51話『再びの平穏』
愛実が告白して自宅へ帰ってから早いことひと月が過ぎていた。
近況とかそういうのを聞かされたりといったことはないし、やり取りもない。一種の、夢に向けた決別だったのかもしれない。もっと早く、伝えてくれたらもっと悔いなく接することができたかもしれない。そう思ってももう過去のこと。
すでに気持ちは切り替わり。
夏休みを目前に控えた高校二年生の今日この頃。僕は大きな欠伸をした。
夏休み前といえばテスト。教員は残業しながらそんなテストを作るのだから何が楽しいかと聞かれたらきっと、生徒が懊悩と煩悶する姿、だろう。知らないけれど。
授業中に無駄話して進学など考えず、卒業さえできたら万歳、という生徒は一夜漬けでもしたらいい。
今の僕は後者でもあり前者でもある。愛実のように夢はないけれど。
しいて言うなら僕は櫻木に振り向いてもらうために勉強。とか。けれど僕は付き合うことを半分あきらめている。ただ何となく去年より勉強するようになったくらい。ちょっとは振り向かれたいけれど……自分の気持ちはこんな曖昧加減。
「卯月は進学だっけ?」
「うん、国公立で文系。そういえば旭は?」
僕は結局進路調査の紙を無下にした結果就職組の枠に入れられていた。
「僕も進学にしようかなぁ。医学部とか……冗談。私立文系が一番希望あるかも」
「センパイに執刀されるとかかわいそうですね。健康に気を遣います」
僕が医師を目指したことにより一人の少女が健康を心掛けるきっかけになった。僕は一人の寿命を延ばしたのかもしれない。
「それがいいよ、お菓子ばかり食べてると不健康だから今日から改めた方がいい」
「センパイ方食べます?」
「いらん」
櫻木は一つもらった。仕事中にお菓子とは、さてはなめているな? けしからん。そんな堅物な上司のような気分。
「そういえば旭、勉強ははかどってる?」
「まぁ、今年は自力で何とかなりそう」
「そう? 教えてあげようと思ったのになぁ。なんだぁ、残念」
「勉強するようになったんだから喜ぶところじゃない?」
「教えるのも勉強の一環だったから」
「つまり僕は卯月に勉強を教わることで、それが卯月の勉強にもなるのか」
「お互い悪いことなしでしょ?」
「確かに良いことずくめかも。じゃ、暇なとき頼もうかな」
「お熱いですねー。あっつ。温度下げますね」
部活動を含めた生徒の下校を告げる放送が鳴り。三人で職員室にカギを返し昇降口に降りる。
電車内では僕が口をはさむ余地のない会話を櫻木と宮崎は交わしていた。
駅前で別れ、ようやく二人に。
夕方の空は燃えるような茜と凍える様な濃紺が混ざっていた。一日が短いものだと思うようになったのは帰る時間が二時間ほど遅くなったからだ。陽が出ている時間が長くなったとはいえ家に着くころには辺りは暗い。
「じゃ、あとで」
「うん、またあとで」
帰る家が別々というのが時々不思議に思う。




