44話『黒船来航(再)』
朝。抜け殻のような僕の、空になった頭に満ちるのはアラーム音。正確には通話を知らせる機械的な音。その音はひどく不快で僕はいぶかりながらも律儀にスマホを掴み、碌に相手がだれか確認せずに受ける。変なのだったら切ればいいだけの事。国際電話だとしても通話代は親持ちだ。
起こされた寝起きの僕はすこぶる調子が悪い。できれば声を出さずに用件を伝えてほしい。そう願っているとスピーカーから小さな音がぽつぽつ零れる。鼻声のなんだかとても守ってしまいたくなるそんな庇護欲に駆られる女の子の柔らかい声。
『……旭君……私、家出したの……だから、今から旭君の部屋に泊めて……ぐずん』
そんなサービス頼んだかな、はてと僕は首を傾げる。あと頭痛くなってきた。その声の主と名前が結びつけられ僕は頭を抱えた。無視を決め込むか僕は悩んだはてに、かわいい声に免じて応答する。
「ヤダよ、ネカフェにでも泊まったらいいじゃん……」
僕は通話が切れたことを確認して「これでよし」とつぶやく。大きな欠伸を一つして僕の土曜日は始まった。
すぐさま着信音が鳴り響き、僕は逃げるように部屋を飛び出し、洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
「愛実ちゃん家出したんだってよぉ」
居間でごろごろしていた母が僕の顔を見るなりそんなことを言ってきた。
「へぇ、なんで」
「なんか、進路のことで喧嘩しちゃったみたいで。美大に行くって。それ聞いて私驚いちゃったわ、まさかあの愛実ちゃんがねぇ」
とババァ臭く短めの驚きを示し「あんたも進路は早めに決めておきなさいよ」と言う。進路で親と衝突。そしてなんだか家出。そして行く当てなく僕の部屋に泊まらせろ、と。
「へぇ。進路とか考えてるんだ」
六月も終わりの頃。進学を考えている三年生の中ではかなり遅い方。しっかり進学を考えている真面目な高校生は二年のこの時期にはすでに動いていてもおかしくない、というか普通は動いている。そんなところで僕はカバンの中で屑になった進路調査の紙を思い出す。
「ま、僕は国立医大でも目指すよ」
「バカじゃないの?」
「じゃぁ理系にしとくよ」
「大して変わんないじゃない」
僕は名前を書くだけで入れる大学を探そうとポケットを探るがスマホがない。部屋を出るときに「せめて大学は出ないとねー」と口うるさく言われる。
部屋に戻ると電話は泣き止んでいた。代わりにトークアプリの通知がカンストしていた。
「ブロックしてやろうかな」
僕はどうしてか見捨てられない気持ちになる。あの性格だし、カレシだってコロコロ変えるんだ、泊まれるところならいくらでもあるだろう。その中で僕にスタ爆して求めている。そうなるとやはり僕は安易にブロックできないと指が止まる。
僕は頭を掻きながらメールを送る。
「絶対に僕に手を出さないなら考えておく」
速攻で既読が付いた。
けれど返事には迷っているようで十分ほどして返信が帰ってきた。
『嫌だ?』
「嫌だ」
『わかった、嫌なら。我慢する。でも私はいつでもOKだからね! ありがとう! 大好き!』
「何が『大好き』だ……」
大好きならもう少し僕の身体を労ってほしい。
それから日が暮れて母が買い物に出かけた。その隙を見て僕は愛実を部屋へ連れて行った。
靴はビニール袋に入れベッドの下に隠した。
とりあえずこの部屋に家族の誰かが勝手に入る、ということはない。ただその代わり櫻木が問答無用で入ってくる。
そんな僕は視線を愛実に向ける。
黒いキャップ、目が分からないサングラス、大きめのマスク、ダボっとしたTシャツで変装。愛実はサングラスとマスクを外し、安堵の息を吐いた。
「はぁーあ、疲れたぁ……どうにかなるもんだ~」
「どうにかしてあげたんだけどね」
「喉乾いた~」
「お茶でいい?」
「おぉ、気が利くねぇ。氷もよろしくね」
というか毎回の事だ。気が利くとかではなく本能的に。これでも夢のために親と喧嘩した従姉だ。その点で言えば僕より大人なのかもしれない。その点だけは。
愛実はグラスを一気に呷った。酒じゃないのに「ぷはぁ」と息を吐く。
「いつまでいるつもりなの?」
「ずっと?」
「ヤダよ。真面目に聞いてるんだけど」
「まぁまぁ、そう苛立たない。一週間くら泊めてくれたら十分。あっ! そだそだお土産あるの。食べよ? 飲もう?」
飲まないし、食べない。僕はため息を吐く。
何が入っているのか聞く気のない巨大なリュックに顔を突っ込んでお目当てのものを掴み引き上げた。その間に散らばせられたTシャツや面積が明らかに足りていない下着たち。ただの布切れだと冷めた感情を持てるほど慣れていない。
並べられたのはコンビニで買ってきた酒類、カルパスやチョコ。一体何を考えているのかと僕は突っ返した。
「とりあえずこれと、これ持って」
「お? 写真撮ってくれるの? イイねぇピース」
チューハイとカルパスを持たせ、僕は写真を撮る。これを志望する大学と通っている高校に送り付けたらどうなるのだろうか。僕は不思議に思う。
「とりあえずそれをここで開けないでね? ただでさえ家出をかくまっているのに迷惑かけないで」
「じゃぁお詫びに一本あげよう!」
「話聞いてんの?」
プシュッといい音が響いた。僕は窓を開けて缶を逆さにした。肥料くらいにはなるだろう。




