくつろぐ姿勢をとり、エリスが騎士の向こうに積んである荷物に手を伸ばして中身を探る。崩しかけたバランスをなんとか戻し、青筋を立てながらエドワールは続けた。
「そんでもう一つは、こいつが俺と普通に……普通でもなかったがとにかく会話できているという事だ」
焼菓子を仮面の隙間から次々と吸い込みながら、エリスが何度も頷いた。
「まともに他人と話せる機会が少ないから嬉しいんだね」
「今まで、まだかろうじて話が出来た奴らも、世間様とは距離を置いてる奴らばっかだった。俺と会話が出来る人間はどこかズレててまともじゃないんじゃないかといつも思ってたがな。お前のおかげで確信した、ありがとよ」
「ふぉういはひまして」
彼らの旅立ちを祝福しているかのように空は晴れ渡り、蹄が地を蹴る音が心地よく響いた。馬上はそれに反して皮肉が飛び交っていたが、エドワールは実際の所、苛立ちよりも驚きと、エリスが言う通り、ほんの少しの喜びが勝っていた。
(やっぱり俺と気が合う奴は皆、傍の時計が壊れても気にしないような、度を越した変人ってことなんだな。
いや断じてこいつとは気が合ってるわけではないが)
彼がくっくと歯を鳴らしたかと思えば、必死に首を横に振り回すのを見てエリスが気味悪がった。
「急に笑ったりして何?大丈夫?」
「いや、我ながら肝心な事を聞いてなかったと思ったのさ。例の魔具を破壊するって話だが、魔王の本拠地に乗り込む訳だろ。何か勝算はあるのか?他に仲間がいるとか」
次の菓子を仮面の中に放り込み、エリスは仮面の内で顎を動かしながら答えた。
「居ない」
「へぇっ?使い魔とか、別の魔女が協力してくれるとか、ないのか」
「私と騎士様、あとはこの子。ダリアっていうんだ。素直で良い子だね」
「団を出奔したんだから騎士様はもうやめろ。だがそうなると、これがこっちの総兵力か」
「大勢で動くとかえって目立つからこれで良いの」
騎士団を抜けるきっかけには丁度良いと同行を承諾したエドワールも、次第に後悔が沸いて出た。言わずもがな、彼にも頼みにできるような組織があるわけではない。正確には、つい先ほどまでは一つだけあった。
(極西の団長に話をしたらきっと信じてくれるし、協力もしてくれるだろうな)
そう思えばこそ、殊更巻き込む気は起きなかった。極西騎士団は一部魔族が混じっているとはいえ、ほとんどはただの人間である。エリスの言葉によれば、魔王の下へたどり着いたとて、自分以外は確実に無事では済まないだろう。それに加え、気に食わない態度ながらも、淡々として迷いの無いエリスを、どこか頼もしく思っていた。何せ彼女は、叡智と魔力溢れる森林の化身、魔女である。
「とすると何か。俺たちだけでもいける、特別な作戦でもあるわけだ」
「無いよ。正面から城に乗り込んで歯車を叩くだけ」
エドワールはあやうく頭から落馬しかけた。
「あのな……魔王は犬小屋にでも住んでるのか?あ、おい。何してやがる」
エリスがエドワールの背負っている小弓を引っ張る。一向に落ち着かない同乗者に呆れながら、エドワールは上半身をひねって彼女に弓を取らせた。
「この弓の弦が、時間の流れの速さを表しているとすると、今の世界は引絞った状態になっていて……魔王がいるのは私の指の位置」
エリスが弓を引きながら説明する。
「こうなった魔王は世界一速い。姿をとらえる事すら誰にも出来ないから、無敵。だから、警備も薄いはず」
「はず、って事は確かじゃないのか」
「でも他に方法は無いから。この世界の人間の国が今すぐ一致団結しても、もう勝てない」
切迫した状況をさらりと告げながら、彼女は続けた。
「『絶対歯車』を破壊するためには、歯車に近づいて、直接『針』で刺さないといけない。それが出来るのは騎士様だけ」
「『針』?」
「特別な魔具の歯車を、ただ一つ壊すことが出来る魔剣『クロノカリバー』のこと。でも生成には貴重な材料が必要だから、東に向かいつつ集めないと」
エリスが引絞った指をはなすと、弓が鳴った。震える弦を横目で見ながら、エドワールが溜息を洩らした。
「伝説の剣を探して、山ほどいる魔族をかいくぐって、連中の王を倒して……まるでおとぎ話だな。わかっちゃいたが、安請け合いしたもんだ。しかし東に行くってことは、城塞都市も通るのか?」
「通るよ。材料の手掛かりが一番多いはずだし」
「まあそうだよな」
不遇な生活により打ち鍛えられた豪胆なエドワールは、ここまでのエリスとの会話で一度として表情を曇らせたことは無かった。そんな彼の瞳に、初めて陰りが差す。彼を見上げていたエリスにもそれは見てとれたが、どこ吹く風で続けた。
「クロノカリバーの材料は『贖罪のミセリコルデ』、『オークの心臓粉末』、『妖精の髭紐』、『チェードの』……」
「おいおい、そんなの一度に覚えられないぞ」
「今言った4つだけ。これに書いてあるから」
エドワールが渡された小さな紙片に目を通す。どれも聞いたことのないようなものだったが、最後に記されたものは特に違和感を感じた。
「この『チェードの結晶』、ってのはなんなんだ。チェードっていうと魔族と人間のハーフのことだろ。ここで言う結晶ってのはつまり……」
「子供の事」
返ってきた応えに彼の予感は的中し、ぞくりと寒気がする。
「これ剣の材料なんだよな」
「そう」
「まだとどめ用の短剣は解るが、心臓だの子供だの……さすがに代用品は無いか」
「うん」
昼までは騎士だった男から、二度目の大きな溜息が漏れる。
「そんなに気にしなくても平気だよ。私魔女だし。魔女は、奪うのは得意だから」
思わず視線をエリスに向けたエドワールだが、まるで表情の読み取れない仮面が菓子を食んでいるだけだった。
「それともやっぱりやめる?」
「……」
エドワールは黙って紙片を懐にしまう。そこからはしばらく馬上に沈黙が続いた。
いつしか街道は森に入っており、道も荒れ始めている。極西騎士団に退団願いを提出したあと、エリスに示された最初の目的地が近づいてきていた。
「地図によるとこの近くだな」
近くに川のせせらぎを感じ、エドワールは馬の脚を緩めた。道端の看板に『アグモグ』とかすれた字で書いてある。
「ここの蜂蜜酒は極西でも大量に仕入れてて、たまに食後に振舞ってもらったが、美味かったな。」
エドワールの独り言を興味なさそうに聞くエリスだが、森は彼女にとっての住処なだけあるせいか、ぶらつく足を見ると機嫌はよさそうだった。
看板は確認できたものの、道がやや入り組み始め、森も深くなってきたために見通しも悪く、なかなか村らしきものは見えなかった。すっかり菓子を食べ終えたエリスが、退屈そうに馬のたてがみを結びだしたころ、エドワールが森の道が開けたところに小さな農家がぽつりと立っているのを見つけた。
「そこそこ薄暗くなってきたし、気は進まんが仕方ない」
エドワールが馬を降りると、エリスも続いた。
「休憩なしで走ってくれたからおしりが痛い」
「こっちはお前のおかげで右腕がしびれっぱなしだよ」
エドワールは勝手な文句に言い返しながら愛馬を木に繋ぎ、服を整えた。歩き出した彼の後ろに、伸びをしながらエリスがついてくる。
「気が進まないってのは野宿の用意?」
「いや、あの民家に道を尋ねてくる」
「えっ」
エリスがぴたりと足を止める。
「……私ダリアと待ってる」
「ああ、そのほうがいい。その仮面じゃ都合も悪いだろう」
「なんの都合が悪いんだい」
突然の声にエリスが飛び上がった。エドワールも驚いて振り向く。
「ごきげんよう。なんか用かね」
「やっ、どうもすいません。お騒がせしまして」
いつの間にか二人の背後に、老いた農夫が立っていた。畑作業を終えたところなのか、鍬をかつぎ、簡素な服がところどころ土で汚れている。しどろもどろなエドワールの背後にエリスがそそくさと隠れた。
「旅の者ですが、アグモグになかなかたどり着けなくて。ここからどれくらい進んだ所なんでしょう」
「ああ。もうここは村の一部みたいなもんだが、本村まではまだずいぶんあるから、どうだろうね。着くころにはずいぶん暗くなっちまうね。今何時だ。ちょいとまっとくれ、この前孫にもらった懐中時計を……」
「あーっ! 時間は大丈夫です! 方向と大体の距離さえわかれば十分ですので!」
エドワールがエリスごと後ずさりながら慌てて止める。あまりの慌てように農夫は首をかしげ、懐に入れかけた手を戻した。
「そうかい。ならあすこの小道をいったところだ。まあ今からいそぎゃ宿はとれるかもしれんが、途中にもう誰もつかっとらん納屋がいくつかあるだろうから、なんならそこで一夜明かすとええ」
「ありがとうございます」
「うん。お連れさんに不自由ないようにしてやんな」
すっかりエドワールの背中に隠れたエリスに、老人は微笑みかける。
「そいつはもちろんですとも。おじいさんありがとうございました。どうかお元気で!」
「うんうん。気いつけてな」
エドワールは老人に身体を向けたまま手を振り、しがみついたエリスを引きずりながら、つないだ馬の傍へ歩いて行った。老人も手を振りかえすと、家の方へときびすを返した。それを見た二人はここぞとばかり大慌てで馬に飛び乗り、小道によじ登る。
「孫の贈り物とはまいったな。壊れてなきゃいいが」
老人の見送りまでも警戒しているのか、エリスは身をかがめで騎士のふところに潜り込んでいた。
「しかしお前、もしかして人見知りか? ひょっとして照れ屋なん――」
「違う!」
「んがっ!」
エリスが勢いよく顔をあげ否定したものだから、エドワールの顎に仮面の端が思い切りぶつかった。
「仮面見せて卒倒でもされたら余計な手間だったでしょ」
「いてて……それなら、他の仮面とか無いのかよ」
「とやかく言ってないでさっさと出発してよ、このボンクラミソロジー!」
「だれのボンクラが神話級だ」
顎をさすりながらエドワールは手綱を握りなおす。
「日も暮れて来た。飛ばすぞ」
二人を乗せたダリアが速度を増し、小道に消えていった。
彼らを見送った老人が、自宅へと戻る途中、先程の旅人の狼狽ぶりを思い出し、懐に手を入れた。孫からの贈り物の懐中時計は素朴だが、老人の雰囲気にはよく合っている。大事そうにゆっくりと服の袖で拭いて、蓋を開いた。
「はて、まだ夕暮れ時だが。昨日の今頃はここまで暗かったかのう」
湿り気を帯びた風に頬を撫でられ、老人は帰路を急いだ。
暗闇に染まった森に、狼の遠吠えが木霊する。