灼熱の魔女、イフリア
◆
「まったく、金杯の魔女にも困ったものじゃ」
愛くるしい少女が、つんと唇を尖らせた。
赤い舌を唇の間から覗かせると、蝸牛のようなキャンデーをチロリと舌先で舐める。
プラチナブロンド色の長い髪をツインテールに結わえ、赤いリボンを頭の左右にあしらった少女は、フリルつきの赤いロリータ風ドレスに身を包んでいた。あどけない顔立ちに、つぶらな瞳。それはまるで動くドールのような印象を見たものに与えるだろう。
「人間を上手く使役してこその、魔女らじゃろうに」
十歳にも満たない可憐な少女は、その見た目とは裏腹に老獪な凄みのある声を出した。その黄金色の瞳には、強大な魔力を持つ者特有の輝きが宿っている。
『イフリア様、軽々しくあの御方の名を口にしてはいけませんニャァ』
イフリアと呼ばれたツインテール少女に話しかけたのは、黒猫だった。
何処からともなく現れた黒猫が、軽やかに白いテーブルの上に跳び乗った。静かに長い尻尾を揺り動かし、あくびをする。
「じゃぁ、ババアでいいかしら? 不死の秘法を手にした魔女、災厄の魔女、金の亡者、いったい何百年生きれば気が済むのじゃ」
ギャース! と黒猫が叫び背中の毛を逆立てた。
『おやめくださいニャ! 焦熱の魔女イフリア様のお言葉ともなれば、あの御方と同等だニャ。魔力波動を通じて、あの御方の耳にでも入ったら……』
テーブルから飛び降りると黒猫は、キョロキョロと怯えた様子で辺りを見回した。よほど金杯の魔女、メイヴが恐ろしいようだ。
だが、灼熱の魔女イフリアと呼ばれた少女は意に介さず、ふんと鼻を鳴らす。
「こっちは損害が出ておるのじゃ。痴の一つも言わずにおれようか。大損じゃ、商売上がったりじゃ! 魔物が大量発生したおかげで通商路が寸断、物流が滞り、サプライチェーンが崩壊寸前じゃい!」
ぷんすか、と憤慨した様子で頬を膨らませる。
『とんだ災厄でしたニャァ。被害はナルリスタ王国にとどまらないのニャ』
「迷惑なんじゃ。誰が頼んだというのじゃ? 借金の取り付けだか回収だか何だか知らぬがの。まったく」
イフリアは窓辺に置かれた椅子に座り、不貞腐れた顔で視線を外へと向ける。
眼下に広がる街並みは、穏やかで平和だった。
とはいえ、金杯の魔女メイヴの魔物は、イフリアの領域にまで影響を及ぼしていた。
交易路が遮断され、物量が滞り、商売が成り立たない。
「金貸し業の金杯の魔女は、儂ら生産職の苦労をわかっておらんのじゃ」
眼下に広がる街は他と雰囲気が違っていた。大きな煙突がいくつも天に向かって立っている。地区ごとに大小様々な煙突が竹の子のように無数に生えている。
黒煙や煤の類は吐き出しておらず、湯気のような白い煙を先端から勢いよく吐き出し続けている。
ここは、灼熱の魔女イフリアの支配地。
ディルスチームアの街。
レムリア大陸のほぼ中央部に位置し、月の印と呼ばれる巨大な盆地の内側に存在する魔法工術都市だ。
月の印は、太古に「月の欠片が降ってきた」という伝説の残る窪地であり、推定直径は五十キロメルにも及ぶ。
中央には直径三キロメルの湖があり、底知れない深さと、恐ろしいほどの透明度を誇っている。地下からこんこんと湧き出す清水は、周辺地域で生活する人々の暮らしを支えている。
煙突の一本から勢いよく蒸気が吹き上がった。
盆地の内側は地殻変動により、高温の水蒸気や温泉が所々で湧き出している。そうした天然エネルギーを生かした産業、工芸や農業、あるいは温泉業などが発展し、さまざまな特色を持った街や村が点在している。中でも最大の規模を誇る中心的な都市が、ディルスチームアだった。
しかし、今や産業を支える流通網――サプライチェーンが麻痺し、混乱をきたしていた。
原因は金杯の魔女メイヴが引き起こした災厄のせいだ。
金貨や銀貨を魔物に変えるなど、馬鹿げているにも程がある。
北の小国ナルニスタとはいえ、宝物庫には膨大な財貨が眠っていたはずだ。それを借金の回収を名目に――表向きは――魔物化するなど狂気の沙汰だ。
誰も徳をしない。
おかげでディルスチームアと周辺の町や村では、通商網が寸断され、商売がうまくいかなくなった。討伐クエストを出しまくった自由冒険者ギルドや、王国軍などの活躍により、世界に散った魔物はかなり退治された。しかし混乱の余波はまだ続いていた。
『あの御方は実に気まぐれですにゃ。時には悪魔のように残虐で、時には聖母のように慈悲深いといいますにゃー。天災と天恵。両面を持ち併せた魔女さまですにゃ』
メイヴを妙に持ち上げる黒猫。イフリアは少し苦々しげに眉を動かした。
「……此度の一件、北の小国ナルリスタにおける動乱の話はおおよそ聞いておるぞい。魔女の同業者ネットワークは強固じゃからのぅ。しかし、魔女を滅するというエルリアルド、すなわち退魔の力が顕現したという話は、ちぃと気がかりじゃ」
魔女にとって天敵となり得る力、エルリアルド。そんな力を宿した者たちを、金杯の魔女メイヴがみすみす見逃した……とも思えない。
『何か思惑があっての事かもしれませんニャ』
黒猫はペロペロと前足をなめ、顔を洗う。
「対魔法戦闘で、あの金貸しババァを退けたとなると、相当にやっかいじゃ。元々は『天秤の魔女』アルテアが、世の均衡を保とうと放つ魔力の一種じゃからのぅ。魔女嫌いの魔女が生んだ魔女の天敵、魔女殺しの力じゃ」
イフリアが舌を噛みそうな言い回しをしながら、俄に瞳を鋭くする。
魔女殺し、退魔の力、エルリアルド。
云われ方は様々だが、世界のバランスを保つため『天秤の魔女』アルテアが解き放つ魔力の顕現だという見解がなされている。
だが力の実態は、定かではないという。
ある時は剣として顕現し、時には聖拳、またある時は聖なる祈りの形を取ることもあったと、魔女界隈では云われている。
『そうえいば……。月の印の外壁の川辺で、不思議な剣術を使う子供を見た……とかなんとか。野良の仲間が、言っていた気がするニャァ』
「それを…早く言いなさいよ、ジュルジュ!」
魔女イフリアが投げたクッションを、黒猫はひらりと避けた。
『にゃぁ。でも、手を出すと火傷するにゃ。あの御方がワザと放ったかもしれませんニャ』
「このあたし、炎の魔女が火傷ですって……!? 面白い。見てみたいものじゃ、エルリアルドとやらを。そしてその力を手にいれる……というのも悪くないのぅ」
金色の瞳にギラリとした企みの炎を灯す。
『おやめになったほうがいいと思うニャァ』
ボッと、床に転がったクッションが消し炭になった。ジュルジュは飛び退き、ニャァと悲鳴をあげた。
焦熱の魔女イフリアは、炎を自在に操る魔女。
純粋な魔法戦闘ならば、金杯の魔女メイヴに勝るとも劣らない実力の持ち主だ。
だが、メイヴは魔力の格が違う。
世界最高位にして最強、不死を手に入れた極みの魔女。
天秤の魔女アルテアと双璧をなす実力者であり、魔女界のツートップは間違いなく彼女たちだ。
「力を手に入れられたら、ワシの商売も上手くいくぞな」
「争いに巻き込まれるのはごめんだニャ」
目の前にいる主――焦熱の魔女イフリアとて、メイヴやアルテアに敵うはずもない。
それは他の領域を支配する、魔女たちとて同じですがニャ、と黒猫のジュルジュは考えたが口には出さなかった。
「『天秤の魔女』の寵愛を受けた人間を探し出すのじゃ」
『それでどうするのニャ?』
「エルリアルド、何としても手にいれたいものじゃ。ワシがこの大陸を制覇する礎として使えるやもしれぬからのぅ」
イフリアはキャンデーをバリンと噛み砕いた。
◆
「あ、ネコちゃん可愛い!」
エルフのロリシュが道端でネコに手をさしのべた。茶色のネコは逃げるでもなく、にゃぁ……と甘えた声を出した。
「ちょっと、捕まえて食べないでくださいよ」
後ろから魔女見習いのメリアが声をかけた。
「もう。猫は食べないよ。余程のことがない限り」
「余程のことって……」
あっけらかんと答えるロリシュに、メリアの顔がひきつった。
余程のことがあれば食べるんだ……。
妖精のようなイメージで語られることの多いエルフ族。その生態は意外と野性的だった。
「エル、疲れた? 盾を持とうか」
「平気」
手を差し出すとエルリアはさっと足を早めた。大丈夫ならいいのだけど。なんだか最近ちょっとよそよそしい気がする。
「夕方までには街につけそうだね」
道端に猫がいるということは、民家が近いのだろう。
見回すと街道沿いには小さな村が穀倉地帯の中の島のように点在している。
荷物をのせた馬車や、徒歩で移動する商人たちもいる。
僕らはいま大きな街、ディルスチームアを目指していた。
月の印という低い山脈を越えた円形の盆地の内側を進んでいる。不思議な囲まれ感のある平地には、いくつもの町や村があった。
「ディルスチームアについたら、まずは地元の魔女ギルドに向かいたいです。魔女の管轄が違うので、挨拶しておかないと」
メリアが魔女の帽子をかぶりなおす。
「管轄って?」
「いわゆる魔女の領域、テリトリー。人間の王様や領主とは違う、魔女による縄張りみたいなものですわ。ディルスチームアを支配しているのは、焦熱の魔女……イフリア様ですから」
<つづく>




