ヒゲール男爵の館(前編)
◇
「おじゃましまーす」
僕が先頭になり、大きな両開きの扉を押し開ける。お屋敷の中は薄暗く、中はしん……と、静まり返っていた。
空気が淀んでいて冷たく、かび臭い。外の暖かさと、新鮮な森の空気とは対照的だ。
耳のいいロリシュが中の気配を探っている。視線を交わすとコクリと頷いた。
クリア。
いきなり襲ってくるような魔物の気配は無い、ということだ。声を殺して静かに、慎重に足を踏み入れる。
玄関のエントランスホールは広く、二階の天井まで続く吹き抜けになっていた。僕が暮らしていた小屋がすっぽりと入りそうな広さに驚く。
真正面には大きな肖像画が飾られていた。
青白い顔をした、魔術師のような風体の男の人が描かれている。あれがこの館の主だった、ヒゲール男爵だろうか。
盗難されることもなくホコリを被った絵画は、じっと僕らを睨んでいるような気がした。
「なんだか怖いなぁ」
木の床にもホコリが積もっている。よく見ると床にはいくつもの足跡があった。攻略しようとやってきたパーティ、あるいは盗人のものだろう。
「立派なお家で、とても広いですねー」
「これだけ広いと弓が使えそう」
「武器を振り回す人は周囲に気を付けてくださいね」
すぐ後ろをエルリアとロリシュ、メリアが続く。
「オーケー、ここから正面、二十メル先まではクリア済み。問題ないはずだよ」
「魔性検知、異常なし」
更にすこし遅れて、重装備の女戦士ムチリアさんと魔女リスカートさんが僕らの後を追う。
リスクを分散するため、僕ら先頭攻略パーティと、後方支援を担うベテランの二人組での共同作戦。
およそ十メルほど離れて、声の届く位置で互いに連携をとり進むことにした。僕らのような初級パーティ単独で進むより、退路と確保してもらえるので、とても安心できる。
ちなみに黒山羊のペーター君はお屋敷の前でお留守番だ。
新鮮な草には事欠かないし、不思議な黒猫と友達になったらしく『メェ』『にゃぁ』と、何か話しているみたいだった。
「オレ様が、家畜泥棒や魔物が来ないよう見張っておいてやるぜ! 安心して攻略してきな」
と、カルビアータの兄貴さんがサムズアップ。爽やかな笑顔で僕らを送り出してくれた。
ペーター君のお守りを買って出てくれたのはありがたいのだけれど、美味しそうな黒山羊の匂いに誘われて、ゴブリンあたりがよく来るので逆に心配だったりする。でも、カルビアータさんは腕のたつ先輩剣士なのだから心配はないと思うけど。
「進むのはエントランスホールの横奥にみえる廊下から。正面にある二階への階段は、その先が行き止まり。引き返すことになるよ」
早速ムチリアさんのアドバイス。
「わかりました、ありがとうございます」
これだけでも一時間あたり金貨二枚の価値はある。
もちろん、魔物を退治して報酬をもらわないと、赤字になってしまうけれど。
エントランス脇から入った先の廊下は、ずっと向こうまで続いていた。三十メル先程で右に曲がっているようだ。
廊下は窓は五メル置きにあるので意外に明るい。空中を舞う塵が、きらきらと光の柱となって、不思議な神殿のように並んでいる。
途中の部屋のドアを開けてみる。
中はガランとしていて、めぼしい物はなかった。宝箱や「秘密のアイテム」なんてものが都合よく落ちているはずもない。
あったとしても先客が持ち帰ったのだろう。
「ちょいと、となりの部屋をみてみる。さっきはあのバカのおかげで確認しそこなったからね」
後ろでムチリアさんが手を振った。
「その先は注意よ、アルドくん。すぐに追い付くから」
リスカートさんが警告した。確かにここは安全そうだけれど、すこし注意して進もう。
「男爵様のお屋敷だから、物を持ち出すと泥棒だよね」
「アルドくん、ここは家主が死んで誰のものでもないの。土地は地主からの借地で、建物自体はおまけなんですって」
「ふぅん? だったら取り壊したほうが早くない?」
ロリシュの言うとおり、魔物や悪霊ごと綺麗さっぱりと。
「不動産業者が地主から買い取ったから、そうもいかないかと思いますよ……あら?」
メリアが前方に何かの気配を察知したみたいだった。
丸いメガネを光らせて凝視する。
僕も廊下の奥、正面に目を凝らす。
「……誰かいる?」
それは人影だった。
窓から斜めに差し込む光の柱の向こう、二十メルほど先に立っている。この館の住人がいるはずもない。なのに給仕の格好をして忽然とそこに現れた。
白と灰色の、影のようで、輪郭が妙にハッキリしている。白い服を着ていて、顔も髪も白い。
「……メイドさん?」
「まさか」
僕らをじっ……と凝視している気配。
そこから動かず、声も出さず、ただじっとしている。
僕が声をかけようとした、その時。
「――アルドくん!」
メリアが叫んだ。
「えっ!?」
次の瞬間。白い女が目の前に迫っていた。
その速度は、瞬きほどの刹那。
――速いッ!?
剣を振ることさえ出来ない、一瞬で、息のかかるほど近くに女の顔があった。あまりの事にエルリアもロリシュも反応できなかった。メリアが後ろで何か叫び、魔法を励起する。
目の前に浮かぶ顔。それは真っ白で、無表情。瞳は無く、眼窩は真っ黒な穴のように落ち窪んでいた。
『……デテ、イケ……』
みるみるうちに顔は痩せ細り、白い肌が消え、骸骨と化す。眼窩の奥に禍々しい赤黒い光が揺れ、僕の顔に骨だけの手を伸ばした。触れた瞬間、氷のような冷たさが神経を麻痺させた。
身体が拘束されたように動かなくなる。
「う、あ……、あぁあああああ!?」
叫ばすにはいられなかった。カルビアータさんの叫びと同じ、情けない叫びをあげる。こんなの無理に決まってる。
強張った身体を奮い立たせ、剣を振る。
けれど手応えは無い。スカッと空しく空をきった。
「いやぁあっ、アルドっ!」
ロリシュが半泣きで後ろから僕を抱き抱えた。というか、幽霊から引きはなそうとしているのか。
「そんな!? 清塩魔法が効かない!?」
メリアも魔法が通じず慌てている。
いきなりのピンチ、僕の身体がどんどん熱を失い、硬直してゆく。剣を握る腕が、動か……な……。
「アルを放して……っ!」
僕を救ってくれたのは、なんとエルリアだった。
声も出せずに驚いていたのかと思いきや、床を蹴り白い幽霊を拳で殴り付けた。
『――――ナ、ガッ……!?』
バシュンッ! と衝撃が空中を伝わり、幽霊が吹き飛んだ。
確かに攻撃がヒット、実体の無い霊体をエルリアは物理的に殴れるのか。
「エル……!」
「しっかり、アル!」
けれど幽霊は消えたわけじゃなかった。憎しみの炎を赤黒い目に宿し、歯の抜け落ちた口を開け叫ぶように威嚇する。
「アルドくんっ! 普通の剣じゃ倒せないわ」
「わかってる……!」
まさかこんな序盤から使うことになろうとは。
僕はエルリアにアイコンタクト。
退魔の剣、エルリアルドを使うんだ……!
<つづく>