喪中を討つ
一
伍子胥は、申包胥の意に従って孫武を説得した。
「楚を我々は滅亡寸前まで追い込んだが、これが単なる我々の侵略行為でしかないとは考えるべきではない。楚は国力を大きく失ったことは確かだが、明らかに社会は改善されつつある。考えてみろ。楚は我々との対立をきっかけとして、佞臣費無忌が失脚し、滅んだ。それを滅ぼした嚢瓦も私腹を肥やしてばかりで人民から白眼視されるような人物であったが、やはり滅んだ。情実にとらわれない、質実剛健な世が訪れようとしている。我々の行為は、決して無駄ではない」
「詭弁だよ、それは」
「では聞く。君は、外敵から武力侵攻の危険に晒されること以外に、これらの問題を解決する方法を知っているのか。聞くところによると……新たに即位した楚王軫は、幼いながらも英明であるそうだ。数々の緊張が、真に人を育てるとは思わないか」
「いや、思わない。人はどんな状況でも自己を律することができさえすれば、成長できる。社会も同じだ。外的要因に左右されることなく、自分たちがよりよき世を作っていこうと思えば、それは可能だ」
「長卿。それは君が学者であるがゆえの考え方だ。我々の多くは、君ほど自己を律することができない。安楽な環境に放っておけば、人はどんどん堕落する。社会も同じだ。一度乱れた社会は、なんらかのきっかけを与えてやらなければ、自ら改善することはない。君も戦争の意義を考える学者であるならば、そのようなことを考えてみたらどうだ!」
「では我々は、社会の自己改善を助長するために戦うというのか。戦争の意義はそこにあると?」
「そういう効果もあるという話だ。越国を見ろ。彼らは富国強兵に努力しているが、そのすべてはこの呉地を征服する目的にある。誰もがその効果を考えて戦争を起こそうとするわけではない。しかし俯瞰するように物事を見れば、彼らの意図を打ち砕くことが可能なのだ」
「効果を考えず、結果だけを求めて戦争を起こそうとする者の意志をくじく……我々はそうあらねばならない。確かに君の言う通りかもしれぬ」
「その世界を俯瞰する役目が、君に与えられた仕事だ」
「……では我々は、楚をもう一度攻撃すべきだ。いまの国力を失った楚では、広大な領地を維持するのに苦労するだろう。それは領内に暮らす住民にとっても、よいことではない。我々がその領地を狭めてやることによって、彼らは救われるのだ。住民はもちろん、楚国そのものも」
「ならば早く出仕してそのことを王さまに献策しろ。王さまは、次になにをすべきか迷っていらっしゃる」
孫武はようやく重い腰を上げた。彼は呉王闔閭の前に久々に顔を出すと、楚を再び攻撃することを進言し、認められた。そしてそれは成功し、呉は楚の東の地、番を領有することとなった。
二
楚王軫は協議の上、国都を郢から鄀に移した。より北上した形であり、南方からの呉の攻撃を恐れてのことである。
「楚はしばらく、これでいいだろう。新しい都を作るにも国や民も懸命となるだろうから、我々にとってしばらく脅威はない。仮に彼らの心に復讐心が宿っていたとしても、それを形にする余裕は、今の彼らにはないはずだ」
孫武は伍子胥を相手に、そう話した。しかし伍子胥には疑問が残る。彼らの心に宿る復讐心を我々が消すことができるのか。そうではないとしたら、我々はいずれ復讐される運命にあるのか……。
「時の流れが、それを薄める。社会を改善させる手段が戦うこと以外にない以上、それを期待するしかない。それに世の中の人々が、すべて子胥、お前のような考え方をするわけでもない」
孫武は伍子胥の疑問をやり込めるような形で封じた。そのとき伍子胥には釈然としない気持ちが残ったが、すべてを俯瞰する役目が彼にある以上、反論すべきではなかった。
そして南では何度か越の部族と戦い、北では晋や斉に睨みをきかせ、東では楚の動きを監視して数年を過ごした。孫武と伍子胥の謀りごとは成功し、天下に呉の覇権を認めない者は存在しなくなった。これにより、闔閭は覇者となり得たのである。
しかしそれを覆そうとした国があった。越である。
越の国都は会稽(現在の紹興市)にある。允常は王としてこの地を長年支配してきた。
彼らは古代の夏王朝の君主であった禹の二十代のちの子孫だと称してきた。それがなぜ会稽という沿岸の、しかも当時の文化の中心地から遠く離れた南の地に流れ着いたのか、という疑問がわくが、これはある時期に封建されたのだという。だが、このようなことは北の犬戎族などに代表される北狄なども同じようなことを言っている。要するに、信憑性はない。
彼らは北狄と同じように、かつては南蛮と呼ばれる存在であった。蛮人として扱われ、中央から蔑視されてきたが、それには実際に著しく文化の違いがあったからだと言われる。
彼らは全身に刺青をし、素潜りによる漁を主たる生活の糧としてきたという。稲作を中心とし、安定的な生産を重ねることによって発展した江南の文化とはひと味違う。また、黄河の灌漑技術によって発達した中原の文化とも大きく異なる。生産は不安定であり、そのため文明は発達しなかった。
允常はそれを見事改革したのである。
三
允常はそれまで一般的でなかった稲作を国内に広め、それを生産の中心に定めた。これにより国民の生活が安定し、人口が急速に増えたのである。そしてその多くを戦士とする強兵策をとった。もともとあった漁船を作る技術を応用して戦艦を作り、他国に向けての脅威とした。
そして何度か隣国の呉へ出兵し、その実力を垣間見せ始めたのである。闔閭や伍子胥が生きたのは、そのような時代であった。
しかしその時代もひとつの分岐点を迎えた。越王允常が病により逝去したのである。
これは、かつて越が闔閭の不在時を狙って呉中を荒し回ってから十年のちのことであった。このことを恨みに思っていた呉王闔閭は、これを良い機会だと考え、越に出兵すべく臣下の前で下問した。
「積年の恨みを晴らす時が来た。越ではいま、国中が允常の死を悼み、喪に服している最中だという。叩くならこのときしかない、と余はみるが,お前たちはどう思う」
この問いに孫武は即座に反応した。
「積年の恨みなどと言っていては、始まりませぬ。もはや十年も前の出来事ではありませんか。この機会ですから弔問の使者を派遣して、彼らと友好的な関係を築くべきです。それが覇者の度量というものでしょう」
しかしその答えに闔閭は苦々しい顔をした。それを見た伍子胥は、とっさに語を継いだ。
「仮に王さまが越に対して憎々しく思っていられるということであれば、今回は我々の武威を見せつけて彼らを心服させることを目的とするべきでしょう。やみくもに喪中にある軍を討つことは、あまりに礼を失する行為だと言わざるを得ません。たとえ相手が南蛮であろうとも」
「貴公らは余がなにを思ってこの十年を過ごしてきたのかを理解しようともしない。余は、非常に不愉快だ。この天下の覇者たる闔閭が、蛮人に対する恨みを捨てねばならぬというのか。では、何のための覇者か!」
そう言われては、伍子胥も孫武も黙り込むしかなかった。結局闔閭は越と戦いたいのである。積極的にそう思っているのであれば、口を酸っぱくしてその必要性のなさを理解させようとしても無駄であった。結局闔閭は、必要性があろうがなかろうが、戦って越を滅ぼしたいのである。
四
「動き出したようです。呉軍が……」
越の軍師である范蠡が允常の跡を引継ぐ形で王位に就いた勾践に静かに告げた。勾践はこれを受けて防戦態勢をしくことになる。
「結局は、覇者ともなると人に対しての礼儀を失うということだ。范蠡、やはり君の言っていたことは正しかったな」
新王の勾践は范蠡を尊重する態度を崩さなかった。先王である允常の代から越の急速な発展を支え、強国化を実現させた実績が彼にはある。
「政治は、実のところ苦手です。まあ、軍のことに関しては、多少自信がございますので、どうかお任せを」
この言葉を、范蠡はよく用いた。この言葉が本心を表しているとしたら、彼としては、ようやく活躍の場が得られた気分であっただろう。
「さて、どう対応するつもりだ? すでに考えがあるのだろう」
勾践は興味深そうに聞いた。越の王として、彼は負けることをまったく考えていなかった。
「はい。かつて私が目にした書物にこの局面を打開する手がかりとなる事項が記載されおりました。今回は、その書物の記載に倣おうと思います」
「どんな書物か」
「編者については失念してしまいましたが、内容に関してははっきりと覚えております。それは『兵法書』と呼ばれるもので……軍事の意義から、その具体的な動かし方までに渡って記されております。非常に興味深いものです」
「その内容は?」
「ええ。まず軍とは詭道であると。強くとも敵には弱く見せかけ、勇敢でも敵には臆病に見せかけるべきだとあります。続いて、敵が利を求めているときはそれを誘い出し、怒りたけっている時にはそれをかき乱し、敵の無備を攻め、敵の不意をつく、とあります」
「その書物の言葉を今回の状況に当てはめてみると、どうなる」
勾践の問いに、范蠡は悪戯っぽく笑みを漏らした。
「まず、私は呉の出方を探るために、わざと先王がお亡くなりになった事実を公表いたしました。広く、国外にも知れるように触れを出したのです。案の定、これに呉王は引っ掛かりました。喪中にいる我々を弱く見せかけ、利を求めている呉王を誘い出したわけです」
「うむ」
「これから、檇李(現在の浙江省嘉興市)の地で呉を迎え撃つことにします。そこに私は呉の不意をつくためのある秘策を用意しました。それについては、王さまも実際に現場でお確かめください」
范蠡はこれから行なわれる戦いを楽しみにしているかのような表情を示した。それにつられて勾践も頬を緩めた。
「なんだか貴公の言葉を聞くと、これから遊山にでもいくような気分になってきたぞ。しかし言っておくが、失望させるな。これは厳命だ」
あえて言葉尻に厳しさを加えた勾践であったが、それでも范蠡の自信は失われることがなかったようである。彼は、悪戯っぽい笑いの表情をしまうことがなかった。
「お任せください。決して王さまを失望させたりしません」
五
呉王闔閭は、軍を自ら率いて、その先頭に立った。しかしその行く手を阻むように集団が道を塞いでいる。それはすべて男であったが、武具や甲冑を身につけていなかったので、呉軍の面々には敵であるようには見えなかった。
「どけ。さもなくば蹴散らして進む。我々は呉の軍であるぞ」
闔閭は兵に指図してそのように告げさせた。しかし彼らは動こうとしない。不信に感じた呉軍は進軍を止めてしまった。
「ここにいる者たちは私を始めとして、越国内で大罪を働いた者ばかりです。それゆえ私たちは、その罪をあがなうため、この場で自らの首を落とすこととなっております」
集団の中のひとりが言うが早いか、皆が一斉に懐から短刀を取り出して自分の首を斬り落とし始めた。道端に激しく血しぶきが飛び、異様な呻き声が虚空に響いた。
この事態に仰天し、呉軍は統制を乱してしまった。
「まずい! 撤退だ! 王さま、撤退のご命令を!」
孫武は戦車を降りて闔閭の側に駆け寄り、激しく主張した。
そのときである。
草むらに潜んでいた越軍の主力が呉軍を襲った。放たれた無数の弓矢が音をたてて自軍に到達する様子を、闔閭は茫然と見るしかなかった。
「撤退だ!」
伍子胥と孫武は声をあげて兵を統率しようとする。しかし、乱れた軍律は彼らをもってしても修復することは不可能であった。
「霊姑孚よ。よく狙え」
范蠡は戦車の上から、ひとりの武者に声をかけた。霊姑孚というその大柄の武者は、自分の体より大きい弓を構え、さらにとびきり長い矢をつがえた。
「呉王闔閭を狙う……」
あらかじめ宣言するように彼はそう言うと、両腕をいっぱいに広げ、弓を引き絞った。そして一気にそれを放つ。
矢は轟音をたてながら、呉軍の先頭に向かって飛んでいった。
「当たれ!」
霊姑孚の叫びとともに、矢は闔閭のもとに到達する。そしてそれは彼の右足に突き刺さった。
「王さま!」
狼狽した周囲の兵が浮き足立った。もはや盾や剣を捨て、背中を見せて逃走する始末である。これを見た伍子胥は、王のもとに駆け寄って、その身を守った。
「なにをしている! 留まっていないで撤退するのだ」
伍子胥はなおも闔閭のもとに届こうとする弓矢を剣で払いながら、兵を叱咤した。そしてようやく呉は姑蘇にまで退却することができたのである。
「一撃で仕留めようとしましたが、叶いませんでした。申しわけありませぬ」
霊姑孚は范蠡の前で頭を下げた。しかし范蠡は、からからと笑い、
「充分だ。貴公には私から王さまにお願いして報賞を授けることとする。期待するがいい」
と言った。
「あの深い矢傷では、闔閭の命は長くもつまい。これで、失われた罪人たちの命も浮かばれようて」
戦いは、越の勝利に終わった。范蠡の戦勝報告を受け取った勾践は、にやりと笑い、
「あと数年もすれば、覇者の地位はこの私のものとなる」
と宣言したという。




