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6話『年上のお兄さんはこわい』

 翌朝。浅い眠りから覚醒した秋谷は天井が高いなと思った。昨晩なんやかんやで夜更かしし、寝たのは深夜二時過ぎ。秋谷のような健全男子にとって二時というのは未知の領域。


 どうして天井が高いのか。その原因はただ一つ、側頭部の痛みが物語っていた。どうやら秋谷は寝ぼけて落ちたらしい、その衝撃でたまらず覚醒した。


 そういう漫画の一面のような朝を迎えた。こういう時に限って櫻木は起こしに来なかった。ちゃんと起きているという証にカーテンを開けておいたからだ。


 机の上に置かれたアナログ時計を見る。


 六時三十分。それが今の時間。起きるには少し早いくらいだ。早起きは三文の徳という、二度寝しようかと考えた。


 そして今日は菊池(妹)の誕生日だった。


「んで、どうなんだよ。来てくれんのかよ」


 椅子に座り、体をこちらに向け、頬杖を突き、脅すように、鼻根に深い皺を刻み訊いてきた。


 通路を挟んだ隣からそんな目を向けられるものだから秋谷は思わず怖気、目を逸らす。


「ジュ、受験勉強したいなー……――ヴッ⁉ う、嘘だ! 嘘だから冗談冗談! 行く、行くから、行くからその手を放せ! な、なぁ? 俺たち人間だろ? 武力に頼らず対話で――」


 説得の末に突き放された。痛んだ首元を摩りながら抗議の視線を向けるが無力。菊池は謝りもせず腕を組み、偉そうに言う。


「ならいい。んで? 櫻木さんはなんて?」


 櫻木に予定を窺うことを完全に忘れていた秋谷は「あぁ」と曖昧に言葉を吐く。すると睨んできた。面倒だ。妹が絡むと非常に面倒だ。極まっている。菊池のシスコンぶりは正直異質。あまり詳しくは聞いたことはないが、その家庭関係が起因しているのだろう。本人がそれを伝えることはおそらくないだろう。


「そういや訊いてないわ」


 罪悪感もなくそう言うと足が浮いた――


「ッぅぐ苦――わぁったよッ! 訊けばいいんだろ! 訊けば――!」


 地に足のついた秋谷はネクタイを結び直しながら女子が織りなす重厚なシールドの十歩後ろに足を止めた。


 人一人の、それも女子となれば防御力は低い。けれど対比に攻撃力は高い。それも集団となれば男一人では歯が立たない。


 うち女子一人が秋谷の不審な影に気が付き、その波紋は広がり二、三人と秋谷の不審な存在を認知する。最終的に全員が気が付いた。そして向けてくる視線の成分は主に嫌悪。侮蔑差別を孕んだ酷い物だ。これはおそらく錯覚。「何こいつ、キモ」という幻聴まで鼓膜を弾く。


 秋谷は確り「場違い感」を認知し、一時櫻木と目が合ったにもかかわらず踵を返した。努めて爽やかに。


「僕の精神は致命的なダメージを受けた。あとで訊いとくよ」


 と、菊池に真顔で戦況報告。部隊壊滅。


 そして「あとで訊いておく」と言っておきながら放課後になっていた。不思議だ。これは時の流れというものに身を任せた結果だ。そういってしまった手前、「お前が訊けよ」とは言えず、秋谷は下校準備を済ませた櫻木に訊いた。ようやく防護壁が剥がれていた。ちょうど女子友達が別れを告げ離れたタイミングで入れ替わりに、


「卯月、今日暇?」


 そう秋谷が訊くと櫻木は不思議そうな表情を浮かべ、


「え、なんで?」


 けれど察してくれたのか「あぁあれね」と相槌を打った。一応この前菊池に頼まれて誕生日プレゼントを買いに行ったわけだし。日にちを覚えていたのだろう。


「まぁあれだな。実はさ、風太が誕生会に誘ってきてて、よかったら卯月もこねぇ?」


 目で語り合う。告げる。「俺一人で行くとか嫌だ、巻き添え食らってくれ。今度何か奢るから」とそんな長い意図をくみ取れるわけはないだろう。櫻木はとりあえずといった様子の笑みを浮かべ、


「私なんかが行ってもいいの?」


「も、もちろん! ぜひ、妹も喜んでくれると思うよ!」


「私はまぁ、旭が行くなら行ってもいいけど」


 そう聞いた菊池はすかさず秋谷の首元に腕を回し、「くんだろ?」という。その声は強制を孕んでいた。次第に絞まりゆく首元に恐怖し、頷いた。


 一行は菊池に案内され駅へ向かう。幸い交通費はある。というかお前が払えよ、という視線を菊池に向けるが伝わらなかった。こういう重要なことに限って伝わらないのはどういう原理か。


 電車に揺られて二駅。たった五分ほどの電車旅。下車して向かう場所は決まっている。


 夕食時、にぎやかなアーケード街を抜け、閑静な住宅街へと踏み入れる。坂の多い土地。少し高い場所から駅を見る。そういう場所に来た。辺りの邸宅はその名にふさわしい構え。億単位だろうかと漠然と考えるとマヒしそうだ。昨日の秋谷は二百円を出し渋っていたというのに。


「ここが風太家か……お前、実は金持ちだな?」


 黒鉄の門扉を押し開け、「ノーコメント」という。それが答えのようなものだ。門扉をくぐると広がるガーデニング。けれど手入はどれも同じ時期を機に止まっていた。雑草のように伸びるハーブや、アジサイの葉。本来薔薇でも絡ませる用のアーチの足元にはハーブが纏わりついていた。廃れていた。寂れていた。忙しくて手入を怠っているのだろうか。


 けれどそれを指摘する気はさらさらない。


 外から少しだけ見えていた邸宅をまじまじと煽り見て、


「いい家だな」と呟かざるを得ない。


「この辺りじゃ普通だって」


 その声に謙遜はない。事実そうだから。けれど人口の密集を痛感させる細長縦長住宅に住んでいる秋谷にとっては羨ましい限りだ。庭でいいから住まわせてほしいよお兄様。


 菊池は洋館を思わせる自宅の玄関ドアを開けた。柔らかい暖色の照明が迎える。


 誘われおずおずと玄関をくぐり、「お邪魔します」と呟く。けれどその声は広い廊下に吸い込まれた。吹き抜けになった高い天井から吊り下がるシャンデリアの光が暖かい。


 その吹き抜けから少し視線を斜めに向けると二階部分が見える。そこに続く瀟洒な手すりの階段。絵になる。ドレスコードがあると言われても従わざるを得ないなと。驚愕してしばらくすると廊下奥のドアが開かれた。


「お帰り、お兄ちゃん……っ」


 遠く、確り確認はできなかったがそれはおそらくお手伝いさんとかではなく妹だろう。


「そういや、秋谷、お前マリちゃんとあったことあるよな?」


「あぁ、一度。入学式の時」


 その時の印象は「あぁ、兄妹か」といった感じ。まだ年相応の幼さの残るかわいさだったと記憶している。菊池は認めたくないがイケメンだ。要するに美形だ。それの妹となれば同じく美形。目、鼻、口、輪郭すべて申し分のない美女だ。兄が菊池・風太でなければだ。


 とりあえず靴を脱ぎ揃え、発色のいい光沢の廊下を歩き、彼女、菊池・茉莉。が現れたほうの部屋へ行く。そこがリビングだ。


 促されて適当に下座の椅子を引き、座った。一枚板の飴色のテーブルは広く、四席ある。


 秋谷の対面に座るのが菊池の妹、茉莉だ。どこかぎこちなく、迷惑そうにしていた。


 来たことが間違いだったと痛感。本日の主役である茉莉が不機嫌とあれば意味がない。


 秋谷は申し訳ないと思いつつ、部屋を見渡した。


 左手側には壁掛けの七十インチほどのテレビ、それを挟むように大型のスピーカ。テレビよりおそらく音響のほうが高い。海外ドラマの豪邸に出てきそうなカウチソファがその前に鎮座。


 菊池は座る茉莉を呼び寄せる。菊池はなぜか黒エプロンを身に着け、シャツの袖を捲っていた。でかいアイランドキッチンの中で。何が始まるのかと秋谷は尻が落ち着かない。


 しばらくして今回の主役である茉莉は不機嫌そうな面持ちでこちらに戻って来た。その右手、左手に二つずつ、計四つのグラス。それを置くとまた菊池のほうに行った。冷蔵庫から持ち出したお茶と炭酸飲料のペットボトルをドンと置く。不機嫌フェイスは健在。


「どうぞ、お好きに飲んでください」


 そういうとずんずんと歩いてソファに深く腰を下ろし、テレビをつけた。音量は小さく、耳を澄ませたらようやく聞こえるくらい。この時間帯、番組内容のほとんどがニュース。何度目かチャンネルを変えるが諦めた様子だった。


 秋谷は隣の櫻木と顔を向き合わせて苦笑、そしてなぜだが楽しそうに口角を上げる菊池を睨んだ。けれどなぜかしたり顔が帰って来た。どうやら意図は伝わっていないらしい。


 十分ほどもすればなんだかいい香りが漂ってくる。料理を始めているのは知っていたがその香りはとてもいいもの、腹がきゅりゅきゅりゅ鳴る。


「何作ってんの」


「秘密」


 そう返されるのがオチ。諦めておとなしく座っていた。二つのグラスにお茶を注いだ。それで秋谷と櫻木は喉を潤わせた。


「さて、どうしたものかね。肝心の主役はあれだ」


「んー、こうなるってうすうすわかっていたんだけどねー」


「なら最初に言ってほしいなぁ」


「でもほら、旭の数少ないお友達の頼み事でしょ?」


「なんだよそれ、どういう意味だよ」


 そんな会話を二人は極めて小さな声で交わした。


「だってね、そりゃ、友達でもない人に誕生日祝われても。ねぇ? 私はまぁ、うれしいと思うよ? 表はちゃんと繕うし」


「僕は誰かに祝われた試しなんてないけどね」


「私が祝ってるじゃない」


 大体一時間が過ぎた。菊池が茉莉を呼び出し、またいろいろとやらせる。皿が運ばれてきた。カトラリーが運ばれてきた。


「あ、私何か手伝おうか」


 櫻木が親しい友達のように茉莉にそう言う。けれど茉莉は困惑を浮かべた。菊池曰く茉莉は人付き合いが苦手。それは生まれつきのものなのだろう、彼女はそう言ったことで躓き、現在絶賛引きこもりを謳歌している。自宅警備員という大層ご立派な肩書を得た。


「あ、いえ……大丈夫です、私がやります」


 そそくさとうつむき加減に茉莉はキッチンの方に行き、意味もなく冷蔵庫を閉じたり開けたりしていた。そんな茉莉の肩を掴み、こちらへと押し戻した菊池がこちらを一瞥し、ウインク。


 それから間もなくして料理が並べられた。


 どれもこれもお店に出ても遜色のない品々。丸鶏がひときわ目を引いた。それは銀色の細いナイフで切り分けられていく。


「意外な一面だよな、料理できるなんて」


「食後のデザートもあるぞ」


「マジかよ」


 イケメンで料理もできる。それらをつぶすに足りるシスコン。


 食後のデザートとして菊池が持ってきたのは夜空を模したチョコを纏うホールケーキ。散りばめた星が如く金粉。満腹で容量の上限を迎えた胃が急に空いていくのを感じた。


「まさかとは思うけどこれ、手作り?」


「そのまさか、手作りだぜ」


「はへぇ……すごいんだね。もしかして風太君ってパティシエとか目指してるの?」


「いんや、ただの趣味」


 菊池は十等分に切り分けた。それでも案外一切れが大きい程。コーティングした分厚いチョコソースがとろけて流れる。たまらず唾があふれる。


 対面に座る茉莉は瞳に星を浮かべ、うっとりにへらと微笑んで見せた。けれど秋谷の視線を感じ、表情を引き締めてしまった。少し申し訳なく感じ、空のグラスにお茶でも注ごうかと問う。


「い、いえ、大丈夫です、そのくらい自分でできるので……」


「そうだ、お二人さんはコーヒーか紅茶、どっちがいい? あ、秋谷は当然コーヒーだよな、ブラック」


「そうだな、頂こうか。ブラック」


「あ、私は紅茶で」


 それから淹れてくれたコーヒーをすすり、思わず残念な顔をした。苦いのは苦手だ。


 けれどチョコの濃厚な味わいと組み合わさり普段苦手なコーヒーもいい感じだ。


 それからしばらく菊池は席を外した。


「今日はありがとな」


「いや、やめてくれよ。謝りたい気分だよ」


「別に謝るようなことはないだろ」


「いや、超迷惑そうだったじゃん……家族水入らずで祝っとけよ」


「そうか? マリは意外と楽しそうだったぜ?」


「ま、それならいいんだけどさ……」


「仮に楽しくなかったとしても、後になれば楽しい記憶に変わるもんだって」


「……まぁ、そういうならいいけど」


 秋谷と櫻木が帰った後、菊池は茉莉にプレゼントを渡したという。


「今時腕時計? 時間なんてスマホで確認できるじゃん」と言われたらしい。


 とりあえず喜んでくれたらしい。

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