夢霧の魔女のうわさ
煽り運転をしてきた魔法の馬車は、僕らの前に割り込むと急停止――。
中から男が降りてきた。お金持ちそうな服装を身に着けた、チョビ髭のおじさんだ。
「オゥア! ちょっと待てって、言っておルァア!」
何やら怒鳴りながら、ズンズンこちらに向かってくる。
「き、来ましたわ!」
「魔物より怖い……」
メリアとエルリアが客室で不安げな声をあげる。こうなると僕も黙ってはいられない。
「アルド、殺ろう」
ロリシュはすでに戦闘モード。御者席に座ったまま、腰の後ろの鞘の留め具を外し、ナイフをいつでも抜けるように身構えていた。
僕とペーター君もあわてて腰の牽引具を外す。
「ペーター君!」
『メェ!』
でも、肩を怒らせて向かってくるおじさんは丸腰だった。
大陸共通の不文律(※暗黙のルール)において、対人戦闘は相応対応が基本。相手が素手なら此方も素手、剣を持っていれば剣を抜いても良い。身の危険を感じたら問答無用、剣を抜き、叩き斬っても構わない。
「あの、何なんですか?」
「アァ!? 馬ァ、ダーットレィイアア!」
「馬って……」
僕を一喝すると、おじさんはロリシュのいる御者席の横まで進んでいった。そして怖い顔のまま御者席に手をかけた。
「……なによ」
ロリシュは無言でナイフの柄に手をかけ、相手を睨み付ける。
一触即発の緊迫感に場が凍りついた。
と、その時。
ドヴッ! と、鈍い音がした。
「えっ!?」
「――んがッ!」
短い悲鳴を残し、おじさんが視界から消えた。
『メゲェ……!』
「ペ、ペーターくんっ!?」
ペーター君の頭突きが炸裂していた。
おじさんは馬車に衝突されたように、後ろまで吹き飛ばされていた。ズザッ……ゴロゴロゴロと土煙をあげながら転がってゆき、最後はグニャリと倒れ込んだ。
「いきなり頭突きするなんて、ダメだよ!」
『メェエエ!』(いいんだよ、ペッ)
地面を蹴って突進。目にも留まらぬ速さで男をブッとばしたペーター君は、鼻息も荒く前足でザッザッと地面を蹴っている。相手が起き上がったら更に一撃を食らわせるつもりらしい。
「ぷっ……最高、きゃはは」
ロリシュは一瞬、ぽかんとしていたけれど、すぐに大笑い。
「まぁ、頼もしいこと……」
「ペーター君、流石……」
メリアとエルリアもくすくす笑っている。けれど、事情も聞かずブッとばして良かったのだろうか?
相手は丸腰だったし、まずは話をしてからでもよかったのに。僕はとりあえず、白目をむいて伸びているおじさんに近づき、声をかけてみることにした。
「あっ、あの大丈夫ですか……?」
◇
「ダッからよ、オラぁ、止まれって、叫んだッペァ!」
おじさんは今、魔法の馬車の下に潜り込んでいる。ガチャガチャと部品のジョイントを調整し、ハンマーでカンカンと叩く音がする。
「……ホントにすみません」
「もう、ええんだっけどもぁよぁあァ!」
実はおじさんは『魔導機構組合』の開発技術者だった。なんと、僕らが中古品屋で旧型を買った事を、友人である店主さんから聞き付け、慌てて追いかけてきたのだという。
「……腕を切り落とさなくてよかった」
「しっ、聞こえますわ、ロリシュ」
ペーター君の突撃でおじさんの腰には青あざができていた。痛みは、メリアが『痛くない気がする』魔法で紛らわしてくれた。
生活の魔女であるメリアは、本格的な治療や治癒は出来ない。けれど「家庭の常備薬のような」魔法ならば使える。
たとえば「お腹が痛いのを紛らわせる魔法」「打ち身、捻挫の痛みを紛らわせる魔法」などなどだ。
やがて、馬車の下から出てきたおじさんは、ホッとしたような笑顔をうかべていた。
「……うし、これでいいどぁ! この初期型はヨォ! ギア比の切り替えが二段で、手動なんだぁああ! んだがらよぁ、このまま走るとイカレて、壊れるって……! 聞いてねぇんだろうが!?」
大声で叫ぶのは相変わらずだけど、浜育ちのせいで言葉が乱暴なだけだった。おまけに少し訛っていて、いつも誤解されるのだとか。
「えぇ、そのあたりは聞いてないです」
「壊れちゃうなんて……なにも」
僕もロリシュも首を横にふる。
「シャァアア! あの野郎、あとでブン殴っておくからよ! ワシラぁ、魔導工術師に恥じかかせるろころだったぁア!」
青筋を額に浮かべ、すごい形相で舌打ちをする。どうも怒っているのは店のおじさんに対してみたいだ。
僕らを必死で追いかけてきたのは、回転魔導機構の「ギアの切り替え」について説明を、店主がしていないと知ったことが原因のようだ。
「おじさん、ギアってなに?」
エルリアが尋ねる。
「アァ!? ……おおぅ? そうだな……うーん。おぉ、太い棒と、細い棒があったとしてよぉ、両手でこう……握ってよ、回しやすいのは……どぉおっちだァ?」
おじさんは馬車に積み込んであった、薪の中から細い棒と太い棒を適当に見つけて僕に持たせた。
エルリアには、棒を両手で回転するように指示する。僕が握っている棒をエルリアはぐるぐると回す。
「ふんっ」
「いてて……」
「太いほうが、回しやすいかも」
細い方は握りにくく、力が入りにくい。エルリアも回しにくいみたいだ。
「つまりお嬢ちゃんの力でも、直径が違うだけで、感じかたが違うってことだアッ! それがギアのしくみシャァ」
「なるほど、回転する軸の太さを変える仕組み?」
「そんな感じなァ! 切り替えるにはここ、足元の……この板みたいなやつを、踏みつけて……ガチッと音がしたら低速用。発車のときにはこうすると動きがスムーズになるっぺガァ!」
おじさんが御者席に座り、留め金でロックされていた足元の小さな板を指差す。売られていたときは固定されて、動かないようになっていたらしい。それを外してくれたのだ。
「へぇ!? じゃぁ坂道で僕らが牽かなくても……」
「坂道によるが、半分の力で十分だべなァ!」
「すごい……!」
僕とペーター君が、汗だくのフルパワーで牽かないだけでもありがたい。
「速度が出てきたら、ギアをもとに戻すゥッ!」
おじさんは足元の小さな板を再び踏みつけた。カチリと音がしてもとに戻る。
「つまり細い棒に切り替えて、車輪が回転しやすくするのね」
「お嬢ちゃん、賢いのう!」
「えへへ」
大声でくわっ! と目を見開きながら誉めるおじさん。エルリアも嬉しそうだ。
「本当にご親切にありがとうございます。でも、何もお礼出来そうなものもないのですが……」
メリアが申し訳なさそうに言うと、おじさんは「きにすんな!」と身ぶりで示した。
と、ロリシュが袋を差し出した。
「……よかったらこれ。滋養強壮にいいんだよ」
おじさんが受け取り、袋を開けてみると、串に刺したイモリの黒焼きが何本か入っていた。ここに来る途中で捕獲して薫製にしたもので、何やらすごい薬効があるらしい。
「エルフゥウウ!」
「ひえっ」
大声にビクッとするロリシュ。でもおじさんは笑顔で、ガッと手を握るとぶんぶんと握手を交わした。
「森の貴重なもんだべがぁぁあ!? コレァ、カカァが喜ぶでぇな。ありがたくいただくどぁア!」
「あはは、どうぞ」
「よいのですか? ロリシュ」
「いーんだよ。宿代が底をついたら売ろうと思ってたけど、馬車が快適になるなら安いもんでしょ」
「ロリシュ……」
「人は見かけによらないって、ボクも勉強になったし」
ロリシュはおじさんを「殺そう」なんて言ってしまったことを、すこし後悔しているみたいだった。でも、ペーター君と同じで皆を守ろうとしての行動だ。
「ありがとうロリシュ」
「なによ、アルドまであらたまって」
そんな友人を、僕はとても心強いと思った。
「……ついでだがよ、この旧式でも、もうすこぉおしマシになる、チューニングパーツがあるっぺがよ」
「ちゅーにんぐぱぁつ?」
「この回転魔導機構用の熱発生機、ボイラーの中に、特殊なァ、霧の魔法を封入するんじゃぁ! 高圧用高潤滑、特殊な魔法のミストを封入すりゃぁ……もっとよくなるぞぁ!」
バン、と自慢げに自分の乗ってきた魔法の馬車のボディを叩いた。
おじさんの説明では、あの最新鋭の魔法の馬車も、特殊な魔法のミストを利用しているらしい。回転しやすく、滑らかに、そして魔法の力で長持ちするのだとか。
魔法の馬車がより速くなるのなら、損はない話だけど……お高いんだろうなぁ。一応、聞くだけ聞いてだけみよう。
「特別な霧、魔法のミストは売っているんですか? それともどこかで手に入れられるんですか?」
「今じゃこの街でも模倣して、作られるようになったがよ! 高額で……イモリの黒焼きでも一年分はすらぁなぁ……」
おじさんは言ってからちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「高いお金は払えませんの」
「あぁすまないな魔女さんよ、そうだ! そういや魔法のミストは元々、この先に棲む『夢霧の魔女』さまの魔法だと聞いたはぁ……」
「夢霧の魔女……!」
新しい魔女の名前だ。メリアなら何か知っているだろうか。
おじさんは魔法の馬車に乗り込むと、手を振って「じゃぁの! 困ったらギルドを訪ねろや!」と言ってくれた。
そして、来た道をすごいスピードで降り下っていった。
「……良いひとだったね」
「うん……」
エルリアも拍子抜けしたようだった。
それよりも、馬車が新しい力をてにいれた。
発進してみると……なるほど!
今までの苦労はなんだったのかと思うほど、軽い力で馬車が動き出す。
「おじさんに感謝だね! 速度は相変わらずだけどさ」
ロリシュが笑う。
確かに発進はスムーズになったけれど最高速度は変わらないらしい。
となると、さっきの「特殊なミスト」の話がちょっと気になってくる。
「どうせこの先の通り道だし、魔女さんに会えないかな」
「そうだね! 良い考えかも」
<つづく>




