会稽の恥
一
「三年だ。三年のうちに必ず、越に報復する」
夫差は周囲に口癖のように語った。伍子胥はそのような夫差をよく補佐し、戦渦に荒れた呉の国力の回復に努めた。
奮揚と紅花が呉地に入ったのは、その頃である。彼らは、とある有力な大夫の所領の邑に農民の姿をして潜入した。
その邑では、このたび領主の肩書きが変わったという話題でもちきりであった。農民たちは、領主の出世により自分たちの暮らし向きがよくなることを期待して、互いに酒を酌み交わしていた。
その領主の肩書きは、「太宰」だという。楚出身の奮揚と紅花にとっては聞き慣れない言葉であったが、これは楚語の「令尹」と同じ意であると、彼らは後になって知った。
「その太宰である御領主の名は?」
奮揚は、隣に居合わせたひとりの農民に聞いた。するとその男は、
「伯嚭さまだ。その名を口にするだけでも畏れ多い」
と、答えたのである。奮揚と紅花は、思わず目を合わせた。
「揚さま、伯嚭といえば……」
紅花は念のため奮揚に確認を求めた。
「うむ。楚の名家に生まれた男だ。かつての楚の軍師を祖父に持つ。しかし、父親が殺害されたことで呉に亡命したと聞いていたが……ここで台頭しているとはな……驚きだ」
「つくづく、楚は罪の多い国ですね」
紅花の返答は、自分自身にさえも嫌悪感を抱いたような、あきれかえった口調でなされた。しかしそれを奮揚は否定する。
「楚という国は、長い間長江以南の支配者であった。文化の中心だったのだ。では、文化とはいったいなんだろう。おそらくそれは、人同士の感情のせめぎ合いによって生まれるものだ。そしてその結果、人が他国へ流れ、文化は他国へ波及する……太古からの文明の発達とは、そういったものだろう。罪だとは言えぬ」
「でも……」
「仮に罪だとしても、楚はもうすでにそれを敗北によって贖った。もう罰は受けているのだ。まあ、とにかく……その伯嚭に会ってみようじゃないか」
太宰ともなれば、身分はすでにただの大夫ではない。伯嚭は、いわゆる卿であった。
呉の人々は、彼のことを「太宰嚭」と呼んだ。
二
奮揚たちは呉中に入り、その様子を探った。そこで窺えたものは、激しい軍事訓練を重ねる国人(士のこと)たちの姿である。彼らは、弓矢を手に持ちながら城内を闊歩し、いつでもそれを使用できるような態勢を整えていた。
「これは、近いうちに合戦があるということだ」
「誰が主導しているのでしょう?」
「それはもちろん……呉王夫差であろう。伍子胥もそれを後押ししているだろうが」
「相手はやはり越でしょうか。当然でしょうけど」
紅花は、言いながら表情を曇らせていく。奮揚は彼女の背に手を回し、そのやるせなさに共感を示した。
「伯嚭はこのことをどう考えているのかな。やはり彼も主戦論者なのだろうか」
「そうでなければ、この雰囲気の中で生きていけないと思います。まして彼は太宰なのですから」
「そうだな。しかし、私が言いたいのは、彼も夫差や伍子胥と同じように、先王である闔閭の復仇のために戦いたがっているのかということだ」
「そうではない方がいいと?」
「実は伯嚭について小耳にはさんだことがある。彼は、財物に目がないそうだ」
それを聞いた紅花は、再び嫌な顔をした。
*
「越との戦争も結構だが、目的は彼らを従えることだ。何も直接的な武力に頼る必要はない。国境を固めて、彼らに対する圧力を加えていけば、あとは交渉でどうにかなる。もともと国力はこの呉の方が上なのだ」
孫武は繰り返しそう主張した。しかし、呉の人々のこの言に対する反応は非常に薄い。伍子胥でさえも、これを黙殺したのである。
太宰嚭は、しかしこの件に注目した。国内の主戦派たちは皆、能力において孫武に敵わないにも関わらず、戦おうとしている。しかしもっとも能力のある孫武が穏健策を提唱しているのだ。これを利用しない手はない、と。
彼は、人を使って流言を撒いた。いわく、
「孫武は越に通じている」
と。
これを人々がどこまで信じたか、ということはわからない。しかし孫武本人は、このことを深く恥じた。
「もはや、この私がこの地にいる理由がなくなった。子胥、君も信じているのだろう。この私が越の回し者だということを!」
孫武は、長い付き合いの伍子胥を相手に不満をぶつけた。しかし、このときの伍子胥の対応は、やや薄情なものであった。
「潔白であるのならば、君自身がそれを主張すればいい。何も心に恥じるところがないのであれば、可能だろう」
「そんな恥ずべきことを、この私にしろというのか!」
気位が高かった孫武は、ありもしない罪を認めることを拒否したばかりか、それを否定することも拒否したのである。おそらく、否定しても彼の意見が通ることはないと予測したからであろう。
孫武は、下野することに決めた。その去り際に彼は伍子胥に言ったという。
「呉王夫差と太宰伯嚭、この二人を君は御していける自信があるか。悪いが私にはない。呉は、次の戦いには勝つであろう。しかし、もしその次の戦いがあれば、きっと敗れる。呉は、それで終わるよ」
三
呉はその二年後、越に侵攻した。越は浙江でこれを迎え撃ったが、形勢は越に不利であった。
大夫である文種は、このとき会稽山に立て籠る越王勾践に策を献じた。
「呉の子胥は呉国の士に軍事を習わせ、未だかつて挫けたことはなく、その様子は、ひとりがよく矢を射ると、百人が先を競って弓籠手をつけるほど勇ましい。これに勝利することは難しいでしょう。ゆえに、王は戦をなさってはなりません。謀りごととは、成功の確信をもって実行しなければならず、生命を投げうつような覚悟では望むべきではないのです。王は和平を行ない、呉の民を喜ばせ、呉王の心を広く大きくするにこしたことはありません。さすれば、いずれ呉王は慢心し、諸侯に覇たるの心を持つようになります。そうなると、民は疲れ、呉の天命は尽きるでしょう」
これは、いわば天命が下されるまで待て、というべき献策であった。勾践がその決断を迷う間にも、呉の猛攻は続く。越の国都、会稽は修羅場と化した。
「大夫種の言葉に従おう。余は、浅はかであった。しかし、必ずや越は呉を滅ぼし、天下に覇を唱える国となるのだ。余は、耐えてみせる」
ついに勾践は降伏を決意した。呉に使者を送り、その者に言わせた。
「勾践は、二三の家臣をひきい、みずから重罪に帰して、辺境で額づきましょう」
この言葉に呉王夫差は機嫌を良くした。
「余にはまさに斉を伐つという大志がある。よって余は越を許そうと思う。汝らは余の考えに逆らってはならないぞ。もし越がすでに改めたなら、余は他に何を求めるだろうか。もし改めなければ、斉を伐ってから兵を整えて帰り、越を伐つだけの話だ」
この夫差の言葉に意見した者がひとりいる。
伍子胥であった。
「なりません。我々がなお戦うべきときに、小蛇をくだかなければ、大蛇となったときにどうするおつもりなのですか」
彼は、叩けるときに叩け、と主張したが、夫差は取りあわなかった。
「なぜ、越をそのように恐れるのか。彼らは我ら呉の威光を際立たせるための飾りに過ぎぬ」
すでに夫差は、父親の遺言を忘れていたかのようであった。恨みを忘れた彼は、勝ちに驕り、次の勝利を求めていた。
すでに軍を去った孫武が、言っていた通りになった。伍子胥はすでに夫差を御しきれなくなってきている。
結局夫差は、越の和平の申し出を受け入れた。越王勾践は、これにより虜囚の辱めを受けることになる。夫差はその事実に満足したが、伍子胥は苦々しくその事実を受け止めた。
勾践の心に、屈辱と憎しみの心が宿る。それがその後の彼の行動にどのような変化をもたらすのか……伍子胥は自らの体験をもとに、それを知っていたのであった。
邸宅に帰った伍子胥は、息子にその気持ちを打ち明けた。
「虜囚として生かしておいて、呉への復讐心を育てるくらいなら、殺してしまった方がまだましだ」
四
越王勾践が講和を決断した仮定には紆余曲折がある。大夫范蠡は、当初呉との戦争には反対であった。侵攻してきた呉に対し、応戦せずに和議を結ぶよう勾践に進言したほどである。
その言を聞かずに勾践は応戦したが、結果は越の敗北である。勾践は、范蠡を召して問うた。
「余はあなたの言を用いず、このようなことになってしまった。どうしたらいいだろうか」
范蠡は答えて言う。
「辞を卑くして礼を貴び、珍らしい宝物や美女を贈り、呉王を貴んで天王と呼ぶことです。それでも呉が許さなければ、ご自分の身で……」
勾践はこの意味を解したという。彼は即座に、
「わかった」
と言った。そして大夫種を呉への使者に任じて言わせた。
「どうか、士の娘は士にめあわせ、大夫の娘は大夫にめあわせ、一緖に国家の宝器をおさめさせてください」
しかし、呉王はそれで納得しなかった。大夫種は越に戻り、また再び呉へ使者として赴いた。
「どうか我が国の鍵をお渡しし国家を帰属させ、身をもって従わせて下さい。君王はこれをほしいままになさってください」
「我が国の鍵」とは、越王勾践その人のことである。さらに「国家を帰属させ」……越は呉の属国となることを提案した内容であった。
夫差は伍子胥の反対を押し切る形で、これを了承したのである。こうして勾践は捕虜となった。
旅立つ前に、彼は言った。
「蠡よ、私のために国を守ってくれ」
しかし范蠡は、この申し出を退けた。
「内政や、人民のことは、臣は大夫種に及びません。一方外国の情勢のことや、臨機に決断をすることにかけては、大夫種は臣に及ばないでしょう」
これは、国を守るのは文種の役目、ということである。彼は、勾践とともに呉の捕虜となることを選んだのであった。つまり、二人とも奴隷となったのである。
*
勾践が王位についてから五年目の五月、群臣は皆揃って浙江のほとりに立った。勾践の出立を見送ろうというのである。
見送る側の大夫種は進み出て言った。
「大いなる天の助けは、先に沈み、後に浮かぶものだと聞いております。しかるに、災いは幸福の前兆であると言えましょう。人を威圧する者はやがて滅び、服従する者は後に栄えるのです。王はこのたび災禍を引き寄せたとはいっても、のちにこれ以上の災いが訪れることはないでしょう。いま、君臣は生きながら別れ、民衆は悲しみの底にあり、苦しまない者はいない。我々はいま、災いの底にあります。これは、祝うべきことです。後に訪れるものが幸福なのですから。……どうか私に干し肉と酒二杯を勧めさせてください」
勾践はその酒を飲み干した。
「万歳を称えさせてください」
文種は群臣に号令し、万歳をさせた。
その声の中で、勾践たちは船に乗って浙江を渡った。彼は、ついに振り返らなかった。
五
勾践の夫人は、夫とともに呉の奴隷となることになっていた。彼女には妾となる運命が待ち構えている。
彼女は、浙江を渡る船の上で、その境遇を嘆き悲しんだ。
「妻は粗末な衣服を着て婢となり、夫はかんむりを外して奴となる。歳月は遙か遠く困難は極まり、恨みは悲痛で心はいたむ。腸は千に結ばれて心にきざまれ、ああ悲しいかな食を忘れる」
怨歌である。しかしそれを隣で聞いていた勾践には、彼女にかけてやる言葉もなかった。
呉に入り、夫差を前にしたとき、勾践は自分のことを「臣」と称した。
「臣、東海の賎しき僕たる勾践は、辺境で罪に触れました。大王はその深い罪をお許しになり、裁いて役を臣におあてになり、箒とちりとりをとらせました。まことに厚恩を蒙り、少しの間の命を保たせていただき、仰いで感じ入り俯いて恥じるにたえません。臣勾践は叩頭頓首いたします」
そう言いながら、勾践は実際に頓首をした。その様子に夫差は驚きを示したという。
「私はおぬしについて認識を過っていた。おぬしは先君の仇を討とうと思わないのか」
勾践は答えて言う。
「先君の死は、呉国によるものではありません。ただ、臣は死ぬときに死ぬまでです。王さまは、これをお赦しください」
そしてまた頓首した。
伍子胥はその様子を烈火の眼差しで見つめている。
「飛ぶ鳥が青雲の上にいて、これを射ようとしても、わざわざ近寄ってきて池の淵に臥したり、庭の回廊に集まったりすることはない。今、越王は山の中に放たれ、保つことのできない地に遊んでいたのに、幸いにも来たりて我が土地に渡り、我が宮殿に入りました。これは……言ってみれば料理人が作り上げた食事のようなものだ。失ってよいはずがない!」
夫差は憤慨してこれに答えた。
「余は、降伏した者を誅殺すれば、禍は三世に及ぶと聞いている。余は越をおしんで殺さないのではない、天の咎めや戒めを恐れてこれを赦すのだ!」
その様子を太宰嚭は楽しんでいたかのようである。彼は夫差の耳元で囁くように告げた。
「子胥は一時の計には明るい男ですが、国を安んずる道には通じていません。どうか大王は勾践が箒をとることを押し通し、つまらぬ者の意見にかかわることがございませんように」
夫差はこの言をよしとして、勾践を誅殺することをやめた。
これにより、勾践は夫差の車馬の管理を命じられることになる。彼は宮殿の地下にある石室で起居することとなった。




