君のままで
「イフリア様との魔女契約……!?」
驚きの声をあげたのはメリアだった。
「そのとおりじゃ、『生活の魔女』見習いのメリアよ。すなわち、ワシの手となり足となり、目となるのじゃ。友との旅も続けられるぞぃ? 悪い話ではあるまい」
「でも、それは……」
「代わりにといってはなんじゃが、ワシはお主の目と耳を通じて、状況を把握できる。最後にはエルリアルドの力を手にする大役を担うことになるのじゃが……。その適任者は、メリアよ、魔女の能力を持つ、ヌシしかおらぬのじゃ」
焦熱の魔女イフリアは、メリアをじっと見据えている。
僕らの旅の目的を知ったイフリアが出した提案。それは魔女との契約を結ぶというものだった。
名指しされたメリアは戸惑った様子で、メガネのブリッジを持ち上げた。
裏切ればその身を焼き尽くすという、恐ろしい契約を結べというものだ。
「メリア、ダメだ」
「メリアちゃん」
僕らの言葉にも、メリアは深く思案しているのか身じろぎもしない。
「……確かにこの先、エルリアルドの力を目障りに思う魔女や、意のままに操りたいと考える魔女が次々と現れるかもしれません。その時、強いイフリア様のような後ろ楯がいてくだされば……心強いことに違いありません」
「そうじゃろう、そうじゃろうて! 見込んだとおり聡明な娘よのぅ、メリアは」
上機嫌でふんぞり返るイフリア。言動といい態度といい、見た目は子供だけれど中身はきっと老魔女にちがいない。
「自分で言うのもなんじゃが、ワシは極めて合理的な考えを、金勘定と損得を最優先に考える魔女じゃ。その価値観を同じくする常識的なものならば、ヌシらの後ろ盾となるというておるワシの提案に、乗らぬ手は無いと思うがのう? 破格の好条件じゃ。なぁに、最後にエルリアルドの力が不要になったとき、渡してくれればよいのじゃ」
不敵に微笑むイフリア。メリアの返事を待っているイフリアの瞳には、赤い魔力の光が見え隠れする。
長寿で不死に近いという最上位の魔女にとって、僕らが目的を果たすまでの時間も、寿命もあまり問題ではないのだろう。
「私に、貴女の使い魔となれと……」
「見たところ、メリアの魔法の潜在能力はなかなかじゃ。魔力の特性はやや異なるが、ワシの魔法の代理行使が可能となる器には十分じゃ」
「メイヴ様の、炎の魔法を……私が使う?」
「そうじゃ。それがお主にとってどれだけ利益を、恩恵を与えると思う? 尊敬、感謝、金……」
確かに損のない話にも聞こえる。
イフリアという「話のわかる」魔女が後ろ盾になってくれると考えれば、僕らの旅はもっと安全なものになるだろうか……?
「凄いじゃん、メリア! 契約しちゃいなよ、お手軽パワーアップみたいなもんじゃん」
ロリシュが気楽な調子で背中をパンと叩く。すると途端にメリアは険しい表情になった。
「魔女の契約は、そんな簡単なものじゃないのです。私の師匠、リヒテロッタさんの承認もなく、相談もせず……弟子をやめるってことに等しいんです。それに……。イフリア様との魔女契約によって得た力を使えば使うほど、私の魔法は失われます」
「よく知っておるのぅ? ヒヒヒ、賢き娘じゃ。ますます気に入ったぞい。恩恵に『対価』が必要なのは当然じゃ。魔女契約なのじゃからのぅ」
イフリアはニヤリとしながら、メリアの皿に残っていたフライドチキンを奪い取った。
そして見せつけるように、かぶりつく。
「どういう意味ですか?」
僕は魔女や魔法についてはさっぱりだけど、メリアの「魔法が失われる」という言葉に不安を感じた。
「……イフリア様と契約を交わし、つまり手駒になれば、強大な炎の魔法を使うことが可能となります。でも力の代理行使の対価として、私が本来持つ魔法は……徐々に失われてしまいます」
「それって、つまり……」
「私が、私じゃなくなります。最後は……何もない抜け殻に」
メリアは憔悴しきった様子で俯いた。
「そんな……!」
「欠陥、インチキ契約じゃん!」
エルリアが絶句し、ロリシュが机に両手をついて身を乗り出す。
「まぁ落ち着くのじゃ。エルフの娘の無礼は聞き流そう。なぁに、別に廃人になるわけではないのじゃ。魔力が失われるまで数十年かかるやもしれぬ。しばしの間、ワシの有する魔力の何割かに相当する、あるいは同等の火炎魔法が使えると考えれば、じつに安いものじゃろう? 何も悪い話ではあるまいに、のうメリア」
「それは……」
「さぁ、腕を出すのじゃ。炎の印を授けよう。さすれば、今夜からヌシは本物の魔女じゃ!」
メリアの魔法が消えてしまう。
リヒテロッタさんのような『生活の魔女』を目指し、日夜勉強し、日々励んでいたことを僕らは知っている。
メリアはもう立派に色々な魔法を使って、僕らを助けてくれた。
暗闇で光を灯す魔法、お腹の痛みを癒やしてくれる魔法、分かれ道で正しい道を見つける魔法、虫除けの魔法。
それに蛇よけの魔法や、水が安全かを確かめる魔法……。
そのどれもが生活には欠かせない、僕らの旅を助けてくれた凄い魔法だった。
「そんなの……嫌」
エルリアが僕の袖を掴んだ。想いは同じだった。
「僕も嫌だ。メリアの魔法が消えちゃうなんて」
「エルちゃん……アルドくん……」
メリアが顔を上げた。
瞳から一粒の涙がこぼれ落ちる。
「メリアの魔法は優しくて好き。困ったとき、いつも助けてくれるもの」
「確かにさ、虫に刺されなくなる魔法は助かるし」
エルリアにロリシュが顔を見合わせる。
彼女たちの言う通りだ。
メリアは誰かを傷つけたり、魔物を攻撃したりする魔法は使えない。
けれど、それでもいい。メリアはメリアなんだ。
「だから魔女契約なんてしなくていい。メリアは、君のままでいてほしい」
「アルドくん……!」
「きっ、貴様らぁ……! 門外漢は黙っとれぃ。これは魔女同士の話じゃ」
「私、魔女契約はお断りします」
メリアが提案をきっぱりと拒絶した。
「メリア……!」
「メリアちゃん」
「このワシの……提案を蹴るというのか?」
眉根を寄せて、不快そうに顔を歪めるイフリア。
「申し訳ありません。若輩者で駆け出しの私には、偉大なるイフリア様の魔法を代理行使するなど、畏れ多いのです」
「……ぬ」
「もう少し、修行を重ね、一人前の魔女になった暁には。そのような素晴らしい提案をお受けできたかと思うと。悔しくてなりません。偉大なる焦熱の魔女、イフリア様」
メリアは丁寧に頭を下げた。
イフリアは苦虫を噛み潰したような表情で、僕やエルリア、ロリシュに視線を向けてきた。
「この者たちを、今ここで炭にすることも出来るのじゃぞ」
エルリアもロリシュも魔女の脅しに怯むことはなかった。
もしイフリアが、僕らを殺そうというのなら、全力で戦うまでだ。エルリアルドの力は魔法を破壊し、不死の魔女さえも退ける。だからこそメイヴは恐れたのだ。
僕らの持つエルリアルドの力を欲しているイフリアが、無謀な行動に出ないことを祈る。
「イフリア様は無為な争いはされぬともうされました。聡明で慈悲深い魔女様であると、私は深く尊敬申し上げております。何卒、寛大なる御慈悲を」
メリアはすまし顔で微笑んで再び頭を下げた。
「く……、ぬかしよる、まぁよい」
緊迫していた空気が緩む気配がした。
さすがのイフリアもこれ以上は無理だと思ってくれたのだろうか。
「給仕よ、ワシにエール酒をもって参れ! 至急じゃ」
「はーい!」
僕らの耳にも喧騒が戻ってきた。
すぐに運ばれてきたジョッキになみなみと注がれたエール酒を受けとると、一気に飲み始めた。
ゴキュッ、ゴキュッ……と喉をならす。
「――っぷぁはああ、あぁ美味い酒じゃのう」
「本物のロリババ……」
「あぁああっ!」
ストップとロリシュの放言を止めるべく大慌てで口をふさぐ。流石に聞こえたら殺されかねない。
「ヌシらも飲んで構わぬぞい。ここからはワシのおごりじゃ」
「えっ、でも」
「ラッシィでもなんでも飲むがよい」
「アルドくん、ここはご馳走になるべきです」
メリアがそっと小声で助言してくれた。
僕らはイフリアから飲み物を振る舞われた。
「イフリア様、私たちは明日、東に向けて出立します」
「メリアよ、言っておくがワシはヌシらを諦めたわけではないからのぅ」
イフリアが目を眇めた。
お酒のせいか目が座っている。
僕らを解放するつもりはない、というのだろうか。一抹の不安がよぎる。
「ヌシらは自由にするがよい。後ろ楯もない旅の先々で、領域の魔女どもが手ぐすねひいて待っておるであろうがのぅ」
「それは……覚悟の上です」
僕は言い切った。
「……じゃが、アルドよ。ヌシらは未熟じゃ。折角のエルリアルドの力を失わせるのは実に惜しい。最後はその力、是非ともワシがもらい受けねば気がすまぬ。そこでじゃ……」
イフリアはなにか不穏な顔つきになると、身を乗り出してきた。
そして、ある計画を僕らにそっと話し始めた。
それは――
◇
翌日。僕らはギルドへと向かっていた。
報酬を受けとる話は、イフリアの誘いとは切り離して考えてくれると最後に約束してくれたからだ。
ギルドで嫌がらせをされたり、報酬が支払われなかったり、なんてことはないはずだ。
「ねぇ、受け入れちゃってよかったの、アルド」
「あの場で、イフリアさんの考えを止める権利なんて、僕らには無いよ」
ロリシュが若草色の髪をかきあげた。エルフの耳がかすかに動くのを横目に、昨夜のことを回想する。
昨夜、酒場のテーブルでイフリアが僕らに語った、ある計画。
それは断ることのできないものだった。というか、イフリアが勝手に行うことだからだ。
「私たちに実害はございません。ただ……」
「落ち着かない」
エルリアが振り返る。
そこには僕らとは別のパーティーが、二十メルほどの距離をおいて同じ方向に歩いていた。
大柄な女戦士に、ひょろりとした青年剣士。そして赤いマントをひるがえすセクシーな魔女の三人組。
僕らが立ち止まると、彼らも止まる。
僕らが歩きだすと、彼らも進む。
それは、ムチリアさんと、カルビアータさん。そしてリスカートさんたちだった。
「走ったら追いかけてくるかな!?」
「おもしろそう!」
ロリシュとエルリアがくすくすと笑う。
「それよりも、四人同時に、別方向にバラバラに走り出してはいかがでしょう? あ、ペーター君はエルちゃんと」
『メェ』
「さすがメリア、意地悪な作戦をおもいつくね」
僕は呆れながらに、メリアの作戦に乗ることにした。
昨夜、魔女イフリアが僕らに語った計画。
それは、
――追跡者をヌシらに差し向ける。
監視し、隙あらばエルリアルドの力を奪う。
そのためにパーティーを四六時中、張り付けるというものだった。
まさか彼らが来るなんて思いもよらなかったけれど。
万が一僕らがエルリアルドの力を失う、あるいは放棄するときが来れば、手に入れてイフリアの元へ持ち帰る。という密命を帯びている……らしい。
それにメリアは、気になることを言っていた。
リスカートさんから火炎魔法の気配がするという。もしかするとイフリアは、魔法を失ったリスカートさんと魔女契約したのかもしれない。
悪魔の力でで後天的に魔女になったリスカートさん。彼女を救済するため、魔女契約をして代理者にしたのだろうか……?
「アルド」
エルリアが僕の脇腹をつついた。
「あ、うん!」
「合流地点は、黒猫のギルドで」
「ま、あいつらも感づくだろうけど」
『メェエ』
僕ら四人と一匹は、いっせいに駆け出した。
人混みに紛れ、バラバラの方向へ。
後ろでは三人組が叫び声をあげた。そして右往左往、僕らを誰がどう追いかけるかでモメている。
「あはは……!」
人混みのなか、ステップを踏むように走る。
朝の空気は澄んでいて、空は抜けるように青い。
今日からまた旅を始められる。そう思うと足取りはますます軽くなった。
< 章完結 >




