眷属の襲来
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「あぁ、ちきしょう……頭いてぇ」
飲みすぎだ、とカルビアータは頭を振った。
近くの茂みで用を足し、川の水で手を顔を洗う。
周囲は相変わらずの深い霧に包まれて、一寸先も見えない。だが迷う心配は無さそうだ。少し離れた魔法の馬車が野営している位置からは、ヒキガエルの鳴き声のようにムチリアのいびきが聞こえてくるからだ。
ムチリアの姉御が「良い蒸留酒を手に入れてきた」というので、付き合ってしまったのが運の尽きだった。ムチリアの酒の強さは有名で、組合でも酒豪たちを相手に連日連夜飲み明かす事もあるのだ。カルビアータは酒は得意ではなかったが大先輩の誘いを断るわけにもいかず。つい一杯、二杯と濃い酒を呷ってしまった。
気がつけば小型の樽が空になり、ほぼ気を失っていたようだ。
「やれやれ、魔女の霧は何時になったら晴れるんだよ」
カルビアータはひとりごちた。夜空を見上げると、天蓋は暗灰色の闇に覆われている。目印になりそうな星も月も見えない。これでは迂闊に動くこともできない。
街を出てから秘かに、アルドたちの動向を監視してきた。
だが、追跡の対象――アルドたちが『霧の壁』の向こうに消えてから随分経つ。
この一帯は『夢霧の魔女』ミスティアの領域だ。領域に入ることが許されるのはミスティアに認められた者だけだ。魔女に魅入られれば夢を覗き見られ、赤裸々に秘密を暴かれるという。
ゾッとするような力を持つ魔女がいるのだ。
魔女は濃密な霧の結界を張り、侵入を拒んでいる。アルドたち一行は結界の内側に招かれ、入り込むことができたようだ。
となると最悪の事態を想定しなければならない。自分たちが付け狙う「エルリアルドの力」を魔女に奪われてしまうことだ。
夢霧の魔女ミスティアが力の存在を知り、先に奪ってしまったら……。その場合は最悪――領域級の魔女であるミスティアと一戦交えねばならなくなる。
「……冗談じゃねぇ」
剣士カルビアータや女戦士ムチリア、そして再生魔女のリスカートは霧の結界を越えられなかった。
ミスティアに通過を認められなかったのだ。無理に結界に突入しようとすると、途端に眠気に襲われ、一歩も進めなくなった。
リスカートの炎の魔法を叩きつけでも、結界を破ることができなかった。彼女の主たる『焦熱の魔女』イフリア様なら、結界を破ることが可能だろう。しかし援護はこれ以上期待できない。つまり現状では打つ手なし。だから酒でも飲んで待つしかなかった。
ムチリア先輩の酒に付き合うほど飲むのは完全なる失態だが……。
魔女リスカートも諦めたように濃い酒を少し飲み、ムチリアの横で仮眠している。
「しかし……なんて霧だ。馬車まで帰るにも迷っちまい……、ん?」
ふと、視界の上に違和感を感じた。闇と霧が溶け合う暗がりの中を、緑色の光が動いていた。
緑色の人魂のような光が尾を引きながらゆっくりと、こちらに向かってくる。
「お、おいおい……なんだ、ありゃ?」
カルビアータは、濃密な霧の彼方から飛来する光に目を凝らした。気味の悪い緑色の光の渦が、どんどんと近づいてくる。
何か尋常ならざるものだと感じ、駆け出した。
そして馬車の中のムチリアとリスカートを揺り起こす。
「起きてくださいよ、ムチリア先輩ってば! ねぇ!」
「んんー、まだ飲む気かオラァ……」
がっと襟首を掴まれるカルビアータ。ムチリア先輩の息は酔いそうなほどに酒臭かった。
「うっぐ。もう飲まないッスよ! それよりなんか妙なものが飛んで来るんですよ!」
「……まずい」
「わっ?」
まったく起きないムチリアの横で、ガバッと魔女リスカートが起き上がった。寝ぼけ眼だが、何か不穏な気配を察したのか、カルビアータを押しのけるように馬車の外に向かう。
「リスカート先……ぱ……あわわ!? 来たぁ?」
馬車の真横に緑色の火の玉が落下してきた。かと思えば急速に速度を落とし、地上すれすれで静止――。眩い緑色の光が周囲を不気味に照らし出す。
「ななな、なんじゃこりゃ!?」
「カルビアータ、剣を構えて」
魔女に言われるまでもなかった。馬車の客車の入り口にあった片刃の剣をしゃにむに掴むと、剣を鞘から抜き身構えた。先輩であり、魔女であるリスカートを庇う前衛の位置に立つ。
緑の光の球体は、カルビアータたちから十メルほど離れた場所に浮遊していた。かすかにフォン……フォンと振動音を伴いながら、光が徐々に人の形に変じてゆく。
「な、なにぃ!? 魔物か?」
緑の光は人間を歪めたような、人型の怪物へと姿を変えた。
左半身が黒色で右半身が緑色。顔や体が縦に色分けされている。一見すると見世物小屋の道化のような、ヒョロリとした見た目の魔物だった。
左右にきっちりと色分けされた服を身に着け、だらりと腕を垂らした前傾姿勢。顔は縦に緑と黒の二色だが陶器の仮面のように目と口にスリットが入っただけの無表情だ。
そんな怪物が地上から僅かに浮かびユラユラと体を揺らしている。その様子はまるで、玉乗りをする道化のようだ。
「なんですかね、ありゃぁ?」
声をかけ、リスカートの方を振り返る。すると魔女は小さく震えながら青ざめた顔をしていた。
「あ、あの魔力波動……いえ、あれは! 呼んではいけない名前の……。ここにいるはずのない魔女の……」
「な、何を言ってるんスかリスカート先輩!?」
『オマエカ?』
「なっ!?」
二色に色分けされた緑と黒の怪物は人語を発した。
そしてシュッと右手を鋭い刃に変形させた。月の光のような冷たく光る青い剣だ。そしてリスカートめがけ、空中を滑るように迫ってきた。
「危ねぇ、リスカート先輩ッ!」
カルビアータを無視し一直線にリスカートへと向かう。だがカルビアータは真横を通り抜けるタイミングで怪物を斬り伏せた。上段に構えた刀を二色の怪物に振り下ろした。
ギィン……!
「ぐっ!?」
カルビアータの放った斬撃は、右手の剣で弾き返された。
体の一部なのに鉄のように硬く、斬れない。
咄嗟とはいえ、体格のいいカルビアータが振り下ろした剣を、緑と黒の怪物は細身ながら事も無げに弾き返したのだ。
「カルビアータ……! いけない、それに手をだしては……!」
『オマエハチガウ。ヤハリ、オマエカ?』
「姉さんっ!」
二色の怪人は左手から黒い渦のような魔法を励起したかと思うと、リスカートに向けて放った。螺旋のような渦が魔女の華奢な身体を吹き飛ばした。
「きゃうっ!」
弾き飛ばされながらも、リスカートは励起しつつあった火炎魔法をカウンターのように放った。
焦熱の魔女イフリアから受け継いだ力。強力な炎の槍が黒と緑の怪人に直撃。火球となり二色の仮面を炎に包み、燃え上がらせた。
「やったか!?」
カルビアータが叫んだ。しかし炎は何事もなかったかのようにかき消された。
「魔法耐性が高い……!」
『……オマエモ、チガウ』
無表情な仮面を被ったような顔が、カタカタと傾ぐ。黒い左腕からムチのように黒い渦を発し地面をなで斬りにする。カルビアータはリスカートを抱えて跳ねて逃げた。
「危ねぇ!」
「……間違いない、あれは伝説級の魔女の……眷属だ」
リスカートが確信に満ちた口調で告げた。
「け、眷属? なんで、そんなもんが来たんでぇ!?」
「知らない。でも……あれは」
伝説級の魔女。
名を軽々しく口にすべきではない最強クラスの魔女。
そうした究極の魔女は片手で足りる。
千年近い時間を生き、神魔の域に至った魔女。世界の理さえも曲げるという『天秤の魔女――アルテア』
「眷属が何故……?」
だが考えられる理由はひとつ。アルドたちだ。
「オレらは眼中にねぇってことかよ」
「そう……みたいね」
確かに狙いが自分たちではない、ということは明らかだった。二色の怪人は二人を無視して霧の結界の方へと進んでいく。
緑と黒、二色の怪人は霧の結界に突撃した。左手から黒い渦を放つと鋭いドリル状にして霧の壁をこじあけた。そして破れた結界から中へと侵入、消えていった。
「……ど、どうします?」
「とりあえずムチリアを起こしましょうか」
――アルド、何だかしらねぇがヤバイやつが向かったぜ……!
カルビアータは、剣の手合わせをした少年の身を案じずには居られなかった。
<つづく>




