68話『イジメるのに理由なんていらない』
午後の授業は英語と国語。どれも最悪に不得意な教科。だから部活に備えて居眠り。時々起こされたが徹頭徹尾気づかぬふり。
「あれ? もう鼻血は止まっちゃったの?」「やめなって、可哀想だろ」「泣かせたら可哀想じゃん」
「泣いてねぇよ……」
僕は思わずそんな言葉を吐いた。どうやら僕の声は聞こえたらしく、拾ってくれた更科雄太が言う。不良然とした、そんな声音。
「あ? なんつった?」
「……」
僕は無視して体育館の水銀燈を反射する床を歩いた。
ボカっと頭を打つ固く重たいバスケットボール。誰も僕の表情を知らず。楽しそうだ。
僕もできるなら、手を闇に染めてもそこにいたい。彼らのように安全圏から笑って見ていたい。
僕は自分の中に芽生えた、渦巻く黒い濁流の感情に悪寒を抱いた。
殺したい。
そんな感情が自分に対して向けたものか、彼らに向けたものなのかわからないけれど。呼吸すら躊躇われるその感情に、僕は何をしたらいいのか理解できない。
不安定な精神は自制が効かない。僕らはそういう時期だ。
僕は強いんだ。だから……呑み込まれない、絶対に。そしたら彼らの思うつぼ、負けだ。
「おい、無視かよつれねぇなぁ……」
僕はこの体育館でこの状況を見ているのが誰なのか目と思考に焼き付けようと見渡した。別に誰かに助けを求めるために顔を上げたわけではない。
女子・男子バレー部、バスケ部。目が合って逸らされ。それは普通の反応だ。肩が掴まれ、無理やり視界に入る怒りの形相。
「無視なんか、してないですよ。で、なんの話ですか」
「お前さっき俺に生意気なこと言ったよな!」
「……だから?」
強気になってみたつもりだ。けれど足が震えた、手が震えた。咽喉が締め上げられる感覚に声が上ずった。
「――ッ! イテェ目見ねぇとわかんねぇのか!」
自分より弱い相手に暴力を振るうような人間は、総じてこういう人間だ。ひとりの人生を狂わせることに大した理由なんてない。ただ気に入らないから、適当な文句をつけているだけ。けれどよく考えたら大した理由じゃなくて、指摘されたら誤魔化すように大声を張り、暴力を振るう。
僕の頬は、重たい彼の拳をしっかり受け止めた。地面に突っ伏した僕にまたがり、胸倉をねじり掴み上げ、何度も顔を殴った。怒りの形相が次第に解けていく、こうして僕が代わりを努め、誰かに矛先が向かないようになる。彼にとっては幸い、見届けるファンはいない。
先生、あんたは教員失格だろ。
「遊びはほどほどにしろよ」
フレームの薄い眼鏡の向こうに嗜虐的な瞳があった。
気が済むまで殴られた僕は部活を途中で抜けて帰った。けれどこんな顔。家に帰ることなんてできない。けれど帰らないと。僕は負け、近所の公園のベンチに腰掛けた。
空が明るい時間が少しだけ伸びた。それは季節が夏に向かっているから。僕はそんな暮れ初めの空を恨めしくにらんだ。そこに何があるわけでもないのに。




