◇05 妹の病室
◇05 妹の病室
俺には妹がいる。
だが妹も俺と同じ高校一年生だ。
双子ではない。
ましてや義妹でもない。
…………別になぞなぞでもない。
単純に、俺がエイプリルフール生まれで、妹さんが三月三十一日生まれなのだ。
妹さんの生まれた日を誤魔化したり、或いは学校の好意で学年をずらしたりする事もできただろうが、そうしなかったので俺たちはずっと双子じゃないのに同級生として暮らしてきた。
それなりに珍しいが、全くありえないと言う話でもない。自分たち以外にそう言った境遇の人間は知らないが、ネットで検索すれば見つかる程度にはありふれている。そのこと自体は別に気にした事もなく問題もない。
ただ、妹は比較的早産で病弱な体で生まれてきてしまった。
俺は今、まさに入院している妹のもとを訪れるために病院内を歩いている。入院患者たちが多い場所で、……薬の副作用でニット帽を被るような人もよたよたと歩いていたりする場所だ。
しばしば妹は入院する。その事を妹自身は負い目に感じたりもしたらしい。確かに今のところ実際にお金を工面しているのは俺と言えなくもないから、俺が妹に『気にしなくていい』とか言っても何の意味もないだろう。
俺達には両親がいない。
幼いころに母親は蒸発し、割と最近父親も帰ってこなくなった。普通に考えて児童保護施設というか孤児院送りになったりするはずな状況な気はするが、運よく全寮制の高校に無料で通学できるようになったので何とかなっているといったところだ。
このこと自体を苦に思った事は俺は無いし、妹さんも恐らく無いだろう。まぁ、父親が帰ってこないのは金銭的な面でかなり面食らったし狼狽したけど、一方で少し荒れやすい父の相手をしなくてもよいのは喜ばしい事に思えた。
元々暴力は無かったし、愛の無い家庭なんて妹と俺には当たり前のもので、当たり前だから不幸だとは感じなかったのだ。……そういう事を一度小学生の頃に担任教師に虐待を疑われた時に話したような覚えがあるが、曰く『そう感じることこそが不幸』だそうだ。そんな解答を断言できるなんてさぞ立派な教師なんでしょうねぇ、とかいうような感想を、……もう少し小学生っぽいニュアンスで思った事は強く記憶に残っている。
まぁ正直、そう言った家庭の問題なんて今のところ飯悟学園の特待のおかげで全部解決してしまっているし、十八とか成人してしまえばどうとでもなるだろう。親に縛られるのはそれまでだからだ。
病弱に起因する定期的な治療に治療費がかさむが、それすら学園もちだと言うのだからありがたい限りだ。
俺はそんな事を思いつつ、到着した病室―――今まで妹が入院を繰り返してきた部屋の中で最も良い個室の引き戸を引いた。
病室なので基本的に余計なものはない。ベッドと、来客用のいす、窓、後はテレビが一応置いてあるがゆりは嫌いなのでただの置きものだ。
俺が読んだら頭が痛くなりそうな分厚いハードカバーの本を散らした病室のベッドの上で、妹はちょこんと座って外を眺めていた。窓から見えるのは五階から俯瞰した駐車場くらいのもののはずで、しかももうすでに日は落ちている。楽しいものなんて無いと思うが。
妹は珍しくこちらに気づいていないようだ。いつもなら『お兄ちゃん』と声をかけてくるはずで、それがないと言う事は気づいていないのだろう。
妹である世川ゆり、は俺が見てもやたらと儚げだと思う。入院が医者の『問題ないけど様子見を』の一声でいつも伸び伸びになるのはその為なんじゃないかとたまに疑うくらいだ。髪の色素がかなり薄く、茶髪を通り過ぎていると言ってもいいかもしれないくらいのレベルで、特に日や月の光とかに当たるとその色に染まってしまって元々の色がないかのように見える。肌も病院の抱える白に侵されたかのように全体的に白い印象を受ける。入院着が白いのも原因の一つだろうけど。
そんな事をぼーっと考えていると、ゆりはこちらに気づき顔をほころばせた。
「あ、お兄ちゃん!来てたなら言ってよねー?」
「ごめんごめん、あまりに綺麗だったから」
「はいはい、冗談は良いから。面白くないし配慮もないよ」
ゆりはそう言うとぽすぽすとベッドを叩いた。早く来いと。
促されるままに俺は横に置いてある丸椅子を引っ張ってきてベッドのそばに座る。ゆりは布団を体にかけつつベッドに座る。
「調子は?」
「悪くないかな。それよりお兄ちゃんの方が心配かも」
「俺?なんで?」
思わぬ言葉に驚いて訊ねると、
「なんか……ヘン」
「ヘンって…………俺がヘンなことなんて今までありましたかね」
俺が言うと、妹は微妙に仰々しい態度で続ける。
「自分の手に胸を当てて考えてみればー?」
「いや逆だろ」
「あ~、その返しは駄目だよお兄ちゃん、誰も求めてない」
「あぁなるほど、間違えたお前が恥ずかしいもんな」
「話そらしたみたいでお兄ちゃんが恥ずかしいんだよ」
「はいはい……。それで?俺のなにがおかしいって?」
逸れた話を元に戻す。しかしゆりにその気はなかったようで、布団で顔を半分隠しながらご丁寧に赤面までオプションに付けて、
「お兄ちゃんのナニがおかしいだなんて、変態!」
「下ネタ禁止」
ぴしゃりと言い放つと、ゆりは、あはは、と軽く笑って顔と布団を元に戻した。
その後、少しだけ真面目な顔で俺の顔を覗き込んだかと思うと、
「なんか他の女ができたって感じ」
「ぶっ、他の女も何もそもそもいないだろ」
真面目な顔してたから不意打ちになり少し吹き出してしまった。
「私のことは何とも思ってないの!?」
涙目で、…………演技で涙が出せるのは我が妹ながらすごいとしか言いようがないが、うるうると目をうるませてこちらを捨て犬のように眺めてくる。
ゆりが多少おふざけモードでも話はすすめられるから、もう勝手に進めることにした。
「はいはい。でも割と当たってるからすごいね」
「へー、お兄ちゃんも鼻の下が伸びる人種だったんだぁ。男って不潔~」
「男女差別反対!って、あれ、鼻の下が伸びるって別に女性でもいいのか?」
別によこしまな感情を持つのは男性に限った話じゃないし、鼻の下を伸ばした女性像も……うーん…………浮かばない、事もないけどちょっと絵としてどうなんだこれは。
「一応、男が女にだらしないとかそういう感じの意味だから、その意味じゃ厳密には差別的だよ」
「へー。賢いねぇ」
「ま、お兄ちゃんよりはね」
なんでもないようにゆりは言うが、実のところゆりの賢さはかなりのものだと思う。というか俺の知っている中で一番賢いかもしれない。それはベッドの上に散らばったままの本たちを眺めればわかる。騙し絵がどうとか、自己中遺伝子がどうとか、俺でもまだ読めそうな日本語の本もあるが、生物だか物理だかの赤だったり黒だったりする電話帳のような本まであって、あの辺は恐らく俺には理解できまい。
とはいえ、ゆりが賢いのは病弱と言っても命にまでは関わらないゆりが暇つぶしに選んだのがたまたま勉学だったから、というだけの原因ではあったが。
「それで?どんな人?」
やっとゆりの方から水を向けて来た。
「あー…………夢で俺を殺した人」
ゆりは今日初めて作りものじゃない表情、驚きの表情を見せた。
対策しなければ絶対に実現する未来視という事を、ゆりも知っているからだ。
「何それ!?大丈夫だったの!?」
「俺もものすごく警戒してたんだけど、特に何事もなかったな」
「どんな人?」
「割と何でもできる明るい女の人」
ゆりは一度考えるように唇に手で触れた。
「何されたの?」
「部活に誘われた。臨心部兼SAS団兼ぼうし部だっけか」
「何そのラノベ展開。大体ネーミングも頭の悪い先輩が作ったみたいだし……」
「そうか?オタクって割と高学歴高能力な人間が多いと思うけど」
「そうかな?趣味がちゃんと逃避とかじゃない趣味としてのオタクなら、……ってそんな事はどうでもいいよ。それで、実際の所どうだったの?」
一度訊いた事をもう一度訊いてくると言うのは、やっぱりゆりも驚いて、ありがたい事に心配してくれているのだろう。
「特に何事もなかったって。何かの間違いで普通の夢だったのかもしれないしさ」
「でも危ないよ。もう金輪際関わらない方がいいんじゃないかな」
半ば本気で言っていそうなゆりの様子を見て、あえて劇がかった大げさな口調で答える。
「予知夢に生かされず自分の人生を生きろって言ったのはお前だろ? だから一回くらいは自然に付き合わないとな。それに恐らくあんな人間とは二度と関わり合いになれないだろうし。大丈夫大丈夫、気をつけはするさ。俺だって死にたくはない」
ゆりはまだ不満が残っているようだったが、それでもじっと俺を見つめてしばらくした後に言った。
「…………。もう、本当に気をつけてよ?」
「わかってるって。……えっと?―――お前を一人になんかしないよ」
キリッとした顔で言ってみた。
「もっとキメ顔じゃないとかっこよくないよ」
「キメ顔ってなんだよ……」
「そんな事も分かんないの?よくお兄ちゃんが映画の展開をあてた時にしてるじゃんか」
「してない!してないぞ!……いや、してないよな?」
ちょっと不安になって訊ねる。
ゆりは質問には答えず、軽くため息をついて続ける。
「まぁいいや。でも一応その人は『危ない人』リストには入れといてよね」
「ん、分かったよ」
俺が言うと、ゆりはもうそれ以上その話をする気は無かったようで、それからしばらく俺と無駄話を続けた。
その後、ゆりが味気ない病院食にもはや文句すら面倒くさそうに嫌そうな顔で俺に訴えつつ完食した後、俺は自分の部屋へと向かった。