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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

藤吉郎異見

作者: 登録情報がありません

秀吉が幼い頃誘拐され、海外に奴隷として売り飛ばされるところからして、もう私たちの知っている歴史からは大きく外れています。

1537年豊臣秀吉生まれる、幼名は日吉丸。

だが4才になろうとした時、とんでもない事件が起こる。


日吉「おっかあ~っ」

人さらいに誘拐されたのだった。


当時は奴隷として日本人は海外に高く売れた。

尾張で拉致された日吉は、大坂の堺港から博多に連れてこられた。


戦国時代、人々は100年にわたる戦火に苦しんでいた。

治安も秩序も消え失せ、人々は飢えに苦しんでいた。


生き残るためには何でもやった、殺人、強盗、誘拐・・・。

そして、疎ましく思う者はいても、咎める者は誰もいなかった。


日吉はそのサバイバルのルールに負けたのだ。

この苦い体験は幼い日吉の心を深く傷つけた。


この先生きのこる為には何をしてもいい・・・。

この世は地獄なのだ・・・。


また同時にこの乱世を正したいという強い心も生まれた。

この相反する善悪の葛藤が彼の人生の基盤となった。


半年後、日吉はタイのアユタヤという所にいた。

そこの港町にある国際市場で強制労働に駆り出されていた。


来る日も来る日も荷物を運ぶ重労働。

馬や牛のたぐいにも劣る粗末な生活。


だが、まだそこはマシな環境だったのだ。

最悪の場合は鉱山での強制労働もありえたのだ。


子供は低い身長を生かしての鉱山での強制労働。

あまりに過酷な使役環境のため、寿命は2年ともたなかった。


劣悪過酷な労働環境より恐いのは事故だった。

鉱山ガス、地下流水、そして坑道の落盤etc・・・。


入坑して1週間で過労で死ぬ者もいた。

「そこに比べれば港町は天国だ」と日吉は思っていた。


彼は持ち前の笑顔とポジティブさで苦難を乗り切った。

日吉は言葉で人をたぶらかす異能者なのだった。


自分の理に他人を自然と従わせる才能があった。

日吉は屈従奴隷の身でありながら、奴隷ではなかった。


素直を繕って狡猾で、心遣いは煽惑(せんわく)だった。

決して見破れない特技であったのだ。


やがて彼には変わった友人が出来た。

友人の名はアブー・サーリム。


父はインドネシア生まれのアラブ人(ハドラミー)。

母はマニラ日本人居留地の娼館の娼婦だという。


アブー・サーリム「オレはイブン・ハルドゥーンの血統を継ぐ末裔だも」

日吉から学んだ尾張弁でアブーは流暢に答えた。


日吉はアブーの説く海外の様子に幼心をときめかした。

日吉「中東は魔法の国か?なぜこんなに進んでいるんだ?」


阿坊(アブー)と日吉があだ名したアブー・サーリムは答えた。

阿坊「これは魔法ではない、化学というものだ」


阿坊はまた機械工学の天才でもあった。

阿坊「イスラムでは弩弓という兵器を使っている」


彼はそこら辺にある竹と木で、器用に弩弓をこしらえた。

日吉「すげえ、そこら辺にあるモンで!」


日吉「さっそく港で魚を採ろうぜ!」

2人は港に向かった。


奴隷の子供は近くの海で魚を獲って食べていた。

それがヤリ突きによる魚獲り漁だった。


網なんかない、ヤリで突こうにも体力が無い。

そこで子供たちに弩弓を持たせて、さかなを撃った。


小舟に乗って岸辺で弩弓で魚を狙った。

プラトゥーというアジの仲間が面白いように獲れた。


木と竹と紐さえあれば弩弓はいくらでも出来た。

日吉はこの事を長く覚えていた。


1548年11才の時に第一次緬泰戦争が起こる。

ビルマ(緬羊)のタウングー王朝とタイ(泰)のアユタヤ王朝の戦争である。


この混乱に乗じて、日吉丸は日本に向かう船に密航した。

1549年12才の時に帰国。


1551年14才の時に今川家の家臣松下之綱に仕官。

この頃「木下藤吉郎」と改名する。


1552年藤吉郎は弩弓の研究で名をはせる。

弩弓は9世紀より日本では記録に残っているが11世紀には廃れた古い武器だ。


彼はアユタヤで作った木製弩弓の構造をおぼえていた。

藤吉郎はこの弩弓の引き金機構の「機」を金属製にしたのだ。


金属とバネとで出来た強力な弩弓が出来上がった。

そしてその用途は、魚取り用では無く戦闘用だった。


1550年代、鉄砲は既にあった。

だがその火縄銃はまだ普及しておらず、天候に大いに左右された。


つまり火薬が雨に弱く、風にも弱かった。

また装填にも時間が掛かり、それは機構上改善出来なかった。


そこで藤吉郎は弩弓に目を付けたのだ。

他の武士仲間はそんな藤吉郎を笑った。


”寡をもって衆を制す”

”腕を磨きに磨いた軽装の剣士が鎧兜に身を固めた敵をなぎ倒す”


今川武士「武士の勲しここにあり、よ」

今川武士「名誉の誉れというヤツだな」


11世紀に発生した武士の戦いは武芸を極めた強者同士のぶつかり合いだ。

その気位と体面を重んじる気風に弩弓は合っていなかった。


藤吉郎(だが歩兵を主軸とする大集団の戦闘が戦国時代の戦法になる)

(これからの戦ではそうもいかなかくなるだろうて)


藤吉郎は松下之綱の配下の足軽を借り受け鍛錬を始めた。

松下は藤吉郎を高く評価しており、その鍛錬に足軽を与えた。


1560年いよいよ今川義元の上洛が決まった。

立ち塞がるのは織田信行の治める尾張だ。


今川軍先遣隊の松平元康と朝比奈泰朝は織田の丸根砦、鷲津砦に攻撃。

続々と戦勝の知らせが今川義元の元にもたらされた。


田楽桶狭間に達した今川軍は休息を取っていた。

藤吉郎のもとに信行の趨勢が次々と入ってきた。


間諜から仕入れた情報で熱田神宮に参拝する事は嗅ぎつけていた。

信行は戦勝祈願と軍勢の集結のために立ち寄っていた。


藤吉郎「これは奇襲があるぞ」

彼は雲行きの妖しくなった空を仰いで言った。


藤吉郎は松下之綱に奇襲作戦の是非を問うた。

松下之綱は今川義元に許可を求めた。


今川義元「好きにせい」

松下之綱「はっ」


藤吉郎「織田勢の奇襲があるぞ!」

「への五番、始め!」


足軽隊の陣形が予め決められた符丁どおりに展開しはじめた。

正面突破にせよ側面奇襲にせよ、一番恐いのは騎兵による強襲だ。


馬に乗った武者が突撃してくるのを防ぐ。

あとは雑兵足軽でどうとでもなる。


これを可能にしたのが木下藤吉郎お得意の奇抜な発想「鉄条網」だ。

有刺鉄線がほどかれ、次々に引き延ばされた。


わざとゆるゆるに張り巡らした鉄条網柵は三段にもなった。

ここに騎馬隊が突っ込んで来ればもう地獄絵図である。


傷は擦傷程度で命には別状が無い。

致命傷にはならない。


だが動けなくなった騎馬武者は射的のマトだった。

藤吉郎「ヨシッ」


一方織田軍は降りしきる雨の中、攻撃準備を整えていた。

津々木 蔵人「荒天になれば奇襲攻撃の好機は一気に高まります!」


ゴロゴロゴロッ、遠くで遠雷が光った。

柴田勝家「うおっ、遠雷だ。これは(ひょう)が降るやもそれませんぞいっ」


織田信行「かかれええっ~!」

号令一下、怒濤の如く、騎馬武者が休憩中の今川陣地に押し寄せた。


永禄3年5月19日(1560年6月12日)。

ついに桶狭間の戦いが始まった。


信行「目指すは今川義元のそっ首!」

「雑兵どもには目もくれるな!」


折も折、豪雨には(ひょう)も混じり、地面に叩きつけ、水霧が立った。

カミナリも鳴り響き、もう馬の蹄を蹴り立てる音も分からない。


前田利家「もらった!」

急ごしらえの馬止め柵を蹴破って、騎馬が今川陣地に飛び込んできた。


利家「がっ!」

織田軍第一陣先頭の騎馬武者が鉄条網に引っ掛かった!


馬からもんどり打って飛び出した武者は第二の鉄条網に絡め取られた。

利家「あっあっ、なにごとだ・・・うっ!」


ドスドスドスッ!

今川弩弓隊の放った矢が全身に突き立った。


利家「ぐ・・・ぬぅ・・・」

虫の息の利家をあわてて従者が引きずって返した。


織田軍第二陣の騎馬武者はあわてて突進するのをやめて助かった。

「お、おいっ、なんだよコレ・・・」


第一陣が何かに絡め取られて全滅するのを見た第二陣の騎馬武者たち。


騎馬武者A「恐れるな!」

騎馬武者B「奇想兵器だっ」

騎馬武者C「廻り込めばどうということはないぞ、突撃!」


回り込み始めた騎馬軍団は一斉に向きを変えた。

だが敵陣地に馬が横腹を見せている瞬間を今川軍は見逃さなかった。


ドスドスドスッ!

今川弩弓隊の放った矢が今度は織田の軍馬に突き立った。


信行「ひ、卑怯ものめぇ~っ、武士なら潔く姿を現せえぃ!」

雑兵「そうだっそうだっ」


その言葉に応じるように信行めがけて豪雨の中を何かが飛んできた。

ビュウウ~ンッ!


だが投擲される石は遠くからでも視認出来た。


信行「投擲だ、恐れるな」

「避ければどうという事はない」


だが次の瞬間!

ドッカアア~ンッ!


信行は乗馬ごと爆風に吹き飛ばされた。

付き従っていた従者も全員が投げ出された。


なにが一体・・・。

信行は薄れゆく意識の中でこう呟いた。


旗本が駆け寄り、何かを叫んでいる・・・。

だが耳がキイーンと鳴っていて、口が動いているのしかわから・・・。


そこで信行は意識を失った。

信行が気づいたのは、清洲城の中庭だった。

投擲弾は黒色火薬による鉄砲(てつはう)だったのだ。


爆圧と仕込まれていた鉄片が信行と侍従にぶち当たった。

信行は脳しんとうを起こして気を失ってしまったのだった。


信行「(いくさ)はどうなった?」「義元の首は?」

柴田勝家と津々木蔵人は答えない、それが答えだった。


すでに清洲城は今川軍25000人に包囲されていた。

桶狭間の戦いは終わった。


織田信行は今川義元の首どころか、全滅の憂き目を見ていた。

尾張国の多くの戦国武将も動かなかった、多くが様子を見ているのだ。


それを尻目に悠々と今川義元は上洛を目指した。

今、戦国時代の勢力図は大きく変わろうとしていた。

この桶狭間の戦いに信長は出てきません。代わりに信行が出てきます。物語には出てきませんが、信長は兄の信行に家督を譲り、自分は外国に行っています。その場所はペナン。実はこの物語は「ペナンの虎」という長編のスピンアウトなのでした。長編はボツになってしまいましたが、藤吉郎と今川義元の桶狭間勝利の部分はこうして日の目を見たのでした。

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