世界が水に沈んでも、あなたがわたしを照らすなら(三十と一夜の短篇第46回)
雨 雨 やんでおくれ
わたしの畑は もう水の底
雨 雨 やめておくれ
向かいの家は もう流された
「ふん、ふんふふーん♪」
暗いはずの歌を明るく歌うサニーに、ソラは呆れた目を向けた。
じっとりと暗い円筒型の道に、場違いに明るい歌声がひびく。
「サニー、それって悔恨歌?」
悔恨歌、絶望にまみれた人類が見えない希望を歌ったはずの歌だ。それなのに、サニーは調子っぱずれの明るい声で歌い続ける。
それでも雨は ふりやまぬ
神の怒りは おさまらぬ
どうか だれか 神様の大切な人を
生き返らせておくれ
暗く沈むような本来の音色ではなく、楽しげにはずんだ歌声で歌い切ったサニーがにぱっと笑う。
「うん。そうよ」
声と同じく明るく楽し気なサニーの顔を見て、ソラは何か言う気も失せてため息をついた。サニーに物を言う労力を有効に使おうと、じめじめと暗い足元に目を向ける。
そこに広がるのは、苔、藻、きのこ。
どこを踏んでもぬめって足をすくう地面から、ソラは食べられるものを探そうと目をこらした。
ぱしゃん。
ぱちゃ、ぱちゃ。
ソラの視界に水しぶきが飛ぶ。
なにが楽しいのか、ぼろ切れを身にまとったサニーがソラの横を跳ねて通り抜けて行った。
「…………」
ソラは黙って顔に跳ねたしずくをぬぐい、あらためて足元に目をやった。
水を吸ってぶよぶよと膨らんだ藻は、食べられるものだっただろうか。ひとまず持って帰って、だれかに聞いてみよう。
腐りかけたかごに藻をすくって、ソラは振り向いた。
暗い円筒の遠く、かすかな明かりが揺れるあたりにサニーが踊っているのが見えて、ソラはまたため息をついた。
ぱしゃ、ぱちゃ。ぴしゃ、しゃぷん。
円筒の床にたまった水を蹴飛ばしながら、サニーの元へ向かう。
遠くから名を呼べば、いたずらにサニーを喜ばすだけだとソラは知っていた。つい昨日もそうやって、互いに互いの名を呼ぶ不毛な時間を過ごしたばかりだ。
「サニー、なにしてるの」
歩み寄り、声をかけたソラは、サニーの腕にあるかごのなかに毒々しいきのこや到底くちに入れたいとは思えないどろりとした苔が詰められているのを見つけて顔をしかめた。
けれど捨てろとは言わない。サニーが集めるものは見た目こそひどいが、食べられないものであったためしがないからだ。
「空、きれいね。しずくがちらちらたくさん降ってくるの」
円筒の端から空を見上げたサニーが笑う。
その笑みの無邪気さにソラは眉をしかめた。
「きれいなもんか。雨ばっかり降り続くから、寝床にまできのこが生えてくる。おとなはみんな、世界が水没するんだって泣いてるじゃないか」
絶望にどっぷり浸ったおとなたちが、晴れた空を知らない子どもに「ソラ」と名付けるむなしさをソラは知っていた。異国のことばで太陽を意味する「サニー」も、ありきたりのむなしい名前だ。
いくら子どもに希望を背負わせても、雲の向こうに隠れたきりの太陽が出てくるはずもない。
生き物を育むはずの大地は水浸しになり、ほとんどの植物は腐り果てた。
糧を得られぬ動物たちは、数を減らす一方だ。
どうして雨が降り続くようになったのか。そんなこと誰も知りはしないけれど、このままでは近いうちにひとも死に絶えるだろうことは、誰もがわかっていた。
それなのに、サニーは笑うのだ。
その笑顔はときどきであれば、雨に沈んでしまいそうになるソラの気持ちをほんのすこし救うけれど、だいたいにおいてソラを苛つかせる。
「サニー、いつだってあんたは笑ってばっかり。なにがそんなにおかしいんだ」
眉間にしわを寄せたソラが声に苛立ちをにじませると、サニーは空から目をはなした。その目にソラを写して、サニーがきょとりとまばたきをする。
ぱちり。まぶたによって陰ったひとみは、一瞬ののちにふたたび開かれ、明るい光を宿した。
「世界が雨に濡れているなら、頭のなかくらいはお天気良くいたいじゃない」
そう言って底抜けに明るく笑ったサニーの目が、やわらかく細められる。その瞳を直視してしまったソラは、どきりとした。
サニーの目の奥にきらめいた光は、ひどく強い輝きを持っていた。直視してはいけない、けれどずっとその視線に照らされていたいと思わせる光。
その光にソラはぼうっと魅入っていた。いつまでだって見ていられると思える、強く、けれど暖かなその光。
そして不意に夢想した。
曇り、水ばかりをしたたらせる天に、この光があったなら。
ぶあつく天から垂れるあの雲を切り裂いて、あの光が自分を照らしていてくれたなら。
暗く沈んで重苦しい暮らしが変わる気がした。不貞腐れてかわいげのない自分自身が、素直に生きられる気がした。
サニーのように飛び回っても、水に濡れることなく心のままに踊れる大地。
水浸しでぬめるきのこではなく、やわらかくほぐれた土に色々な植物が生えた様。
そのうえを吹く風は、さっぱりと乾いて心地良いことだろう。
天の光に見守られた、明るく、心弾む日々。
なにもかもが、よくなる気がした。
その光にソラは焦がれた。
「ああ、サニー。もっと笑顔を見せて。あんたの笑顔をもっと見たいんだ」
恍惚とした表情で言ったソラは、サニーに向けて手を伸ばす。
ほほを包むその手を受け入れながら、サニーもまたソラの腰に腕を回した。
「うれしい。あたし、ソラの瞳が好きよ。その澄んだ青色が大好き。あなたが喜んでくれるなら、あたしはいくらだって笑って見せるわ」
絡み合い、ほほえみを交わしたふたりは互いの距離を近づけていく。
いよいよふたりのあいだに隙間がなくなるころ。水の浸食に耐えきれなくなった円筒の端が、彼女たちごと崩れて落ちた。
それでも、彼女たちは顔をあげることもない。崩れた円筒が水に呑まれていっても、気にも留めない。
サニーとソラはただ互いの瞳をうっとりと見つめて、水の底に沈んでいくのだった。
重要事項:どちらも女の子