80話『助けて、ください』
『助けて、ください……――ッ』
モニター越しにリビングに響いたそんなか細い声。僕はすぐさま通信を切断した。理由は母の意味深な視線から逃げるため。サンダルをつっかけ、玄関ドアからそっと顔をのぞかせる。
「えっと、何用で? 残念だけどうち、110番の家じゃないんだけど」
「家出してきました」
「はぁ……えっととりあえず立ち話もなんだから……うち入る?」
それから僕は茉莉を部屋に入れ、ひとりトイレに行くふりをして、すぐさま風太に電話。事情は知らないけれど振った女子と一緒の空間で息を吸えるほど、僕の肝っ玉は据わっていない。僕の生命活動が危うい。手汗で指紋認証は困難だった。
茉莉……許せ。
「とりあえず、お茶でも、飲む?」
「……ありがとうございます」
まともに会話を交わしたのは一体いつぶりだろうか。僕は一応挨拶くらいするのだがどうにも返してくれなくて泣きそうだった。櫻木と一緒に歩いているときにばったり鉢合わせ、なんていつも冷や汗。考え過ぎなのだろうが、考えてしまう。
「えっと、二年生になって何か変わった?」
「再婚するんです」
僕は急な告白に疑問符をおよそ少なく見積もって一〇個ほど浮かべた。
「ふーん……結婚してたんだ……し、知らなかったなぁ、そっか、一六歳で結婚できるんだもんね……ははぁ……今何歳だっけ」
法律が変わり結婚は一八歳からに引き上げられるらしいが……。詳しくは知らない。
ということは要するに、再婚に反対した風太から逃げて……駆け落ちEND。という事だろうか。全く分からない。相手は誰なのだろう。
「父が、新しい女の人を連れてきたんです」
「父……あの、それって、僕が訊いていい話?」
なんだか、僕はとんでもない友人の家庭の話を聞いてしまった気がして、思わず中断させたがもう遅い。思考を遮るようにインターホンが鳴り。僕は恐る恐るドアを開け、開幕苦笑いを披露。大団円とは行かなそうだ。ということを風太の神妙な面持ちから汲み取る。こんな表情見たことない、きっと僕が女子だったら一発で惚れるだろうと思う真剣な表情。
「悪い夜遅くに、迷惑かけたな。マリちゃんは?」
「えっと、僕の部屋。とうぜんもちろん髪の一本すら触れてない」
僕が先頭で風太を自室へ案内する。そして響いた女子の悲鳴にも似た訴えの癇声。
「先輩――お兄ちゃん! どうして! どうしてみんな裏切るの!」
「僕は一体どうしたら……」
「ちょっと、部屋借りるぞ、扉押さえててくれないか」
僕はもうどうにでもなってしまえとドアを押さえる。しばらく絶叫といろいろと気になる悲鳴を聴きながら三十分ほどして。揺れが収まる。
「お邪魔しました……ご迷惑をおかけしました……」
「いや、まぁ……別に良いけど……なんか、ごめん」
帰る背中を見届け。僕の部屋はまるで空き巣に漁られた後のような惨状。頭を抱えてしゃがんだ。この日の深夜、僕は今日のことを忘れようと大掃除に励んだ。
「ったく、迷惑な兄妹だ」




