夢霧の魔女ミスティア(前編)
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世界はいつだって不自由で、不条理で、醜い争いが絶えない。
他人と交われば傷つき、傷つけることもある。
けれど夢の中だけは自由で安全。誰にも侵されない。
そこで見る夢は何? 富や名声、遥か彼方にある理想郷、まだ見ぬ理想の恋人かしら。なんだって想い描いて構わない。
「さぁ、君たちの夢をミィに見せて」
愉しませて。夢の味見をさせて。
それが、願いを叶えてあげる対価。
とはいえ――。夢を自由に覗き見できるだけの魔女ミスティアが、叶えてあげられる事は限られている。
美味しい対価だけを頂いて、叶えてあげられない願いもある。けれど、それはミスティアにとって些細な問題だ。
白い肌に白銀の髪、そして薄く軽やかな白い服。夢霧の魔女、ミスティアは深い霧に包まれ、一寸先も見えない白い世界をひたひたと進んでゆく。
――君たちは、どんな夢を秘めているの?
領域に招き入れたのは、若く可愛らしい旅人たち。
結界を渡る資格は、ミスティア自身が与えたもの。
あの子たちは、旅の商人でもなければ、貴族の放蕩息子の道楽旅とも違う。何か事情があるのだろう。そんな不思議なパーティに興味をそそられた。
まだ穢れを知らないであろう少年と少女が、何ゆえ、危険をおかして旅をしているのか。秘密を知りたい。楽しみで仕方がない。ミスティアの足取りも自然と軽くなる。
ちなみにすぐ後から来た黒い馬車に乗った三人組は、己の領域に招き入れなかった。一人は明らかに焦熱の魔女イフリアの眷属だった。しかも彼らは成熟しきった男と女……。おそらく抱いている夢は潰え、諦めの色に染まっているにちがいない。
仮に野望じみた夢を秘めていても、大概は金か名誉か。そんなごくありふれたものだろう。
「最初の夢は……っと」
濃密な霧の中、ミスティアは目の前に忽然と現れた扉の前で立ち止まった。
木の扉は誰かの夢へつながる扉。此処から先は誰かの夢の領域なのだ。
ドアノブに手をかけ、躊躇いもなく扉を開く。
「あら?」
そこは――深い森の中だった。
何百年も齢を経たであろう大樹の森。人の気配の無い深層部らしく、清廉な空気に満ちている。
と、木々の向こうから荘厳な角を生やした、金色の鹿が姿を現した。それはまるで太古から息づく神獣のよう。あまりの大きさと神々しさに息をのむ。
『――たああっ!』
そこへ、一人の少女が颯爽と現れ、挑みかかる。
凛々しく美しい横顔、ピンと尖ったエルフ耳。若草色の長い髪をなびかせ、巨大な神獣へ飛びかかる。
それは、エルフの狩人だった。美しく整った顔だちに、たわわに揺れる胸――。身軽な小動物のように巨木の幹を次々と蹴ると、巨獣よりも高く跳ぶ。
咆哮し、角を振り回す神獣の攻撃をかわし、光り輝く魔法の矢を頭上から放つ。
荒ぶる神獣は一瞬で狩り倒された。
『ふぅ、楽勝だねっ』
「どうやらここは、エルフの夢ね」
馬車の御者席にいた地味めなエルフ。最初は男の子かと思ったけれど、少女だったらしい。
自分がこうなりたいと願う夢。意識している場合も、あるいは無意識であるかに関わらず、人は普遍的に心の奥底で願い、夢を見ている。
願うのは美しく成長した自分。
素直で、実にわかりやすい。
現実の壁にぶつかった大人では、もう見ることの出来ない夢。
「いいわ、とても素敵」
エルフの娘は満足げな笑みを浮かべると、神獣の後ろ脚を切り取った。そして一瞬でペロリと皮を剥ぎ、新鮮な肉を肩に担いだ。
『さってと』
すたすたと森の奥へ進んでゆく。大きな肉を担いで向かった先には、立派な家があった。丸太を組み合わせた可愛らしい家だ。
ドアを開け中に入るエルフの娘。
ミスティアもその後ろをついてゆく。夢の主は、観察者であるミスティアを認識できない。
『ただいま、アルド。いい子にしてた?』
『うん、おかえりロリシュ!』
家で待っていたのは、赤毛の少年だった。駆け寄ってきて子犬のようにじゃれついて、ぎゅっと抱きしめる。
『うふふ、よーしよし』
『わぁすごいね、ロリシュは。今日も立派な獲物を狩ったんだね!』
『うん、千年森のヌシなんだ。この肉を食べれば、ずっと若いままで、元気でいられるんだって』
『ずっと君と一緒だよ、ロリシュ』
『嬉しい。ボクだけの……アルド』
「……ほぅ?」
アルドと呼ばれた少年は、多少美化されてはいるが、パーティのリーダー格(?)の剣士だ。彼はエルフの娘に深く想われているらしい。
しかし恋人や夫婦というよりは……。
「飼育、したいのかしらね?」
まるで閉じ込めて囲っているようだ。家の中には部屋がいくつもあった。外観とは違う間取り。
扉の向こうには、まだ他にも隠された夢の部屋があるのだ。それは深層心理の向こう側。深く暗い、時には情念や欲望の沼が広がっている。
……まぁいいわ。
それでもこの子の夢は個性的で、明るくて、健全で楽しい。
コレクションに値する。
「少し味見をさせて頂戴ね」
ミスティアはすっと右手を掲げると、夢が霧につつまれた。
ロリシュもアルドも、幸せな木の家も、全てが霧に包まれて渦を巻き、溶けるように消え、小さな繭になった。
手のひらサイズの夢の繭は、ゆっくりと脈動している。ミスティアはそっと胸元にしまい込んだ。
自分が夢の中の登場人物に成り代わり、享楽を味わえる。それが夢霧の魔女の魔法の秘められた力なのだ。
「さて、次の夢は……」
濃密な白い世界を進むとすぐに別の扉が現れた。
黒く固い木の扉。ドアノブを回そうとしたが固く閉ざされている。
「あら? 鍵がかかっているわ。……悪夢封じのまじないね」
悪い夢を見ないように、夢魔の侵入を拒む結界が張られている。ということは、メリアと名乗った見習い魔女の夢にちがいない。
「でもね、夢の世界は私の完全支配領域なの」
ミスティアが軽く念じると、ガチャリと鍵が開いた。ドアノブを回し中へと踏み込む。
そこは――
大きな街だった。その中心にそびえ立つのは、黒々とした円錐形の塔。氷柱を逆さまにしたような塔が天を貫かんばかりに立っている。黒い雲に覆われた空に、塔の先端が届きそうだ。
ミスティアが目を凝らすと、周辺では無数の奴隷のような人々が石や資材を運びあげていた。塔を高く、更に高くと建築が続いているのだ。
『――さぁ、より良い生活のために、より良き街を! 究極の生活の便利さこそがみんなの幸せ、みんなの望み……! そこ、休まずにキリキリ働きなさい……!』
時おり、倒れた奴隷がムチ打たれる。
叫んだのは魔女だった。
街を貫く大通りを御輿が進んでゆく。何人もの屈強な男達がかつぐのは、魔女の座る玉座を頂く御輿だった。二階の屋根さえも超えるほどに高い櫓の上に、黒い玉座がある。
妖艶な笑みを浮かべ、玉座に腰かけているのは魔女となったメリアだった。
メガネはそのままだが美しく成長した姿。胸元の大きく開いた赤く派手なドレスを身に着け、地べたを這う奴隷たちを、片ひじをついて見下ろしている。
「あらあら、まぁ。これはこれは……。普段からかなり自分を抑圧しているのかしら?」
ミスティアも呆れるばかりの夢だった。
なりたい自分、成功者としての姿は理解できる。それに己が普段抑圧している願望、支配欲を重ね、際限なく暴走させている。
『うぅ、もうダメ……』
ボロ着姿のエルフの娘が、石を運べずに倒れた。
『ロリシュ! さぼってはいけません、働きなさい!』
『ふぇえ……!』
怖い怖い。同じパーティのエルフの娘を、普段どう思っているか、まるわかりだ。女同士の胸のうちなど、大概はこういうものなのだが。
夢の中を自由に歩き回るミスティアの目の前を、魔女の御輿が通り過ぎてゆく。
それを先導するのは、丸々と太った黒山羊と、桃色の鱗で覆われたドラゴンだった。
『メェエエ』
『ガァア……』
「こちらも仲間なのに……酷いものね」
エルリアは長い尻尾と羽を持つ、地竜へと姿を変えていた。飛べない竜は首輪をつけられ、まるで見世物のように御輿の前を歩いている。
『ヤギはそろそろ食べ頃かしら? うふふ、エルリアもどんどん竜になってゆくのね、楽しみだわ』
竜になってゆく?
ミスティアは首をかしげた。
エルリアとはアルド少年の妹で、半竜人のような姿が目を惹いた。それは強固で解析不能な魔法だった。
『今わたしは伝説の魔法を目にしているの。天秤の魔女アルテア様……! 神話級の偉大なる不死の魔女さまの魔法! あぁ、なんという幸運かしら。信じられないほど恵まれているわ! うふふ、知りたい、手にいれたい! 力を、もっと……!』
魔女メリアは恍惚とした表情で両手を暗い天へ掲げる。桃色の竜は悲しげに鳴いた。
背筋が冷たくなる。
あの穏やかな魔女見習いの心の内には、こんなにもどす黒い野望が渦巻いているのだ。
強引にこじ開けた夢の扉は、誰にも知られたくない、禁断の深層だったのだろうか。
それにメリアは恐るべき魔女の名を口にした。
天秤の魔女アルテア。
エルリアという半竜の娘に呪いをかけたのは、本当にアルテアなのか。金杯の魔女と同格とされる別次元の魔女の一人。領域を支配する程度の魔女では、到底およびもつかない存在だ。
「知りたい、この子たちの夢を、秘密をもっとミィにちょうだい」
『あぁ、アルドくん……』
メリアは塔へ、熱く欲望に濁った視線を向けていた。
黒く、太く、そそり立つ邪な欲望の象徴のような塔。大勢の奴隷が築き上げた、天に楯突くような塔。
視界が急速にズームする。メリアの夢の視点移動に合わせ、塔の最上部付近の部屋へと。そこにアルドの姿があった。寝所のような場所に半裸で縛られている。
『誰にも邪魔させません、アルドくん……うふふ』
塔の足元では、エルフの娘が石を運んでは転び、鞭打たれる。
「悪趣味だけど実に面白い夢ね。魔女らしいと言えば、その通りだけど」
目を背けたくても覗き見てしまう、心の奥底の欲望、禁断の夢の世界。
ミスティアは静かに手を掲げた。この夢を夢の繭に変えコレクションする。他とはひと味ちがう、禁忌の味がすることだろう。
――ちがう……!
「ん?」
その時だった。
天から声が響いた。
――ちがいますの……!
暗い雲を切り裂くように、明るい光が降り注いだ。
『こんなもの、私の夢じゃありませんわ……っ!』
雲間から黄金色に光輝く、メガネの天使が姿を現した。
それは、神々しいばかりの輝きを放つ魔女、メリアだった。
「もうひとりのメリア……?」
両手に光の魔法を励起するや、輝く浄化の光が地上の闇を暴き出した。闇を穿ち、圧倒的な光の奔流が暗黒の塔を打ち砕いた。
黒い等が崩壊すると同時に、奴隷たちの足かせも砕け、次々と解放されてゆく。エルリアと黒山羊も光に包まれると首輪が砕け自由の身になった。
グギャーと断末魔の悲鳴をあげたのは、暗黒の魔女と化した「悪いメリア」だった。御輿の上で顔を手で覆い、溶けるように崩れてゆく。
『さぁ、もう大丈夫ですわ。みなさん』
天使のように背中には光の翼が生えていた。夢にしても少々盛りすぎなほど己を美化している。
地上にゆっくりと舞い降りると、自信と慈愛に満ちた笑みをうかべ、メガネをキラリと光らせた。
「メリアー!」
「メリアすごい!」
元の姿に戻ったエルリアが、奴隷姿のロリシュが、それぞれ涙を流しながら、天女のようなメリアの元へと駆け寄って抱きついた。
『うふふ、よしよし』
「メリア、大好き、愛してる!」
半裸のアルドが遅れてやってきて、ぎゅっと抱き締めた。エルリアとロリシュが拍手で祝福を送る。
『うふふ、よきかな、よきかな』
『なるほど、破壊と救済。相反する願望を内包し、夢で鬩ぎ合わせているのね」
どちらも本物の夢であり、願望なのだろう。実にコレクションしがいのある夢だと、ミスティアはほくそ笑んだ。
<つづく>




