天秤の魔女、アルテア
「はい、ママの抱っこですよー」
「わ、わかったからやめ……うわぷ」
魔女のアルテアさんはとにかくスキンシップ(?)が好きだった。
離れようとしても抱きしめられて、逃してくれない。
母だというのが本当だとは思えないけれど、少なくとも敵意が無いことは確かみたいだ。けれど相手は気まぐれな、人智を超えた魔女。下手に機嫌を損ねても良いことはなさそうだ。
僕は諦めて、身を委ねるしか無かった。
「あの、アルテア……さん」
「ママでいいのよー?」
「よくないよ」
やっぱり無理だ、相手は初めて出会った魔女。それも伝説級だと畏怖される最強の魔女の一角なのだ。
「んーもう、アルドは恥ずかしがり屋さんねぇ、うふふ。じゃぁ、お母さん……って呼んでくれてもいいわよ?」
つんっと頬を指でつついてくる。
「もっと無理……」
調子が狂う。
とにかく恥ずかしい。
周囲は真っ白な空間で誰もいないのが救いであり絶望だ。
アルテアさんが僕を抱きしめながら、寄りかかっている巨大なクッション以外はふわふわした雲の上のような空間。
エルリアも居ないところを見ると、僕だけが「使い魔」に関わったことで連れてこられたのか。
夢のような空間かとも考えたけれど、それにしては妙に体温や身体の柔らかい感触がリアルだ。本当にここから帰れるのかと少し不安になる。
けれど、これは旅の目的を果たすチャンス。この機会を逃してはだめだ。
とにかく話をしてみよう。
「あの、ここに僕を呼んだのは何故ですか?」
「アルドの成長具合を確かめるためよー。えいっ」
「ひゃっ!? 変なところさわるな!」
「あーんもう、いいじゃない親子なんだからー」
「さっきから親子親子って、冗談……ですよね?」
「本当よ? 肉体的には親子じゃないかもしれないけれど、誕生に関わったのだから本当よー。お腹から生まれると本当の親子? お母さんがお父さんと愛し合って肉体と魂を分けた分身? アルドとエルリアを育ててくれた人とも親子でしょ? どういう形であれ、親子には変わりないとおもうわよー」
「う、うーん……?」
よくわからない。謎掛けみたいだ。出生の秘密は聞いたところで深みに嵌りそうな気がした。この話は一旦やめにする。そもそも問題の本質ではないのだ。
「ミスティアさんを、どうして襲ったんですか?」
「母親として子供を守ろうとするのは当然よ」
憤慨したような口調になった。やはり怒っているんだ。
「私からの福音、大切な子供達へのプレゼント、魔を祓う聖なる力、エルリアルドの秘密に踏み込んだ、あの魔女がいけないの」
「やっぱり、アルテアさんがくれた力なんだ」
「そう。私からの愛! 愛のおくりもの。それをズカズカ入り込んで蓋を開けて、覗き見るなんて、失礼しちゃう。幾重にも厳重に施錠していたのに魔法真理を見抜かれるとは思わなかった……。愛しのアルドとエルリア、わたしの子供達。優しいエルリアの心が許したのね。あの子の夢に土足で入り込むなんて酷い魔女……。母親として怒って当然でしょ? アルドもそう思うわよねー?」
「だからってあんなこと……! それに、僕も殺されかけたんだ」
眷族のマリオネッタに操られた人形に。
「あーん、ごめんね、怪我はなかった?」
「無いけど、本気で攻撃されたし」
「あれは魔法で捏ねた自律駆動人形で、アルドだって認識できなかったの」
「でもエルリアルドの力で……勝てたんだ」
「うんうん、偉い! そうね、その力は魔を退け、魔法を斬り払い、魔女さえも殺す……。使い魔なんかに負けるはずがないっ、ママの子だもん!」
がばっと抱きつかれてヨシヨシされる。
「だからーっ」
と、突き放す。
「あーん。でも、おかげでアルドとエルリアの居場所がわかったの! エルリアルドの力が時々発動するたびに、場所は判るのだけど……見失っていたのよね」
えへっ、と可愛らしく舌を出す。
要はミスなわけだ。
危なく殺されるところだった。自称、母親に。
「っていうか、そう! エルリアルドの力ために、僕とエルリアが双子になったって本当なの? 魂の双子って、どういうことなのさ!?」
「知っちゃったのね……。実は、二人が十六歳になった時に、私が『実は君たち兄妹は……』って秘密を明かして驚かせよう! サプラーイズって思ってたのに、あの魔女のせいでーっ」
ぷんぷんと怒ったように拳を振ると、胸もゆさゆさ揺れる。
「そんな軽いノリなの……?」
唖然とする。あの力のせいで何度も助かったけれど、命がけで戦ってきたのに。
「だったら……。お願いです、エルリアの竜の呪いを解いてくれませんか!? 姿をもとに戻してほしいんだ! それで僕は消えてしまっても、なんだっていいから!」
膝をつき真剣な眼差しで、アルテアと膝突き合わせて直談判した。
すると優しい眼差しを向けたまま、なんだか困ったような顔をした。
「……すこし、ママの話を聞いてくれるかしら?」
頷くしか無かった。
僕とエルリアの求める答えに、もう少しでたどり着く。
「ママはね『乳母の魔女』って呼ばれていたことは話したわね」
「……うん」
「今から千年近く前、初めは小さな村で出産を助ける産婆の魔女だったの。まだ若いアルドくらいの時からね。ときにはお乳の出ない母の代わりにお乳をあげて、乳母もした。そこで、数多くの生と、死を見てきたわ……。気が遠くなるほどの長い年月を生きて、いろいろな場所で、いろいろな人たちとの出会いと別れを繰り返した。ママはね、時間を旅してきたの」
遠くを眺めるような瞳で、アルテアさんは僕に手を伸ばすとそっとほほに触れた。
「……」
「ずっと、人間の生と死をみつめてきた。新しく生まれてくる命、残念ながら助からない命もあった。でもね、ある日、何百年も昔に、ママはついに禁忌を犯したの。死ぬはずだった赤子を蘇生させた。死の運命を、捻じ曲げてしまったわ」
「死の……運命を?」
「そう。死ぬはずだった赤子を、魔法で救った」
すごく悲しそうな顔をした。
「良いことに……思えますけど」
「ううん、私もそう信じていた。でも違ったわ。死なない運命に導いた。その子はね、生まれたとき心臓が止まっていた。母親も死に、父親もいない。あまりにも不憫で、悲しくて。魂をつなぎとめたわ。必死だった……。でも、それは犯してはいけない禁断の領域、人の生死に踏み込むことは、産婆の魔女としての一線を越える禁断の行いだったの」
「それで、その子はどうなったんですか?」
「えぇ。私が育てた。元気に育って、やがて巣立っていき……立派な大人になったわ」
「よかった……」
「やがて国の騎士になって、王様に仕えたわ。そんなある日、王様の命令で、村外れで暮らしていた一人の魔女を殺した」
「えっ?」
「私が助けたちいさな命が、何十年後に誰かの命を奪った。ママは悲しみ、苦しみ、悩んだわ。私がもし、あの子を救わなければ、魔女は死なずに済んだかもしれない。あるいは誰かが代わりに殺したのかもしれない。命を救うことで誰かの運命が変わった。因果を曲げるという罪の対価……。運命の意味を、定めを、考え続けるという呪いに苦しむことになった……永遠に」
産婆をするたびに乳母をするたびに考えた。
この子が生まれることで誰かが幸せになる。
けれどどこかで誰かを傷つけるのだろうか。
死ぬはずだった誰かを救うことで、世界の定めが歪み、誰かの運命がさらに複雑に分岐してゆく。
自問自答、永遠に思考し続ける牢獄に囚われた。
「そんなこと……! アルテアさんは赤ちゃんの命を助けたいと願った。その何がいけないんですか!? 大人になって騎士になって、魔女を殺したのだってきっと理由が……。人を苦しめる悪い魔女だったかもしれないし。それに騎士として大勢の人助けをしたかもしれないのに」
「アルドは優しい子ね……。でも理由はどうあれ、失われる命の運命を変えた。そのことで世界に歪みが生まれたの。死ななくていいはずの人が死に、死ぬはずの誰かが生きる。そんなふうに」
「でも! それはアルテアさんが背負うことじゃないと思う。戦争や病気、事故、なんだって運命は変わるんだ……!」
「だからこそママのような愚かな魔女が、変えてしまおうとする世界の、均衡を保たなきゃいけないの」
そうか。
ようやく理解できた。
だからアルテアさんは「天秤の魔女」なんだ。
運命の天秤を操り、均衡を保とうとする。
大きな力が働き世界の運命が傾けば、それとバランスを保つための力を産み出し、世界に放つ。
それが僕とエルリアに課せられた運命。
エルリアルドの力なんだ。
「あの人が……金杯の魔女メイヴと呼ばれるあの人が、欲望の力で世界の均衡を大きく揺るがした」
アルテアさんは語った。
そこから世界の多くの人の運命が狂いだした、と。
メイヴが貸し付けた金貨で名声を成した者が、国の王となった。歪みの上に歪みを重ねた世界が積み上がってゆく。
欲望に目の色を変えた国王は、竜を討伐した。更なる富と名声を得るために。
しかし竜が死ぬ間際、王妃に呪いを放った。そして、お腹にいる胎児に呪いが降りかかった。
「偶然、ある国で生まれながらにして竜の呪いを背負った赤子が生まれると知ったわ。知る力があったから。そう、エルリアね。呪われた子は殺され、捨てられるしかなかった。だから命を救うため、胎児の段階で……アルド、あなたという双子の魂を作ることで、呪いを中和し均衡を保った」
「魂の双子、呪いの中和……」
「そうね。エルリアの欠片からアルドを作った。禁忌を犯すのはもう慣れっこだったわ。生まれてくる命を救いたかった。竜の魔力と均衡を保てる力が必要だった」
「それがエルリアルド」
静かに頷く。
「逆位相の魔力波動による対消滅、中和してしまうエルリアルド。その仕組みを考えたのは、大昔に一緒だった賢者よ。その力をアルドという魂の双子に託したの。それほどに竜の恨み、呪いは強力だった」
「それじゃ……! エルリアの竜の呪いは――」
「消えはしない。方法はあるかもしれない。でもエルリアルドの力があるからこそ、エルリアは生き、人でいられるの」
「そんな……そんなことって……!」
愕然とした。
明かされた真実の重みに目眩がした。
呪いと均衡を保つために エルリアの命を救うために、僕という軛にエルリアルド発動の鍵を封じた。
竜の呪いを解く方法はない。
僕が死ねば解決する、というのは間違いだった。
エルリアは竜になる。人でいられなくなる。
僕が消えるわけにはいかない。でもそれじゃ、エルリアはずっとあのままで……。
「運命を受け入れるのは時として辛い。でもね、生まれながらにして手のない人も、目の見えない人もいる。嘆きこそすれ、やがて運命を受け入れて、みんな力強く生きていくわ。五体満足だって辛いこともある。でも喜びは誰にでも平等に与えられる。エルリアは、あの子はどう?」
「……! エルリアは……」
そうだ、エルリアは悲しい、辛いなんて、泣き言を言ったことなんてなかった。
街で羽や尻尾を笑われても、その時は僕が追い払った。
それでよかったんだ。
エルリアは何事もなかったように微笑んで、僕の手をとった。
妹を守る。それが僕の使命なんだって思った。
竜の呪いが定められた、運命?
なら、生まれずに死んだほうが良かった?
そう思ったことなんて一度もない。
だって、
『――アルド!』
『――アルドくん!』
『――メゲェ!』
声が聞こえた気がした。
遠くから、呼ぶ声が。
懐かしいみんなの声。
そうだ。
竜の呪いやエルリアルドの力が最初から無かったら、きっと旅をしなかった。
でもそれじゃエルリアは、みんなと出会えなかった。
ジラールやロリシュにメリア。それにペーター君だって。
エルリアは皆が好きで、いつも楽しそうに笑っていた。
笑顔――。
それが見たくて、僕はあの日、エルリアの呪いを解いてあげると誓ったんだ。
でもそれは、違った。今のままでもエルリアは、笑顔でいられるんだ。
運命を受け入れる。
呪いと共に生きてゆく。
それだって幸せになれる。
これからも、なってみせる。
「ごめんねアルド、背負わせて」
僕は呆然としていたのだろうか。
じっと優しい眼差しが見つめていることに気がついた。
「……違うよ」
アルテアは……いや、
「母さんは僕らを救ってくれたんだ」
「アルド……」
真珠のような涙をこぼし、僕を強く抱き締める。その背中に腕を回し、ぎゅっと力を込めた。温もりが伝わってくる。
「ありがとう、母さん」
<つづく>




