魔女リスカートの野望
ヒゲール男爵の怨霊は消滅した。
部屋に満ちていた禍々しい魔法の気配も消えてゆく。
メリアもロリシュも呪縛から逃れ、身体が自由になったみたいだ。けれど、緊張感は続いていた。
「ペーターくんっ!」
エルリアは子鹿のように部屋を飛び出した。
部屋の外にいた女戦士ムチリアさんと魔女リスカートさんの脇を素早く走り抜けると、そのまま廊下の向こうで倒れている黒山羊、ペーター君の元へと駆け寄った。
「……しっかり!」
「大丈夫よ、魔法で眠らせただけ。すぐに目をさますわ」
コツッと杖で床を鳴らし、魔女リスカートさんが言った。
「生きてる……」
エルリアは僕の方をみて、ホッとした様子で言った。
どうやら本当に眠っているだけらしい。
「どういう……事ですか?」
剣を握ったまま、僕は静かに問いかけた。
僕らをバックアップしてくれる約束だったのに。助けてくれないばかりか、ペーター君にこんな酷いことをするなんて。
「私達にいきなり襲いかかってきたから、仕方なかったのよ」
「違う。ペーター君はいきなり人を襲ったりしない」
エルリアの言うとおりだ。
「ご主人さま思いの黒山羊だけどさ、アタイらもその角で刺されたら堪らないからねぇ。リスカの魔法で丸焼きにされなかっただけでも感謝しなよ」
『メ……?』
エルリアが揺さぶると、ペーター君が目を開けた。意識を取り戻しつつあるようだ。
ペーター君は僕らの危機を察して駆けつけてくれたのは間違いない。
だけど扉の前には二人がいた。助けようとしたペーターくんの邪魔をしたから、ペーター君が怒ったのだ。
「僕らを閉じ込めたのは、あなたたちですか」
「さぁ、どうかしら」
魔女リスカートさんはシルバーの髪をかきあげた。
彼女たちは僕らをどうするつもりだったのだろう。それに魔女リスカートさんは確かに、ヒゲール男爵の怨霊を「お父様」と呼んだ。
彼女は怨霊とグルで、僕らを罠にハメるつもりだったのだろうか。だから亡霊の餌食になってもいいと、先へと進ませた……?
疑念と疑惑が次々と湧き上がる。
「うふふ、アルドくん……といったかしら?」
「そうですけど、質問に答えてください!」
「私にも試させて」
魔女リスカートさんが、ふたたび手に持った杖の先で床をつく。波紋のように赤い魔法円が広がったかと思うと、床の上を滑るように赤い光が僕に向かってきた。
まだ剣にはエルリアルドの光が宿っていた。怨霊を切り裂き、魔法を破壊できる光の剣があれば、魔女と対峙しても恐れることはない。
「――こんなもの!」
魔法が到達する直前で剣を振り、魔法を粉砕し消滅させる。
「あぁ、素晴らしいわ! それがお父様を昇天させた退魔の剣……!」
クールで穏やかな印象だったのに、今は欲望に目をギラつかせている。
恐ろしい魔女――メイヴと対峙したときの記憶が甦る。魔女はみんな同じなのだろうか。メリアは違うのに。
でもメリアは唇を固く結んだまま、杖を握りしめて立ち尽くしていた。
――メリア……?
「ヒゲール男爵の怨霊がお父様ってことは、アンタら亡霊とグルだったの!?」
腰のナイフを抜いて身構えるロリシュ。
「まぁ待ちな、何も取って食おうってんじゃないよ。試させてもらったのさ」
ムチリアさんは腰に下げた短剣を抜き、ロリシュから魔女リスカートさんを守る位置に立った。
本来の主武器である戦斧は背中に背負っている。狭い室内では取り回しの良い短剣を使うようだ。
「試す? そのわりに、殺気が刃先からダダ漏れだけど」
「エルフは噂以上に敏感だね」
「ロリシュ、待って」
「わかってるわよ」
ムチリアさんの得物は分厚い対人剣だ。長さは僕が使う短剣とおなじ60センチメルぐらいだけど、刃の幅が倍ぐらいはありそうで分厚い。相手の武器を叩き折る、あるいは鎧の上から骨を砕く。そういう使い方をする武器だ。
「アルドくん、質問に答えてあげるわ。そうよ……この館は私が幼い頃に暮らしていた家なの」
「そうなん……ですか」
「ヒゲール男爵は私の父。魔導の探求に明け暮れた人だった。生粋の魔女しか真の魔法は使えない。でも魔女ならざる魔人、つまり魔法使いになりたいという渇望から、生涯を魔導の探求に捧げた。魔女の血族だったお母様が死んでから、その狂気は加速したけれど」
「その結果が、この幽霊屋敷ってことね」
ロリシュの言葉を否定はしなかった。
「全てを犠牲にした最低の父親、最悪の男だったけれど……。私には力を遺してくれたわ。偉大なる『真の魔女』に近づく道を示してくれた」
遠くを見るような視線を書斎の中に巡らせる。淋しげな、でも憎しみの籠もった目を。
「真の……魔女」
それはおそらく『金杯の魔女』や『天秤の魔女』のような存在だ。それにこの土地にも同等の力を持つ『焦熱の魔女』イフリアがいる。
「この魔術の館に引き寄せられる迷える魂……怨霊の力を、ヒゲール男爵が契約した悪魔に捧げることで、血脈である貴女に魔力が与えられる、ということですか?」
ようやくメリアが口を開いた。
足元に広がる床に描かれた古い魔法陣から逃げるように、僕らの方へと移動してきた。
「魔法には対価が必要よ。どんな魔法であっても。それは触媒で対価を支払える、魔女見習いのあなたが使う魔法モドキとはちがうの」
「……っ」
「より大きな力を……イフリア様にお認めいただくために、私には力が必要なのよ」
「僕らの魂を、悪魔の餌にするために、罠にハメたんですか?」
「あら? そんなことはしていないわ。私達は魔女……偉大なる『焦熱の魔女』イフリアさまの密命を帯びているの」
「密命?」
「えぇ。伝説級の真の魔女、金杯の魔女メイヴを退けたという退魔の剣の使い手を探し出せ、と言われているの。君は予選を突破した、第一候補……ってわけ」
退魔の剣。
エルリアルドのことだ。
「候補者を連れてきて、試してダメならそれまでさ。悪魔の餌になってもらうだけ」
見込みのある人間をここに誘い、試す。逃げ出すようならそれまで。死霊に取り憑かれ死んでしまったら、その魂は悪魔の餌。酷い。完全に罠じゃないか。
「こんなことギルドは許してるの!? メリア、あんたが見つけてきた仕事でしょ! 冗談じゃないわよ!」
「私、し……しらなくて」
ロリシュがメリアを責め立てる。
「あなたたち……とくにアルド君は死霊を退け、罠をはねのけ、お父様の怨霊も開放した。つまり、ここまでは合格」
「最後の仕事をしてもらうぜ?」
「いいぜ、リスカ」
ムチリアさんがジリッ……と身構えた。
戦いの気配、話し合いで済ませるつもりはないのだ。
「頼むわ……」
魔女リスカートさんが、床に星の文様を描く。それが魔法戦闘の合図だった。凄まじい魔力が溢れ出す。ビリビリと館全体が震える。
でもその魔力は僕らに向けられたものではなかった。
ムチリアさんの剣に、鎧に、そして全身に絡みつき、黒い文様を浮かび上がらせる。
「うほぅ……キタキタァ」
ムチリアさんは喜々として自分の変化を確かめている。けれど途中から自我を失ったかのように、白目をむいた。ビキビキと全身に青黒い血管が浮かび上がってゆく。
「悪魔の力を宿した暗黒悪魔戦士……ムチリアを倒せるかしら?」
『ウ、グゥァオオオオオオオ!』
「ひぇえええ!? な、何よあれ!」
ロリシュが僕の横にバックステップで逃げてきた。
「悪魔の力を剣に!?」
「いえ、剣だけではありません。あの方の肉体も鎧も、全て暗黒の魔法で強化したみたいです!」
<つづく>




