母性しか無い
『そうじゃ。ディルスチームアの街から遠隔通信魔法で話しかけておる』
魔女リスカートさんは、焦熱の魔女イフリアさんの声で話している。表情も仕草も本人のように、子供と大人が同居したような不思議な声音で。
「……姉さん、お久しぶりです」
『ミスティも久しいの。まずワシが……謝らんといかんの』
「いまさら、何を……」
『ぬしの夢霧の魔法を、黙って拝借したことをじゃ』
「魔法は誰のものでもない。魔女は『大いなる世界の理』の代弁者に過ぎない。力を汲み出し、行使する。誰が使おうと自由のはず。イフリア姉さんが……そう教えてくれたのでしょう」
『ワシは、ヌシの気持ちを考えておらんかった』
「……姉ぇさん」
僕らは魔女姉妹の会話を黙って聞いていた。
隣り合う領域を支配する魔女たち。
片やディルスチームアという大陸随一の発展を遂げた街の主。片や、ミスティアさんは気に入った人間の夢を覗き見しながら、ひっそりと暮らしている。
対照的な二人の間に何があったのか、詳しいことは明かされない。わだかまりの原因は当の魔女たちにしかわからないし、立ち入る事ではないのだ。
けれど今、確かに二人の心の距離は縮まっているように思えた。
「魔女様も私達と同じ人間なのですわ。ちょっと長生きですけれど」
「そうなのかもね。姉妹ゲンカなんてするくらいだし」
メリアとロリシュが微笑みをかわす。
魔女だから、凄い魔法が使えるからと、特別な存在と考えすぎているのかもしれない。
少なくともイフリアさんやミスティアさんは、僕らと同じように話し、笑い、優しい心や感情を持っている。
「ミィはここを動くつもりはない」
『事は急を要するのじゃ。仲違いは一旦お預けじゃ、ミスティ。天秤の魔女アルテアの魔法の秘密を、どうやらヌシは暴いてしまったようじゃ。それがヤツの逆鱗に触れた……』
縛られている使い魔、マリオネッタは視線を向けると妙に黙りこくっていた。赤い炎が揺れるイフリアさんの視線を追うように時おり首を動かしている。
「だったら、私が罪を被ればよいだけです」
『アホゥ! ワシの領域の隣で、妹が殺されるのを黙って見ているワシと思うてか!? アルテアがなんぼのもんじゃ、これ以上ちょっかいを出すなら戦争じゃ! 喧嘩上等じゃ』
「イフ姉ぇ、おちついて……」
ミスティアさんが慌てていさめる始末。イフリアさんは妹さんのために、命を張るというのだ。
とはいえ相手は正体不明の伝説級の魔女、アルテアだ。
「力はメイヴと同等かそれ以上……か」
「相手は伝説級の魔女さまですからね」
僕は唸るけれど、メリアは憧れじみた眼差しを空に向ける。
「千年生きてるってホントなのかな? 意外と弱かったりして」
懐疑的な、希望的なことをいうロリシュ。
「ロリシュも間近で見たではありませんか。メイヴ様のあの強さ、気高さ、美しさ……コホン。いえ、とにかく、アルテア様もとてつもない強さには違いありませんわ」
「……だよね」
千年も生きているという『金杯の魔女』メイヴは強かった。
金貨の輝きだけが全て。人の欲望で魔物を生み出し、大勢の人の命を奪った。国ひとつをめちゃくちゃにしたあの行いは許せない。
けれどもう、怒りを通り越して、とても悲しい存在だと思った。
あの殺戮と混乱を愉しい、喜びだと言い切った。
人の心を無くしていた。優しさとか、寂しさとか、悲しいとか、そういう気持ちを何処かに忘れてきてしまったみたいに。
同じく千年も生きている『天秤の魔女』アルテアはどうなんだろう?
僕とエルリアに呪いをかけた張本人。されど僕に命を与えてくれた恩人でもあるという。
やっぱり人の心を失った怪物、命をなんとも思わない存在なのだろうか。
「……君は、アルテアさんを知っているんだよね?」
僕はつい使い魔に話しかけた。
平和的になんとか話し合い、ミスティアさんの誤解や、僕らの呪いを解いてもらうことは出来ないだろうか。
『……知っている』
ロリシュにはキーキー叫んでいた使い魔は静かに顔を僕に向けた。人でも獣でもない異形の顔。そのガラス玉のような目は、魔法の石のように輝いているように見えた。
光――なんで?
まるで光のトンネルの向こう側から、誰かが此方を見ているような。そんな気がした。
『……おいで坊や』
「え?」
使い魔は知らない女の声で確かに言った。
「アル!?」
『メェ!』
エルリアがハッとして僕を呼び、遠くでペーターくんが鳴いた。
あっという間の出来事だった。
使い魔のマリオネッタが光に包まれ粉になった。
光る蝶のような輝きに飲まれ、視界がゆらぎ、目の前が白一色で見えなくなる。
『しまっ……! そやつ偽装術式の運び手じゃ!』
「仕込みの召喚術式……!?」
みんなの声が次第に遠くなった。
……あれ?
…………
◇
……く
苦しい。
息が……できない?
視界は塞がれている。
生温かい何かに包まれて、身動きさえ出来ないことに気がついた。触手か何か柔らかい物に縛られている。
恐怖が先に湧いてきた。けれどその温かさは丁度よく、苦痛というよりも心地よいとさえ感じる。
僕は混乱した。
視界は塞がれている。息も苦しい。
必死で喘ぐと、辛うじて息はできた。
身体の感触も……ちゃんとある。
そうだ――思い出した。あのとき僕は、使い魔の光で意識を失ったんだ。
「あらー? おっきしましたかー?」
不意に視界が開けた。
「……っぷは!?」
甘ったるい声に驚きつつ、息を吸い視線だけを動かす。
白い光に満ちた空間で誰かが僕を覗き込んでいた。
上から覆い被さるように、間近で。いや、違う。僕は抱かれていたのだ。ぎゅっと抱き締められている。顔を胸に押し付けられた格好で。
「ななな、なあっ!?」
「はーい、よちよちー、まだおねむしてていいのですよー?」
ぼふん、と再び胸が襲ってきた。
柔らかい肉の谷間に埋められて、また息ができなくなる。
「おっ、ぱい!? ちょっ……ちょっ、まっ!」
グッと両手に力を込めて、じたばたと押しかえすと。ようやく解放された。
後ろに尻餅をつくように倒れ、相手を見る。
「はあっ、はあっ……!」
「アルドー、どうしたのですかー?」
大人の女性、優しい目元になきボクロ。柔らかそうな唇は弧を描き、不思議な輝きを宿した桃色の瞳が見つめている。
栗色のややウェーブした長い髪、全体的にふっくらと豊満な身体。ふわっとした寝間着のような服を纏い、ぺたんと座っている。
何よりも目がいってしまうのは、大きな胸。
まるで牛のような……というか、周りでは見たことがないサイズ感でとにかく、溺れ死にそうな感じだった。
おいでー、とでも言うように、笑顔でいまも僕に向けて両手を広げている。
「だ、誰……!?」
「誰って……ママですよー? アルドのママー!」
ママ? お母さんということ? 嘘だ。
そんな馬鹿な。
「えーい」
どわっと胸が襲ってきた。あっという間に抱き締められて胸に挟まれる。
「ぶっ! いっ、いやいや、まっ……ぷはっ!」
殺される。おっぱいに殺されると本気で思った。
「はーい、いいこいいこー」
頭をなでなでされ、抱き締めながら、魔女だ。と直感する。惑わす魔女。夢霧のような夢をみせられているのか――
「ちがうわ。アルド、賢い子ー。んふふ、だって、ママの子だものねー」
すこし僕を離して、上から見下ろす。
視界の半分が胸で塞がれている。
「さっきから、ママってなんで……」
「だからね、アルドもエルリアも私の子。魔法で生んだ、私の子ー」
「まさか……お前が……」
「そう、アルテア」
「なっ……」
唖然とするしかなかった。目の前にいる。
呪いをかけた張本人、全ての秘密を知る魔女が。
でも頭が混乱し、うまく言葉が出てこない。
「みんなは天秤の魔女ーなんて、いうけれど、本当はねー違うのー」
「違う……?」
「そっ。本当は……昔は『乳母の魔女』って呼ばれていたのー。生を授かる産婆であり、乳母でありー。生を取り上げる産婆であり、豊穣の魔法ー……。って、やーん! そんな怖い顔したら、ママかなしいー」
「ぶはっ!?」
いちいち抱きついてくるアルテア。
敵意も殺意もない。
あるのは、母性だけ――。
理性ではとんでもない状況に巻き込まれていることを理解していた。
にも拘らず、こうして大きな胸で抱き締められると、ちょっと嬉しいような、懐かしいような……。複雑な気持ちになるのはなんでだろう……?
◆
「また」
「言ったね」
「確かに言いましたわ」
エルリアとロリシュ、メリアは顔を見合わせた。
意識を失い、倒れたアルドを囲み介抱しはじめてすぐに、アルドはうわ言をつぶやいたのだ。
「…………おっぱい……」
「ペーターくんに弾き飛ばしてもらえば目が覚めるかも」
「さすが妹ちゃん……容赦ないね」
「やってしまいましょう」
『メェ』
<つづく>




