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1話『僕は幼馴染に振られました』

「私ね、好きな人がいるんだ」


 失恋――それは恋に落ちた瞬間と同じようにわかりやすい。


 失恋は体の内の、胸の真ん中にある心が握られたような、そういう不快感が込み上げる。人によってはその不快さに耐えきれず抑止しきれない感情を吐き出してしまうかもしれない。恋はその逆。


 僕は別に恋愛経験豊富な人間ではないけど、むしろ皆無だけど。そんな鈍感で愚鈍な頭ででもわかってしまえる程、『失恋』というショックは大きい。


 恋は一瞬、失恋も一瞬。


 その恋の対象が自分ではないのだと、そうだと本能的に悟った。粟立つ肌をさすりながら、僕――秋谷あきやあさひは言った。


「そう、なんだ……ハハ」


 秋谷は小さく、「まぁ知ってたんだけど」とつぶやき、悲しみに歯噛しながら、へらへらと不気味な笑顔を浮かべて見せた。気を緩めれば思わず涙をこぼしそうまである。


 ――悲しい。


 秋谷は普段、最短ルートを好んで通学する。


 けれど今日は違った。季節の変わり目を思わせる少し強い風が吹く土手を歩いていた。右を向けば緩い芝の傾斜と、西日にキラキラと輝く河川が広がる。さらに向こう側の土手を見て広がる街並みこそ秋谷が生まれ育った街だ。ちなみに彼女――櫻木さくらき卯月うづきにとっても同じく、生まれ育った街である。


 午前中、この土手ではよく健康に気遣う人や、近くの高校の運動部に限らず文化部までもが集まりにぎやかだ。そして今、午後になると学校帰りの生徒がちらほらとみられる。


 もちろん、周囲に人がいる中で告白に踏み込む勇気などない。辺りを見渡し、万全。


 普段、秋谷はこの道を使わない。景色もよく、自然と心が軽くなる。それは多分幼いころここでよく遊んだ思い出があるからだろう。けれど中学二年生辺りからぱたりと来なくなった。


 そんな疎遠だった土手に来たいと言い出したのは他ならぬ彼女、櫻木だ。


 秋谷は彼女に頼まれると弱い。その理由は特段多くはない。「幼馴染だから」「顔がいいから」「暇だから」「頼まれたから」そして「好きだから」。要するに、「ちょうど暇なとき、好意を抱いている『顔のいい幼馴染』に誘われたから来た」というところだ。


 櫻木曰く、「昔と変わらず、ここに吹く風は気持ちいいよね」


 確かに、周囲に遮蔽物のない土手の上に立てば確り風を感じる。けれどそれを特段「気持ちいい」と表現するか、秋谷には分りかねる。


 強く吹いた風と踊るように櫻木はステップを踏み、短いスカートを風に翻し秋谷の前に立つ。


 目の合う表情に思わず秋谷の胸がキュッと熱くなる。


 同級生の男子生徒の間で「かわいいと思う女子は?」とアンケートをとれば一位を飾るだろう。たぶん。低く見積もっても三位くらいだろう。


 ――端的に言えば僕は彼女の事が一番好きだ。


 それは思春期男子特有の錯覚かもしれない。


 幼稚園、小学校、中学校、高校と同じく、お隣同士で窓を覗けば会話ができるような距離で今日まで過ごしている異性。思春期ともなれば自ずとそういう目で見てしまう。


 少し上がった体温を下げるように冷気を孕んだ突風が二人の合間を抜け、足元の落ち葉を攫い、河川に送る。


 風が過ぎ去る方向に櫻木は視線を向ける。その西日の逆光になぞる横顔が絵になる。


 秋谷の視線はしばらく櫻木の横顔に魅入った。


 高校に入学して、早い人はすでに彼女を作り、春の芽吹きと同じく性に勤しみ励む頃。秋谷は「恋人」という存在を意識し始めた。


 雰囲気も相まって、秋谷の口は無意識に彼女の下の名を声にした。


「……卯月」


「ん? なぁにいきなり」


 唐突に名を呼ばれ、落ち葉が地面に戻るより早い刹那の間、驚きを浮かべ、すぐにいつも通り柔らかく微笑みをえくぼに湛える。


 いつもいろんな人に向けられている瞳は雰囲気も相まって少しだけ特別に感じる。秋谷は被った視線を逸らし、


「あ、えっとさ……もうすぐ、夏だね……」


「……まだ三か月以上あるけど……?」


 優しい顔とは一転して、櫻木は胡乱を孕んだ眼差しを向けてきた。まだ梅雨の気配もない春先。さすがに、言葉を誤った、と思う頃にはすでに遅く。櫻木は首をかしげる。それに従って肩甲骨辺りまで伸びた艶々黒髪がさらさらと動く。


「どうかしたの? 言いたいことでもあるの? 指の癖、出てる」


 櫻木は目を細め控えめに笑い、楽しそうな口調で秋谷の指の運びを指摘する。右手の親指を左手で赤ん坊のように握っていた。秋谷はすぐに指を解いた。


 櫻木は、「ほらほらいっちゃいなよ幼なじみの仲なんだから」とそういう表情でこちらを窺う。あくまで憶測、意図は違うかもしれない。


 きゅっと好奇心に結ばれた艶な唇が言葉を促す。


 ――あぁ、言ってしまおうかなぁ。伝えてしまおうかなぁ。


 秋谷はゴホンと咳払い、深く呼吸をし、


「す……すき、好きです………………」


 秋谷はボソリとしながら、けれども確り相手の耳に届く声で言う。


 櫻木は瞼をパチリ数回瞬く。一瞬世界の音が消え、二人だけが取り残されたようだった。そんな世界を切り裂く様に櫻木はきょとんと瞳を丸くして言った。


「私の事?」


 あまりの反応に秋谷は思考を白くして言った。


「そう、なんだよねぇ……ハハハァ」


 まるで他人事のように、カラカラ笑う乾いた声が出た。


 櫻木はRPGゲームのスライムみたいにへらと口を作り、瞳に困惑と迷惑を一緒に泳がせて、少し控えめな上目遣いで申し訳なさそうに言った。


「えっと……もうちょっと歩こうか」


 気が付けば秋谷の脳は茹で上がっていた。頭で発言を自問自答。自分が何をしたのか、何を言ったのか、「馬鹿なことをしたなぁ」なんて他人事のように評価した。


 己が言ったのだと事実を突きつけて蒸発しそうになる。


 虚無でありながら、目で虚空を見つめながら、その熱の体を冷ます微風がとても心地よい。永遠に吹き付けてくれたらいいのにな。


 なぜだか櫻木の歩調は軽やかで、水面を歩くように静かで広い歩幅だ。秋谷の重たく悲痛な一歩とはかけ離れている。


 西日が弱まり、空に色が薄く残る。陽を背負う櫻木、夜を背負う秋谷。


 櫻木は振り返り、少し儚げな影を落とした。その哀愁がまたよく似あっていた。虚空を覗く櫻木の目には光として映った。


 櫻木は足を止め、その事実を優しく告げた。


「私ね、好きな人がいるんだ」


 体感一時間が過ぎた――


「そう、なんだ……ハハ」


 そりゃそうだ。顔は良いんだし、男を選別する権利がある。それに男子にも言い寄られるだろう。


 櫻木にとって秋谷はただの幼なじみ。秋谷にとっては初恋の相手かもしれない。


 ――僕らはただの幼なじみだ。


「でもありがとう。ごめんね」


 秋谷が櫻木に恋した理由なんて正直ぱっとは浮かばない。ただ、ほかの誰よりも長い時間を共有しただけ。高校生になったんだし、彼女くらい作りたいし、好きな人ととそういうことだって一度は体験してみたい……。そんな下心ありきの告白。


 とりあえず『付き合って、相性が良ければ本格的に付き合う』と書いたネット記事は嘘だ。


 けれど相性が良くてもきっと付き合うように出来ていない関係もあることを、僕は知っている。

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