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未来予知でどうにか未来を変えてみせます!

美しい音楽が流れ、眩いシャンデリアが蝋燭の灯りを反射する。その下に広がる大広間では幾人ものドレスが大輪の華のように広がっては、音楽に乗せられてくるりと回る。

私もその中の一人だった。この大広間の中の大輪の華、というのはおこがましいが一輪の花ではあったように思う。幼い頃から習い続けたリズムは私を軽やかに見せ、その瞬間だけ自由にしてくれた。

そして、私は踊っている相手の目の中に、少しだけ不安そうな自分を見つけては安心する。

――――私には、まだ顔がある、と。


「アデイル嬢」

真摯に見つめてくる碧い瞳の中に自分を見つける。珍しくもない金の髪に、淡い紫色の瞳。

まだ幼いので最低限に抑えた化粧だがさりげなく付けられたルージュが表情を明るく見せてくれていた。

「イアンさま、本日もありがとうございました」

呼びかけに応えるように、ふわりと腕を引き、淑女の礼を彼に送る。イアンと呼ばれた男はかすかな笑みを浮かべて礼をし直した。

そうして、ダンスが終わり、パートナーから身を引いた一瞬がいつも私にとっては最も恐怖の瞬間だった。

送られてくる拍手、音楽の演奏者、それらのすべてには「顔がなかった」からだ。

何を隠そう、このアデイル・フォンディーヌは転生者だ。元は現代日本でOLをしていて夜になればダラダラと乙女ゲームをやり、画面の中で幾人もの男を手玉に取った。

それがある日、疲れて帰ってきた流れで、ワインをお風呂に持ち込んでしまったのだ。スマートフォンを風呂のふたに乗せて、ワインを傾けながら乙女ゲームをやる。

その時にはこの世の春!とはしゃいでいたのだが、今思えば中々の地獄絵図だ。――それはともかく、そんなふう、ただでさえ茹るようなセリフを風呂場の反響する中で聞かされ、さわやかな白ワインを飲みすぎて、…どうやら私は死んでしまったようなのだ。

ふうわりと意識が遠くなって、目が覚めるころには私は「アデイル・フォンディーヌ」になっていた。

後々死体を発見することになるだろう管理人には申し訳ない限りだし、そんな死因が親に行くことも耐えがたいのだが、これはこれで大問題なので許してほしい。

何より、アデイル・フォンディーヌとは私のやっていた乙女ゲームの中のいわゆる「悪役令嬢」であったのだから。

しかも体験版しか発売されていなかったスマホの乙女ゲームということで、正直シナリオは中々にクソだった。モブにはまず顔グラフィックが存在せず、悪役令嬢には声がなかった。メインの男性にだけきらきらしい顔が付いていればそりゃあ格好良く思えるはずだと私は笑ってプレイしていたものだ。その上、まだ一ルートしか完成していないそのゲームでは悪役令嬢の顔グラフィックすら最後の断罪イベントを待たずして消えていってしまった。もはやライバルとの確執すら描くのが面倒になったのだろうか。主人公が、王子の一人に愛されるようになったその時にはすっかり悪役令嬢はモブ落ちしていたのだ。

酔いの回っていた私にはそれすら面白く、モブじゃんと笑いながら三杯目のワインを口に運んでいたが、今となっては大問題だ。


「―――次のお相手をお願いしても?」

ゆったりとした音楽と共に、手を差し出される。

私は笑顔でまた手を取る。


この世界のほとんどの顔は私には見えないのだから。


髪型と耳、顔の輪郭。それだけののっぺらぼうとワルツを踊る。声だけはどこからか聞こえてきても、ぞっとする思いは止められない。

私もいつかこうなるのだ。主人公が現れて、私の婚約者である王子――、イアン・ソルベージュと真実の愛に落ちてからは。

だから、それだけは決して許してはならない。

私は自分の顔を失わないのだ、と心に決めて、今日もワルツのリズムを踏む。


「ああ……疲れたあ……」

淑女らしくないがくったりとドレスを脱いだネグリジェ姿でカウチにもたれかかる。

ようやく自宅に戻ってこれたという安心感で、体も伸ばしてしまう。

柔らかな革張りは、わずかに冷たさを私に伝えてくれてほっと息をつくことができた。

「アデイル様は舞踏会がお好きでいらっしゃいますのに、体力だけはつきませんね」

私の脱いだドレスのしわを伸ばしながら、メイドが声をかける。やはりそこに顔はない。

私はそれから目を背けるようにごろりとカウチの上で転がった。


「踊るのが好きなわけじゃないのよう…」


ぺたぺたと顔を触る。私には鼻がある、目がある、唇がある。それを確認していないと安心していられない。

乙女ゲームのシナリオが始まっていない「舞台裏」だとしても、それで無事ですむと思えるのは楽観的すぎる。

けれど、この世界には鏡というものがないのだ。正確には上等な鏡が存在しない。屈折率99.9パーセントなんて硝子がしっかり生み出されるのは技術的に後の話だ。

かのヴェルサイユ宮殿の鏡の間は、その美しさよりも「それだけ高価な鏡をふんだんに使うことができる」という財力を示すためのものだったという。

我が家はさして裕福とは言えない侯爵家だ。王家の間にある鏡を使って顔を確認するか、もっと簡単に、誰かの目に映る自分を見るのが一番手っ取り早かったのだ。

そのためにはソシアルダンスは役に立った。ぴったりと体を寄り添わせて踊るそれは、かならずパートナーの瞳を見ることが発生する。

それを幼い頃、と言っても中身はアラサー近いOLなのだが、に気が付いたときから私は必ず舞踏会には出席するようになっていた。


家のものは社交に出るのが好きな積極的な娘だと考えてそれを割と応援してくれているのがありがたい。

父は良くも悪くも権力におもねりがちで、私のことをまあほどほどに愛してはいるものの結局は政治の道具として使おうとしている。

母は無邪気に私を愛してくれていて、ドレスなどをリメイクしてはいくつもの舞踏会に送り出してくれている。

これがまた悲しいことに、その性格のせいか、父には顔があるが、母には顔がない。

おそらくは父は王家を裏切り、ストーリーの悪役として見事に活躍してしまうに違いなかった。

不吉な占いにもほどがあるが、40も過ぎてしまった父親がメインのラブストーリーに関わるはずがない。


ここでも自分の運命が多少は作用してしまうのかとため息をついた。

そのため息を聞きとがめてメイドがこちらを振り向いた。

「まあ、ため息なんておつきになって。この国で一番幸運なお嬢様と誉れ高いのですよ」

「……いまはね」

ううー、と声を上げて転がり続ける。そう、現時点、14歳での私は「この国の王子との婚約を結んだ幸運な令嬢」なのだ。

「イアン殿下も、お嬢様のその菫色の瞳に憧れたとおっしゃっていたではありませんか」

「あれは……」


そう、ダンスをすれば自分の顔があるかどうかを確認できると思ったけれど、そもそも踊る相手にも顔がなかった時の衝撃を考えてほしい。

それで作戦失敗を悟ったときに、美しい顔を全開にして、碧い瞳に自分の顔を映してくれたあの王子に出会ってしまったのだ。

のっぺらぼうに囲まれ続けた私の笑顔が最大出力になってしまったことは許してほしい。

その瞬間、王子ははっと目を眇めて、私の手を取ったのだ。

あれはまさしく王子様らしい行動だった。

素晴らしい、ビバ王子様。

私のそんなテンションが伝わってしまったのか、踊り終わったときには王子からは蕩けるようなほほえみと共に

「また私と同じ時間を過ごしていただけますか」

とお言葉を賜ったのだ。

乙女ゲームのシナリオを思い出し、自分が消えるルートに一歩踏み出したことを知りながらも、自分を映してくれる「鏡」を手に入れたことへの喜びは底知れなかった。


「あれは……、あの時気持ちが沸き上がってしまって……」

もにゃもにゃとごまかすと、メイドがほほえましそうに息を吐く音が聞こえた。

どうしたって事情なんて話せないのだから、いいように勘違いしてくれたらいい。

そう思ったときだった。


「嬉しいことを言ってくれますね、アデイル嬢」

「ひっ!?」


突然部屋のドアが開いた。

ここはもう自宅で、私の私室だ。それなのに、なぜ。

柔らかな金髪は私のものよりもずっと艶やかで、海とも空ともつかない青色が私を映している。

にこりと微笑んだ姿は完璧な王子様で、ここだけはあの乙女ゲームよくやったとしか言いようがないほどの完璧な美貌だ。

それが、今、私のネグリジェ姿を……。


「おやそんな姿で、……失礼したね」

「こ、ここは、プライベートルームですわ、イアンさま!」


ばばばっと必死に布をかき集めて自分の体を覆う。

あら、と部屋の主人であるはずの私よりのんびりした声を上げたメイドは気を利かせたのか部屋からいなくなってしまった。

イアンは失礼したといいながらも、ドアから体を滑り込ませてこちらに入ってきてしまう。

私は余計に体を固くして、布とクッションの間に埋もれた。


「あなたの父上にこちらにいらっしゃると聞いたもので」

「お父様!?」

また私を都合よく利用しようとしていませんか!?と心の中で叫びながら、私は何とか笑みを作る。

「こんな姿では、イアン様のお相手は務まりませんわ。少し着替えを……」

「私はその姿でも全く構わないけどね」

「イアン様……」

思わずじっとりした目で見てしまう。

4つほど年上の王子様が14の私にそんなに好意を見せること自体がどうなんだと思わなくもない。

しかし私の視線をどんなふうに捕らえたのか、さらにイアンは私に近づいてくる。

勘弁してくれ、と内心で声を上げた。


乙女ゲームのシナリオがスタートするのは16歳の春からだ。

貴族院、何かたいそうな名前がついていたが忘れてしまった、の中での二年間で主人公であるヒロイン(名前自由)が様々な貴公子たちと恋をする、という内容のはずだ。

だから現状どのような行動をすればよいのかはわからない。

じりじりと距離を詰めてくるイアンの鉄壁のほほえみを、さらなる笑顔で返しながら私はクッションを前に構えた。

「ああ、その目が好きなんだ」

「わたくしの目…?」

「そうだ菫色で、まるで僕しか映していないような瞳」

そりゃ、実際ほとんどあなたしか映ってませんからね!と言えてしまえばどんなに楽か。

ただ、私の周りがすべてのっぺらぼうに見えるという状態を知らなければ「あなたしか見えない」などは完全な告白だ。

淑女がするべき発言ではないし、何より熱烈すぎる。

とりあえずこの何年間で培われたお嬢様力によって、「まあ…」という返事だけが口をつく。

それを肯定ととったのか、イアンは私の髪を指で掬い上げてキスを落とした。

「ダンスの時にはあんなに熱烈に見つめてくれるのに、今は何でそんなに顔を背けるの?」

ひええええ、と叫びだしそうだが、必死にこらえる。

髪に伝った感触で背中にざわめきが走る。

はあ、とかまあ、とだけ答えるのが淑女らしいがこれにそんな答えばかりを返していれば、もう何が起こるかわからない。

疲れた成人女性向きなせいでやたら多かったキスシーンを思い出して、私は勇気を振り絞りクッションから顔をのぞかせた。


「わたくしはそんなにふしだらではありませんわ。……あなたを見つめるのはダンスの時だけだと決めております…の…」

顔がいい。

こちらを見つめてくる青色は、全てを飲み込むように穏やかな光をたたえていて、継承順位を表す肩章の赤色が髪の金色に映えて輝いている。

きっちり言葉で言い募る予定だったのに、あまりの造形美に言葉を飲み込んでしまった。

頬が熱い。

そんな私の姿をどのように映したのか、イアンはまた花のほころびのような笑みを浮かべる。

「残念だけど、じゃあそういうことにしておこうか。…舞踏会で目を合わせてもくれなくなっちゃ困るからね」

最後に私の頭をひと撫でして、イアンは立ち去っていく。

足音が遠ざかり、プライベートルームの扉が閉まった瞬間に、音をたてないように鍵をかけた。

「心臓、止まるかと思った……」

そんだけ甘い言葉を吐きながら、君はあと2年したら真実の恋に落ちるんだよ、と言ってやりたい。

未だに鳴りやまない心臓を押さえながら、私はもう一度冷たいソファの感触に身を任せた。



「イアン殿下」

「ああ、今行く」

短い答えと共に、迎えの者についていく。迎えに来た男は王の忠実なる部下シルヴァンだ。

名前の通り、銀の剣のような白銀の髪に冷たいアイスブルーの瞳をしている。

取り立てられてからは数年もたたず、私と同じ年齢だというがその王への執着は恋に近いものがある。

そんな彼から非難めいた視線が送られたように見えたが、無視して歩みを進めると声を掛けられた。

「あのような娘でよいのですか」

「第三王子の婚約者などどうでもいいのではなかったか、シルヴァン」

「……そのようなことはございません」

「正直な間があったね。愛する王から何か言われたか」

私の言葉にシルヴァンがぎゅっと眉を寄せる。表情をすぐに露にしてしまうあたりは、アデイルのようで愛らしいともいえるが、それは貴族にとっては弱点にしかならない。

とんとんと額をつついてみせれば、ハッとした表情でシルヴァンが無表情に戻った。

「その顔を保っているといい」

くつくつと笑いながら歩を進めると、小さな声で腹黒王子と罵る声が聞こえた。

ああ、そんな風に常に自分をあからさまにし続けるなら、この男を隣においてもいいのだが。

「さて、質問に答えようか。アデイルは私に似ているからね」

「似ている?熱烈に容姿だけを褒めていてですか」

ナルシスト、という言葉がシルヴァンの冷ややかな瞳に浮かぶ。

まあそう思うだろうが、と私は軽く手を振った。

「容姿……?ああ、瞳はいいね。私しか映っていないようにこちらを見てくるのはなかなか気分がいい」

シルヴァンの望むような悪いことばを吐けば、それをそのまま王に伝えてくれるだろう。

だけどね、本当は違う。

日頃は楚々とした令嬢の姿をして、「幸運にも王子を射止めた娘」の役柄を勤めているが、常に何かを恐れている。

今は社交界の中心となり、咲き誇る花だがそのしおれた姿を見せればすぐに取り除かれることをしっている花だ。

その姿は、常に邪魔になったらいつでも排除することができる駒として配置された私によく似ていた。

「よく似ているよ」

私は呟き、歩を進めた。

今のところ何かにおびえている彼女が、唯一目を輝かせて笑うのが舞踏会だ。

彼女をまたどこかの舞踏会に誘い出そうと心に決め、私は王宮からの迎えの馬車に乗った。



王子がいなくなってからしばらくして、メイドに救出してもらい(顔の良さ、おそるべし。私の腰はすっかり抜けてしまっていた)、私はようやく引きこもり体制を整えた。

しっかり王子の馬車を窓から見送り、晩御飯をいつものように食べ、ベッドの上に今は腰かけている。

イアンが訪ねてきたことに父はすっかり満足気で、いつもより早い就寝時間も見とがめられることはなかった。

「おやすみなさい」

そっと声をかけ、ようやく周りが見えなくなってから安心する。

もうこうなってからは顔があるのもないのも関係がない世界だ。

幸い、この世界には電気なんてものはまだないし、あるのは揺らめく蝋燭のひかりだけだ。

読んでくるのは全員顔がない、ということさえ呑み込んでいれば、ぬっと飛び出す白い顔に恐れることがない。

夜中に小腹がすいて、メイドの顔がないことに悲鳴をかみ殺す日々ももう遠い過去になっている。

滑らかなシーツに体をうずめて、枕の下から小さな羊皮紙を取り出す。

幼いころに無理やり書いたせいで飛び散ったインクは無様だが、忘れないように必死に書きこんだあの乙女ゲームの内容がそこには詰め込まれていた。

現状顔が見えるのは一人だけ。

イアン・ソルベージュ。

自分、アデイルの婚約者であり、国の第三王子である彼は、常に兄二人の代替品として見られる。

しかも、王の容姿を最も引き継いでいるのはイアンであるために、外交などに駆り出されてしまい、いつ死んでもいい見せゴマとしての扱いに閉口している。

「だから好感度は上げやすかったけど…」

主人公が出会ったときに、彼は初めて色眼鏡なしに自分が見られるのだ。自分を特別な存在として認識してくれる主人公を見て、イアン自身が初めて自分を愛し、自分が主人公にとって唯一の存在であるために努力を始める。

主人公は素直にそれを褒めてくれるため、どんどんと才能を開花させたイアンは様々な栄光を勝ち取り、自分を「王子」としてしかとらえない婚約者のことなどどうでもよくなって、主人公とくっつくという展開だ。

「……断罪してでもいいから、どうでもよくならないでほしかった……」

その結果として私の顔は消える。

ではそれを回避するために、どうすればいいのだろう。

「主人公が別の人とくっついてくれるのが一番ありがたいけど」

とはいえ、ゲームとは違いイアンは輝き全開でそんなに不安定な存在には見えない。

やはり自分には主人公パワーが足りないのだろう。不安や愚痴なども言われたことがなかった。

自信をもってすべてに立ち向かったイアンの姿はしっかりと覚えている。最終的に主人公がいなくても、自分のことなどどうでもよくなって広い世界に飛び出してしまうかもしれない。

そうなったらおそらく私の顔は消えてしまう。

「顔が消えないためには、存在感を示すしかない――」

ならば、取る道は一つだ。

シナリオライターがさぼってしまった私の悪事をしっかりと働いて、どうにか断罪イベントまで私の顔を残し、断罪でも死刑にはならない程度の罪で絶妙にこの世界からはぐれてしまおう。

出来ればその時にのっぺらぼう以外の人間が隣にいてほしいけれど…、そこまでは高望みだろう。

私はこれからの行動方針を決めて、ろうそくを吹き消した。


悪役令嬢としてしっかりと勤め、しっかりヒロインをいじめることこそが自分がモブにならない方法である。

そう決めた私は、ようやくすっきりと目覚めることができた。

朝起きてすぐに顔を触って、目や鼻のでこぼこがあることを確認するのもすっかり習慣になった。

今日も私の顔は無事だったらしい。

ほっと息をついて、メイドを呼び出した。

それからの日々は、ただひたすらに勉強の日々だった。

人をいじめる、と言っても理由も何もなくいじめるだけでは自分自身が嘲弄の的である。誰からも劣った人間が、優れた人間を馬鹿にするのは哀れを誘うし、それだけなら顔のないモブ令嬢でも十分できてしまう。

歴史学、礼儀作法、数学、語学。普通の令嬢であるならば必要のない地政学や薬学までを丁寧に修めていく。幸い私がそんな風に手を動かし続けることは父から見れば、王子妃に選ばれるために野心に燃えている図であったのだろう。本来なら成人してから開かれる図書室や、薬草の生えている温室も開放してくれた。それを行えば行うほど、ゲーム内の主人公がいかにチートだったかが身に染みてきてつらい気持ちになったのだけども、そんな彼女をどこか一点でも超えることができなければ身の破滅、モブに落ちてしまう。

必死に必死を重ねた末に、私が光明を見出したのは占術の分野だった。


ある日のことだ。段々と暑くなってきた季節の中で、薄い素材の室内用ドレスを身に纏い、開放してもらった図書室にこもっていた。

むっと鼻につく紙の匂いは、本来あまり心地よいものではないのかもしれないが、のっぺらぼうの人間に囲まれないということでは一番私にとって幸せな部屋だった。

さして立ち入る人間のいなかったらしい図書室の本の並びはぐちゃぐちゃで、私はそれをジャンルごとに並び替えながら、とにかく自分が一手主人公に先んじれるものを探し続けていた。

歴史学はずっとこの世界に生まれてからいたわけではない自分にはつらい。

数学は、乙女ゲームとしてこの世界に触れていたころから大の苦手だった。

政治学まで行ってしまうと、その時点で不敬とでも思われてしまわないだろうか。

様々な不安のせいで、中々これだというものが見つからない。

最後になって、何のためかもわからない本だけが並べられた棚に手を付けて、私はようやく目的のものにたどり着いたのだった。

それが「占術」――つまりは儀式や占いで未来を予知するという分野だ。

愚か者だけが志す内容だと馬鹿にされている学問分野だったが、私に見えたのはトレンド分析による「未来の推定」といえるものだった。要はデータを積み重ねてその末に何が起きるのかをできるだけ高い水準で予測することを「占い」という名前でくくっているのだ。と、いうかその本を見ればわざと「占術」という分野を不確実なものとしておいて、馬鹿にされておくべきであるという考えがあるのだということが透けて見えた。もしもそれを正しく行うことができればそれは戦争や政治において、計り知れない力を示すだろう。

王権がひどく強い国で、それを行うことができるのは王だけでいい。

そのような思想が裏には隠れているようだった。

「……逆に、王家の人間に関わっているなら持っていてもいい知識ってことじゃないの…?」

一応は第三王子の婚約者である身で、未来予知ができるというのはなかなか付加価値としては高いのではないだろうか。

それで、主人公に対しては彼女がいると周りが不幸になるとでもデマを流せばいいだろう。そしてそれがばれても、「占いが外れただけ」ということにしてしまえば、厳罰にはならないのでは…?

そこまでを考えた私はにんまりと口をゆるめて、さっそくその古びた本を部屋に持ち帰ることにした。

前世からおなじみのタロットカードに似たカードでの占いや水晶玉といういかにも怪しげなものから、どのように言葉を発せば人が自分を信じてくれるかという心理学に似た内容、その中でひっそりと書かれている「未来予知」の方法。主に積み重なった情報からどれが確率の高いものかを考え出すその内容に私はのめり込み、前世からの記憶と整合するようにその知識を修めていった。

「…あんまりいきなりやり始めたら怖いかな」

大体神のお告げとか言いながら預言っていうのはやるものだけれど、占いの場合はどうすればいいだろう、と考え始めたときに部屋にノックの音が響いた。

「はい」

即座に別の本を開き、淑女然とした声を出すとメイドが顔をのぞかせる。

白いレースのヘッドドレスの下がつるりとしているのはいつ見てもあまり愉快なものではない。

そんな白い電球のような姿に察せられない程度に顔をゆがめ、要件を聞くと飽きもせずにイアンが家に訪れているということだった。

一月先の舞踏会にも招かれているはずだが、何をしに来たのだろう。

既に応接間に上がって待っているという言葉に慌てて自室まで帰り、着替えを行った。

室内用のドレスは綿か麻のような軽く汗を吸う布地でできているのに対し、来客用のドレスはやや重たいサテンに似た生地だ。光が当たるとうっすらと反射するのが美しく涼しげに見えるとはいえ、着ている人間はやや暑い。王子の瞳の色に合わせて選ばれた淡い青色のドレスに腕を通し、私はまたため息をついた。

「お待たせいたしました」

応接間の扉を開き、小さく礼をする。遅れたことを責めることもなく、イアンもにこりと微笑んでこちらを見た。


「今日もかわいらしいね」


あ、嘘だ。


その時そんなことに気が付いてしまったのがよかったのか悪かったのか。

僅かに右側を見る視線や、唇をなめる舌の動き。さっきまで読んでいた本にどうしてもその動きを当てはめてしまう。

それと同時にやや落胆する気持ちが芽生えてしまうのは乙女として生まれ落ちてしまった性ということにしておこう。

今までの賛辞も全て実は嘘だったのではないかという考えは少し胸の奥を重たくしたけれど、まあこちとら悪役令嬢である。彼が真実の愛を見つけるまでのバーター選手でしかない。

かわいいなどと思われていないのも致し方ないかと思い直して、ただ恐れ入りますと頭を下げた。


「……何か気に障ることでも言ってしまったかな」

「なぜでしょう?」

「いつもなら、愛らしく頬を染めてくれるのになと思ってね」

「そんなことありませんわ」

食い気味に否定してしまう。

的を射た指摘だったというのがばればれだ。案の定イアンは私の言葉に軽く目を丸くしてから小さく笑い声をあげた。

「隠すことない。いつも正直な君のほうが素敵だよ」

そう言った言葉は嘘ではなかった。

まあ、もともと権力大好きな父の娘だ。あけすけに内情がわかるほうが王子としても助かるのだろう。なんて乾ききった発想しか生まれてこなくなってしまったの残念といえば残念だ。これまでは一応王子の一言にときめいたり、さすが王子と思うことも多々あったのだけど。でもまあ、それぐらい打算がありながら、力を発揮しきれていなかったというほうがゲームの中のイアンらしかった。

「いえ、いつだって私は自分に正直ですわ」

だから、私は今までに培ってきた「令嬢らしさ」をフルに生かして、完璧なほほえみを作った。

それが作り物だということは即座にばれるだろうが、何かを言うつもりはないという意思はしっかり示せるだろう。

「…そうかい」

やはり、イアンはそれだけを口にすると他愛のない世間話に話題を移した。ほんの少しだけ伏せられた瞳に私は気が付かなかった。


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