◇25 屋上
◇25 屋上
「ちょっと付き合ってよ」
既に日も落ちかけ夕焼けに燃える街中で。
どこか今更な感じもする発言を了承し、俺は淡井に言われるがままにそのあとに続いた。
駅に乗りひと駅。それほど発展していない郊外。
移動の間、意味のない会話をちょくちょくはしたものの、淡井は俺との会話を拒絶している節があった。上っ面の会話はするが、それは今から行う核心的な何かをわざわざ俺に予感させるためだけの、儀式的なものにすら思えた。
やがて、俺は淡井に連れ立って住宅地へと足を踏み入れる。
少し高低差を感じる高台のような場所を歩き、俺と淡井は一つの高層マンションの前へとたどり着いた。ニ十階弱はあるだろう。
「……お前の自宅か?」
「そ。でも部屋には用事は無いよ」
言いつつ、淡井はオートロックを鍵で開ける。……アレって鍵で開けるものだったのか。人といるとインターホンで開けるからよくわからなかったが。
そのままエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。意外に階層は高くなく、十四階が最上階だった。
「何、また屋上に行くのか?」
俺の質問に、淡井はちらりと緩やかに一瞥だけして沈黙を守る。……どうせもうすぐ何かを俺に話すつもりなのだろうから、別にその態度が気に食わないとかそういう事はないが。
ドアが閉まるだとか十四階だとかのアナウンスを聞き流して、十四階へとたどり着く。エレベーターから降りた瞬間から、かなり強く吹きぬける風を感じた。
無言で先導する淡井についていき、階段を上る。上の抜けた鉄格子に単純な南京錠がおろされ、鉄鎖でがんじがらめにされていた。
侵入しようと思えば乗り越えて入ってしまえるのは明らかだ。
「一応、足音は気にしてね。体裁上、進入禁止ではあるから、さっ」
言ったかと思うと、淡井はひらりと鉄格子を超えて屋上へとふわりと無音で着地した。相変わらず大した身体能力だと思う。
進入禁止の区域に立ち入るのはいささか気になりもしたが、仕方ないのでがしゃがしゃと鉄格子を鳴らしながら、淡井に比べたらもたつきつつ乗り越える。一応、足音には気をつけたつもりだ。
扉を超えた先、屋上へ立ち入るにはほんの数段の階段をのぼる必要性があった。淡井は軽やかに先に進み、俺は多少足音を気にしつつゆっくりと進んだ。
屋上に足を踏み入れる。不可視の境界を幻覚し、直後、一陣の風が俺を出迎えた。
流れる雲。眼下には、ありふれた住宅街と点在する小学校や電車の高架。十四階ともなるとかなり遠くまで綺麗に見渡せる。立地がそもそも高めである事も景観の良さに拍車をかけた。
夕日もほぼ完全に落ちかけ、東が闇に侵食され始め、街が人工の光で対抗し出す時間。少し上から見ただけで、地上から見るとあれほど雑多で節操無く見える住宅街がある意味では整然と並んでいるように見えるのは、どこか不思議にも思えた。
瞬間、フラッシュバックする。
夢の景色は、この屋上だったと。
俺が淡井を殺したりは絶対するはずがないので、そのフラッシュバックで動揺するなどという事はないが、とはいえ気にはなるのも事実だ。
ありえない未来視など過去に一度もなかったし、そもそも実現確率は放置した場合限りなく百に近いのだ。絶対にやらないはずの行動をとる可能性があったと予言されるのは、どこか薄ら寒い。
俺はその可能性を見落とさないよう、淡井の行動に気を張る。
夢と重なる立ち位置。淡井は、背後に生死の境界を背負い、少し離れた俺に体を向けている。……流れる金髪、読めない表情。俺は普段より多少距離をとった位置で淡井に相対した。
「ねぇ、分かった?」
淡井の言葉。俺は特に意識せず返す。
「「何が?」」
淡井はそんな俺の言葉を模倣して返した。あまりいい気はしない。
「さっき、何が起きてたか、だよ」
また模倣されるかもしれないと一瞬身がまえたが、しかしどうする事も出来ない。
「「さっき、て、……さっきって言うのは、ガン研究者がガンになったから自殺するって話か?」」
一拍置いて、淡井は、半分な呆れたような怒ったような様子で、
「そこまでは訊いてれば分かるでしょ。そうじゃなくて、その後だよ」
「「そのあと?」」
「そのあと。彼は、今日は死ぬことはない。何故?」
「「そりゃ、身内を呼んだんだろ?それも言ってたし、ありがちな方法ではあるんじゃないか」」
「そだね。じゃ、それが誰かも分かるよね?」
「「誰って……そりゃ、子供とか孫とか、妻とか、その辺なんじゃないか」」
俺の解答に、淡井は首をゆったりと振ってから不満を表す。
「違う。そうじゃなくて、キミは今日来てた人が誰か分からないと、おかしい」
「「別におかしくないだろ、そんなん分かるかよ。それとそろそろその真似はやめてほしいんだが」」
いい加減耳にうるさいのでそう言うと、
「だって、キミの言う事は大体予測尽くし、こうして模倣できる程度の事でしかないからしょうがないでしょ」
淡井はあまり覇気のない声でそう返してきた。行為自体は非常に腹立たしいのだが、声色は悲しげでもあり対応に困る。……俺が対応に困る事を見越してそう演じているだけと言う可能性もあるが、なんとなくそうではない気はしていた。
淡井は続ける。
「誰が来たか、分からないんでしょ?」
分かるわけがない。大体、川越とかいう研究者のことだって今日初めて知った俺が、何故分かるんだろう。初対面の人間の自殺を止める相手が誰かだなんて、分かるはずがないだろうに。
と、そこまで考えてふと浮かんだ事を口にする。
「「孫とかが飯悟学園の生徒だったりするのか?」」
だがその発言も完全にトレースされてしまった。
「はい、やっとわかったんだね。でも、キミは結局、そこにたどり着くのにも時間がかかるし、それ以上なんて望むべくもないよね」
「「それ以上?」」
「それ以上。それは、……すぐに分かると思うよ」
淡井は殆ど呟くようにそう漏らし、視線を落とした。
言うだけ言って黙るのは腹立たしくもあるが……。
「自分で考えろってことか?」
屋上に来て初めて淡井は模倣をやめた。別にそれが普通なのに、無視されたみたいで変な感覚だ。
淡井はそんな俺の内心など気にも留めず、ただ返す。
「考えて。考えて考えて、私を楽しませてよ、高校生の研究者さん」
俺は沈黙する。……それ以上?
それから風が何度も何度も俺と淡井の間に吹きぬけて行った。だが一向に俺は何かが頭の中に浮かぶ事はない。自殺を止めて、それ以上ってなんだ?自殺の動機も、その阻止も明らかになっているのに、それ以上知ることなんてあるのか?別に詳細なんてどうでもいいだろうし、重要な何かで、というか直ぐに分かるってのはどういう意味なんだ?こうして考えても分からないんだが。
ああ、もしかして、
「もしかして、孫とかと会わないのはむしろ孫の都合で、川越さん自身は会いたいけど会えなくなるからまた死にたくなるとかそういう事か?」
俺は思いつきのような解答を口にした事を後悔した。何故なら、淡井があからさまに落胆していたからだ。
淡井は俺の方へとつかつかと歩を進め、俺の横を通り過ぎる瞬間、
「つまんない」
そうつぶやく。
そんなこと言われると俺も反射的にかなり腹が立ったが、だが一瞬で夢を思い出して、なんとなく怒りが霧散してしまう。そのせいで言葉も発する事も出来なかった。
淡井は特に気にした様子もなく扉の方へと向かっていってしまう。
去り際も、淡井は特に言葉を残すことはなく、ただひらりと鉄扉を飛び越える音のみを残しただけだった。
特にする事もなく、別にすぐ帰ってよかったのだが。
なんとなく、淡井が背にしていた生死の境界、屋上の終わりに近づき、その直下を覗きこむ。
さすがに十四階ともなると高く、足がすくまなくもない。
ただ、別に変わった景色があるわけでもなく何の変哲もない駐車場があるだけだ。
俺はそれに何かを感じたという事もなく、踵を返し、病院へと向かった。
その日、間の悪い事に妹のゆりは検査で会えない日だった。
俺はもやもやとした何かをどうする事も出来ず床についた。




