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夢現のあわい  作者: 池中 由紀
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◇16 説得

◇16 説得


 しかし説得と言っても俺は自殺を思いとどまらせる説得などした事もない。さらには俺は別に社交的というわけでもなく、状況はあまりいいものだとは思えなかった。

 大体、まだ相手が自殺すると決まったわけでもない状況だ。

 そもそも失敗したところで淡井がフォローすると言うのなら、彼女が死ぬことはないのだろう。だとすれば失敗時に俺が失うのは淡井からの興味のみで、それむしろ好ましい事にすら思えなくもない。逆に淡井の見立てが間違っていた場合、俺は恥をかくだけだ。まぁ淡井が驚く事はあるのかもしれないが……。

 とりあえず俺はまず目の前の人物をよく観察することにする。

 最近は淡井とよく行動するからだろうか。

 失礼な感想だが、目の前の女子生徒は比較的平凡で、外見的にも普通に思えた。

「…………」

 女性生徒は突然近づいてきた俺にかなり警戒した様子で、ともすると走り去ってしまいそうにも見えた。

「え、と……」

 俺は思わず声を漏らしたが、特に何の話をするのかもわからず何を話せばいいのかもわからない。まさか『自殺しようとしてるだろ、やめろ』とか言えるわけもないし。

 見ず知らずの人間と会話するためのタネを脳内やら彼女の様子やらから検索していると、すぐに一つ気づく事があった。

 彼女の制服は淡井の着ているものと同じもので、つまり同じ学園の生徒なのだ。

 ……だからどうしたという事もない。同じ学校の連中をみんな知っている奴なんてよっぽど生徒数が少なくないとありえないだろう。だから初対面なことは確かだし、会話の糸口としては弱い。

「あ、こんにちは」

 が、彼女がこちらに意識を向けてくれている間に声をかけてしまう事にした。一度意識を切られてからではハードルが高くなるのは必至で、この見切り発車は非難されることはないだろうと思いたい。

「…………」

 無視ですかー。

 い、いやいや、まだ慌てるような時間じゃないですよ。ほら、まだ彼女こっちを微妙に引きながらじっとり見てますし。

「同じ学校ですよね。あー、えっと、部活ってなに入ってます?」

「…………(フイッ)」

 顔そらされたー。

 いや実際これ無理だろ。何の用事もないのに人と初対面の人と話せるほど俺はコミュ力とやらを持ってないし、そんな人間関係を騒がしく過ごせるような人種じゃないんだからさ。仲のいい少ない奴等とよろしくやってくタイプなわけで、こんな状況には不慣れなわけで。むしろ慣れている奴の方が少ないだろう。まして自殺するらしい相手と脈絡なく談笑するとか、ムリすぎる。

 大体、もっとこう、いいかんじのタイミングとかあるだろうに。学校で淡井の権限でも使って用事をでっちあげるとか、そういう自然なコンタクトの方が絶対よかったんじゃないか? 絶対よかっただろ。

 話題がなくなった俺は、学校内の会話を流し聞きしている限り、最も安易に使われている話題のタネを使ってみることにした。遠まわしなあてつけにもなるし。

「淡井のこと知ってるか?」

「……、……」

 ぴくり、と、初めて反応を見せた気がした。

「まぁ知らないわけないよな。で、なんか俺はキミと話して来いって言われたんだけど―――」

「―――私と?」

 今までこっちには顔だけしか向けていなかった生徒は、半ば体をこちらに向けつつそう言った。

 淡井の名はさすが、と感じなくもない。まぁアレだけ全国区な人間の名前なんだから効果があってもおかしくはないが。

 初めての返答に内心で少し安心しつつ、俺は続ける。

「そうそう。理由は、―――よくわかんないんだけど」

 なにか理由をでっちあげて話を続け、あわよくばその理由の為に彼女を自殺を踏みとどまらせるという方法も思いついたが、淡井が姑息療法を望んでいない気がしたのでやめた。

 だがそれは失敗だったのかもしれない。

 女性生徒は一度俺の目を、初めて瞳に意識を宿しまっすぐに射抜いた後、すぐに瞳を元の通りに濁らせた。むしろ悪化したようにも見える。

「貴方が、噂の…………」

 声を漏らしつつ、彼女はどこを見ているとも分からない表情を見せる。恐らく淡井とのセットだろう噂が膾炙しているのもさすが淡井とでも言っておけばいいんだろうか。

 なんにせよそのまま彼女は意識をこちらから切ってしまった。体も、元のようにレールの方へと向けてしまっている。一度こちらに意識を向けてくれたせいなのか、最初よりも自殺の意思を固めてしまったかのようにすら見えた。

「あー、えっとー……」

 淡井についての話を続ける度胸もなく、というか続けたところで彼女の自殺心を取り除く事も出来ないと思ったので、半ば自棄になって単刀直入に言ってしまう事にした。

「……自殺はやめた方がいいと思うよ」

 あからさまに驚いた様に、再度こちらへ振り向いた。が、視線を一度横に流すと驚きも何もかも霧散して、元の空っぽの表情を取り戻した。

「……関係無いでしょ」

 言葉を残し、体も再度レールの方へ向けてしまった。主語の抜けた言葉はもちろん理解できるが、一方で俺は内容に驚いてもいた。

 自殺に関しては否定しなかったのだ。これが『何言ってるんですか?わけわからん』とかだったら淡井の方を疑っていただろうに。なまじそんな答えが返ってきてしまうと僅かばかり信憑性が上がってしまう。

「ほら、やっぱり死ぬのはどうかと思うし……」

 彼女は特に返答も反応も見せない。

「生きてればいいことだってあるんじゃないかな、とかしか言えないけど」

 そういう月並みなことしか言えない俺自信が情けない。相手の事を全く知らないから仕方ないとはいえ。

 そのままどうする事も出来ず、俺はただ間抜けに突っ立つはめになった。が、それほど時間がたたないうちに、遠くから風音のような音が聞こえてくる。

『まもなく、一番線に―――』

 アナウンスが入る頃には、はっきりと電車が線路を走る音が聞こえ、普通の音量での会話は全てかき消されてしまう。学校帰りらしい学生たちのホームでの会話はそれで完全に消えてしまった。

 女性生徒は既にこちらを意識していない。まさかこのタイミングで飛び込みをするとは、思わないが……。

 いよいよ電車が進入してくる。徐々に大きくなる風音。運転手がミスったのか、プァアン、とブレーキの音が響く。直後、

「―――!」

 生徒がこちらを向いて見下すような、見せつけるような、そんな微妙な微笑を浮かべたかと思うと、

 線路へと飛び込む―――


 ―――直前にいつの間にか近づいてきていた淡井が引っ張ってホーム側へと倒した。


 地鳴りのような音と共に電車がやってくる。その様子を女子学生は尻もちをついたまま茫然と眺めていて、……自分がなぜ死んでいないのかを認識するために時間を必要としているような、そんな様子だった。

 ……通り過ぎる際に一瞬目のあった車掌の表情が何ともいえず驚きと諦めをブレンドしたものだったのが印象深い。

 未遂に終わった飛び込みは、特に電車のダイアに影響を与えることはなかった。若干こちらの様子を遠巻きに眺めていた人はいたものの、普段通りに電車が発車するとともにそれらの人々もホームから去って行った。

 残されたホームには俺と淡井、女学生の三人だけが残る。

 女学生は未だに驚きから平常心を完全には回復していないようだった。座り込んだまま動いていない。一方で淡井は学生の後ろに立ち、俺に向かって非難めいた表情を見せている。……きちんと自殺を阻止できなかった事を非難しているのだろう。せめて最後の瞬間に生徒を掴んで引き倒すのは俺がやった方がよかったとは思う。

 やがて学生は混乱から常態を取り戻し、立ち上がりスカートを払いつつ言った。

「……なんで、…………貴方が」

 対して淡井は軽々しく答える。

「あは。キミを助けてあげようと思って」

 返答に対して学生はあからさまに攻撃的な視線を向ける。

「誰も頼んでない……!」

「でも、やっぱり無駄に命を散らす事は無いって思うなっ」

「無駄かどうかは貴方が決める事じゃない!」

 ホームに響く感情的な声。俺との会話では一度として引き出す事の出来なかったものだ。

 一方の淡井は軽薄な態度を崩さず、しかし飛躍した返答を返す。

「……キミは自分の人生を生きればいいんだよ」

 一見して流れの飛躍した淡井の発言に、学生は攻撃的な感情を見せたまま疑問を露わにする。

 その変化が隙になると考えているのだろうか。

 淡井が適当な間をとりつつ続ける。

「坂上さんの世界には親しかいないわけじゃないでしょ?友達だっているし、……弟だっている。キミが逃げたら誰がその肩代わりをするの?」

 文脈が不明だが、口調はあからさまに煽っているようなものにも聞こえた。普段から軽い口調である事も印象を助長する。

 はたして、坂上と呼ばれた学生は殆ど激昂して、

「そういうのがもう嫌だから!疲れたのよ!選んだわけでもない家庭で疲れるのなんて…………もうどうだっていいの、もう楽になりたいのよ!それに貴方には関係ない!―――貴方になんか、分かるわけないわ!」

 つまりは自殺の理由は家庭内の不和か何かなのか。なんでそんな事を淡井が知っているのかさっぱりわからないが、『見れば分かる』とか言われそうで怖い。

 というか、これじゃ解決には程遠いんじゃないか。怒らせて心情を吐きださせる方法はカウンセリング方法としてはとても基本的だけど、自殺寸前まで進んだ心に対しての処方箋としては間違っているような気がするんだが。

 俺のそんな疑問を知ってか知らずが、淡井は返す。

「自立すればいいよ。坂上さん、才能あるんだから」

「……軽々しく自立とか言わないで。才能?いったい何の才能?そんなものがあったら苦労しないわ」

「苦労しないでしょ?なのに死ぬのは馬鹿らしいって、そう思わない?」

「できないわ。貴方が感じているほど軽々しく自立なんて、できないのよ!」

 叫びに対して、淡井はくすりと笑いつつ応じる。

「本当に?柳田さん」

 柳田?坂上じゃないのか?

 と思うと同時に、坂上はあからさまに狼狽し、攻撃性を薄めている。

 俺は思わず周囲を軽く確認するが、周囲に三人以外の人はいない。淡井は俺の確認のそぶりをちらりとみて来た。……揶揄の意思があったような気もする。

「…………。知ってるの?」

「もちろん。一緒に仕事した事もあるでしょ?」

「……貴方に認識されているとは思わなかったわ、淡井さん」

「知ってたよー?同世代だったし」

 完全に俺を置いて行ったまま二人は会話を続ける。というか淡井は接点あったのかよ。

「だからね、わたしにも少しはわかる。その罪は、仮に罪だったとしても。キミだけが背負っているものじゃないよ。共有できる仲間は、意外と少なくないから。だから、もう少しだけ頑張れば、弟君とかの事考えても、坂上さん自身の事を考えても、いいと思うなー」

「……貴方はどこまで分かってるの……?」

 怪訝な表情。俺もそこは知りたい。というか、罪?話が飛んでないか?

「大体全部分かってるよ。わたし、ほら、読んだなら分かるかもだけど、人を見るの得意だから。後は……学校とかだと噂話とかってよく耳にするし、今のご時世色々なデータを見るのは難しくないよね。だから、キミがした事に苦しんだりした事とかは、大体、分かってるつもりかな」

 坂上は沈黙を返す。言葉を吟味しているような、淡井という人物を測りかねているような、そんな沈黙だった。淡井もそういった何かを感じ取ったのだろうか、

「時として空想だって現実に強く干渉する。それは別に、決定的な出来事があったかどうかは本質的には関係ないけど、キミの場合は決定的だった。けど、だからと言ってキミだけが負うべき、罪……とも言い切れないと思うけど、キミだけが負うべき認識じゃ無いと思うよ」

 淡井の発言を聞ききった坂上は、何かが氷解したような表情を見せ、ほんの僅か、笑みすら浮かべたように見えた。

「貴方も同じ経験が?」

「うん。一度や二度じゃなかったけど、けど……わたしは死ぬ事が解決だとは思わないよ。だからせめて、うーん、せめてわたしが死ぬまで諦めないでほしいな?」

 特に気負った様子もない淡井の言葉に、坂上は少し遠くを見るようにして視線をそらした。もうすでに攻撃的な感情は抜け落ちていて、……つまりは淡井が坂上の自殺を防止してしまったらしい。傍からやりとりを聞いていただけの俺からはいったい何が二人の間で相互に理解されてその結果に至ったのかさっぱりわからなかったが。


 やがて坂上はまっすぐ淡井を見つめ、

「…………。同じ境遇の人が身近にいると、何も解決したわけでもないのに少しは救われるものなのね。……ありがとう」

 最初に見た濁った瞳や暗い表情と比べれば、ずっと晴れやかな表情で坂上は去っていった。


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