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2話『幼なじみは朝起こしてくれるし勉強も教えてくれる』

 それから数か月が経った。さすが男子、失恋を引きずるような性格ではない。前を向いて日々を力強く生きていた。


 濡れたら透けてしまうような薄いワイシャツすらも脱いでしまいたくなる気候になった。


 つい先週までの梅雨の曇天は嘘のように、見上げた空には燦燦の晴天が広がる。そういう気持ちのいい朝。


 まだセミが鳴くには早い時期。僕は電子音と聞き慣れた喧騒と声に目覚めさせられた。薄い瞼を開くと体をゆすっていた当人の顔が目に入る。そして目が合う。正直寝起きの顔を見られるというのは気分がいい物ではない。けれどこれは慣れというやつだ。何を言っても、喧嘩をしても、櫻木は大抵こうして朝に苦手な秋谷を起こしに来てくれる。頻度は週に三回ほど。あるいは毎日。


 目覚めたことを確認すると櫻木は腰に手を当てた。その姿は「おかん」だ。


「こらー、もう朝だよ!」


「……んっ~……はぁ、起きてるよ」


 大きく伸びとあくびをした秋谷はベッドから引きずりだされる。


 本当は十分ほど前から起きていた。さっきから響き渡っていた喧騒、雑音はノック音。悉く無視していたのだ。


 好きな人がいると知った幼なじみに僕は火照りもドキドキもない。朝起こしてくれたくらいで惚気たりなんてしない。


 部屋を出る前にドア横に置かれた姿見を一瞥する。そこに映る生気のない緩んだ面立ち。映る姿に思わず「不細工面め」と恨めしく心の中でつぶやく。寝起きなんて大抵そんなものだ。起きて血通えば、顔を洗って髪を梳けば多少はマシな面になる。


 洗面所に向かう道すがら、櫻木が口うるさい母親の如く言った。


「ほら、支度終わったら朝食食べないと。お母さんさっきから呼んでるよ?」


 そう面倒見よくされる度に「告白断ったくせに」と愚痴る。当然心の中で。


「わかってるから……」


 けれど無碍にできない。その理由は明白で、「未だに失恋を味わわせた櫻木が好き」だからだ。それがとても悔しく思う。振ってくれた女なんて忘れろ――


 秋谷はべらべらと口うるさく言ってくる言葉を手で遮り、足早に洗面所に駆け付けた。さすがに中に入ってくることはない。母が「卯月ちゃん朝ごはん食べてく~?」と問う声が聞こえ、「あ、大丈夫です旭ママ」と返す声が聞こえる。しばらくするとガチャリと玄関ドアが開閉する音が聞こえた。それが櫻木が帰ったという合図。


 秋谷はようやく安堵し、のんびりと朝の身支度を始めた。


「ほんと卯月ちゃんはいい子よね~、旭のお嫁さんになってくれたらいいのにぃねぇ? あんたも見習いなさいよ」


 朝食卓、母が揶揄い気味に言ってくる。はらわたが煮えくり返りそうな気分だ。


 秋谷は悪態吐き言った。


「はっ、そんなの夢を見すぎだよ。櫻木にはねぇ。好きな人がいるんだよ。間違ってもそういう事櫻木の前で言わないでよ? それに僕は男子だし炊事洗濯なんてしなくていい」


「あらー、それは残念ねぇ……まぁ、こんなバカ息子が卯月ちゃんと結ばれる運命なんて想像もできないものね」


 にこにことしながらそんなことを息子に言う母。秋谷は思わず失神しそうになる。


 諸々準備を済ませ、軽いカバンを持ちあげて家を出る。そして向かうのは学校と反対。十歩も歩かずに足を止めた。右に向けば家がある。人様の家。表札は洒落ていて、ローマ字で「SAKURAKI」と打刻されていた。表札下のインターホンを押した。押さずにそのまま学校へ行ってもいいのだが、体裁というものがある。櫻木(親)とも交流がある故、無視して学校へ行くということは憚られる。


 そして二度ほどベルが鳴り、ガチャと玄関ドアが開かれた。


「はーい! お待たせっ」


 続いてインターホンから綺麗な声が聞こえる。その声の特徴は卯月に継がれている。


『行ってらっしゃい、旭君、卯月をよろしくね』


「はい、行ってきます」


 落ち着いた声の主は卯月の母親だ。やはり昔から交流があるとはいえ相手は大人、少し緊張する。声が上ずるような失態はない。


 インターホン付属したカメラを前にペコリお辞儀。そんなのいいから、と櫻木が学校へ行こうと促す。晴れやかな今日に似つかわしい笑みを湛える。


 そんな活力に満ちた背中を追いかけ、肩を並べる。隣に立つと櫻木の頭のてっぺんが見える。手入れの行き届いた女の子の細くしなやかでつやつやとした髪の毛。二重の天使の輪が目を灼いた。秋谷は浄化されまいとわざとらしく顔の前に手を添えた。


「何してんの?」


「いや、つい、ね」


 櫻木はなんの躊躇もなく秋谷の手首をつかみ、ガードを捲った。秋谷は動揺しまいといった。


「そうだ、来週からテストだけとちゃんと勉強した?」


「あぁ……」


「その反応、さてはしてないなぁ? あれほど『今年は自分の力で何とかする』とか言ってたくせに~」


「それを言ったのは過去の僕だから。今日の僕は知らないなぁー」


「でー? 勉強のほうは順調? やっぱり私が先生してあげよっか?」


 先週あたりに打ち立てた目標を打ち破るに足りる笑みを見せる櫻木。そんないたずらな笑みから視線を剥がし、秋谷は通学路の先を見て言った。


「まぁ、僕は毎日出席してるんだ。授業を真面目に受けていれば赤点は回避できるさ」


「ま、そだね。授業中起きていれば、の話だけど」


「学は寝ている間に身につくんだよ。その場合前の授業の定着だね」


「そんなわけないでしょ? 大丈夫?」


 櫻木が同情を浮かべ、眉根を寄せた。秋谷はバツが悪そうに苦笑を浮かべて、


「そういう卯月は? 勉強、してんのかよ」


「んふふん、私を誰と思っているの?」


「はいはい、自習復習は欠かさないんですもんね、学年十位はお堅そうで」


 嫌味っぽく言ったのだが効果は薄く、櫻木は「まぁねぇ」と鼻を鳴らす。


「ま、名前書き忘れないことだな」


「旭は口を開く前に勉強したら? とりあえず、単語帳貸そうか?」


「……ま、適当に見てみるよ」


 片手に英単語帳をパラパラと捲る。ありとあらゆるところに殴り書きのメモ。普段の櫻木の文字は女の子らしくかわいい綺麗な字だ。これはたぶん誰か他の人に見せるものではないのだろう。そんな努力の断片を見せられ、努力を怠る秋谷には僻む権利すらないのだと知らされる。だから嫌だ。


「まぁ、ちゃんと出席さえすれば留年にはならないよ。たぶん」


「夏休みが遠ざかるのは嫌だなぁ。とりあえず三十五点満点を目指そう」


「そんなドヤ顔で恥ずかしいこといわないの。あとテストは百点満点だから」


 僕は片手サイズの英単語長を閉じ、櫻木の口頭勉強会を右から左へと逃がしながら学校へ向かった。

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