◇10 百貨店の屋上
◇10 百貨店の屋上
それからも俺は淡井にあちこち連れまわされ、いよいよ疲れたし帰ろうかと思いだしたころ、最後に『なんとなく』屋上に行くと淡井が言い出した。
まぁ最後なら良いかとその気まぐれに付き合う事にする。淡井はあからさまに屋上が好きなんだろうし、それこそ『なんとなく』ついていくといい事があるような直感があった。
どうせ本当に最後だ。俺はもうこんな部活や淡井に付き合うつもりもない。
屋上には休憩所があった。夕日が目に障る。
……元々小さい遊園地でもあったのかもしれない。全体的にはがれ気味の床の塗装の所々が比較的綺麗なままだったり、端っこの方には水色のパイプで囲われたスペースが残ったままだったりしている。お金で動く子供用の車でも置いてあったのだろうか。
隅の方に自販機が置いてある以外は、申し訳程度にベンチが設置されているだけの空間が赤色に染まっている。遊園地の気配が残滓のように漂っていて、どこか退廃的な雰囲気すら感じさせられた。
淡井は特に俺を意識する様子もなく、すたすたと歩いていき、ベンチを通り越してフェンスに手をかけた。目的意識があるのかないのか。俺が校舎の屋上で淡井を見る時も大抵あんな感じでいる事を思えば、あんな感じの位置が好みなのか。
そんな事を思いながら、俺は淡井よりも緩やかに後に続く。途中のベンチに両手を塞いでいる荷物、買い物の結果による六つの袋を置き、淡井の背後に微妙な距離を置いて立った。
当然、淡井は俺の気配を感じているはずだ。が、淡井は振り返るそぶりすら見せず、ただフェンスの向こうに広がる中途半端な町並み、……高層ビル群というわけでも、地域密着の商店街というわけでもないありふれた駅前の風景を眺めている。特に面白みのある景色ではないが、理由もない哀愁に近い感情は湧いてこないでもない。人間に比較的普遍的に備わるセンチメンタルな何かが俺にもあるらしく、そんな感情をつかさどる神経がぽつりと微かに発火したのを感じた。
とはいえ、感傷に浸り続けるような気分でもない。
別に俺はそれほど淡井を好ましくは思っていないのだし。
感傷を満喫するにはひとまず十分だろうと俺が思えただけの時間待った後、俺は淡井に対して質問を投げた。
なんでこんな買い物に付き合わされたんだ、と文句を言ってもよいシーンだとは思ったが。
「……で、結局どうして俺に興味を持ったんだ?」
俺から出たのはより重要だと思えるものだった。
ピクリと淡井が反応したように見えた。アニメならアホ毛が動いているところだ。
淡井はくるりとターンして俺に向き直る。表情は、例の悪戯顔。
「ふふーん。知りたい?」
「知りたいから訊いたんだろ」
「また、そんなこといっちゃって」
ほんの少し呆れたように淡井は言った。続けて、
「いいよ。教えてあげる。でもふざけてるわけでも、からかいたいってわけでもないから」
「…………?」
ちょっと淡井の発言意味が分からない俺は、はてなマークを頭上に浮かべた。淡井もその記号に気づいたはずだが、あからさまに無視してきた。
淡井はフェンスに少し体重を預けた後、ほんの一秒程度目を閉じた。自然だったので、夕日に目が疲れただけにも見える。しかし俺はそこに意思の様な、覚悟の様な何かを予感した。
「だってキミ、美羽の事キライでしょ?だからわたしは興味持ったの。……あは。びっくり?」
普段よりも明るさ控えめの表情とイントネーションで行われた淡井の発言に、俺は多少戸惑う。しかしあまり間をおくと良くない気がしたので、すぐに答えを返した。
「何?お前は皆に好かれてないと満足できないタイプなのか?」
「別にー。好かれていたほうがいいとは思うけど、ヘンにこだわってるわけじゃないなー」
「興味の持ち方が変なこだわりだってのは自覚してるわけだ」
「そこまで珍しいヘンなこだわりだ、とは思わないケド。ほら、やっぱり楽しい事って刺激的でしょ?」
「だから?」
「もー、分からない?美羽は楽しい事が好きなの。楽しい事をするために生きてるんだー、とかいっちゃってもいいよ。で、色々やってきたけど、よく考えたら自分の事を嫌う人ってあんまり見つからなかったし、いても面白くはなかったし、付き合った事もなかったなー、って思ってさー」
ははぁ、なるほど。
確かに俺は万能で飽き症らしい淡井の事をあまりよくは思っていない節はある。そういう態度が淡井からすれば新鮮だったのかもしれない。とはいえ、
「お前は有名人なんだから、俺でなくとも敵はいるだろ?」
淡井は、んー、と唸る。
「もちろんいるけど……キミはなんかちょーっと違うんだよね。長い間飽きそうにない感じ。あと安全だし、研究者っていうのも気になるし」
「安全て…………それが主な理由なんじゃないか?俺は別にお前と価値観が合わないからってぶん殴ったりするような人間ではないし」
「あは。そんな風に自分を貶めて予防線張る必要性ないよー」
「大体俺に興味持った理由がまだ微妙だ」
「わかんない?刺激が欲しいの。楽しい事が。予想外の事が。ぜーんぶわかっちゃったら、わたし、つまんなくて死んじゃうよ」
夕日の逆光が淡井の表情に影を落とす。しかしそれでも表情にはさして悲愴さなど無く、いつも通り世の中舐めてるような、そうでもないような表情だった。
その表情が維持されたのはほんのわずかの間だった。
やがて、再度挑戦的な笑みを浮かべる。
「わたしはいろんな事が分かっちゃうから。だから例えば、誰かが美羽を脅かそうとしてもムリだと思うな。で、そーゆーのって、楽しくないよね。楽しくないから、楽しくなるように今までやらなかった事をいろいろ試してるんだよー」
言われて、否定したくなって脅かす方法を少し考える。しかしすぐ、俺の脳内にはある光景が浮かんだ。
淡井が驚愕の表情を浮かべた、今日の予知夢。
瞬間、気づく。
あぁ、あの夢はこの瞬間の可能性を示唆していたのだと。
思えば夢は夕日、夕方だったし、頑張って思い出してみるとフェンスもまさにこんな感じだ。学校の屋上のものと似てはいるが、細部が違う。こちらの方がよほど丈夫そうで、夢の感じと一致している。
そして『わたしは驚かない』とか言われれば、多少なりとも反発してみたくはなる。
その結果として何も知らない俺が淡井を押し倒すとか、フェンスに押しつけるとか、そういう事を考えないとは言い切れない。結果としてフェンスが壊れて淡井を殺すことになるだなんて、普通は考えないだろう。
俺は背に嫌な汗を感じた。
十中八九大丈夫だとは思っていたし、実際俺は行動に起こすまでに余裕を持って気づき、もはや淡井をフェンスに突き飛ばすことはない。
しかし確実に、俺が淡井を殺す可能性はあったのだと思うと『でも大丈夫だったし』と素直に割り切るほど俺は人間ができてはいなかった。
「?どーかした?悪い夢でも見たような表情してるけど」
淡井が言った事はまさに的中しているが、予知夢の事を知っているわけでもなく推測自体は的外れだ。
俺はとっとと言うべき事を言う事にする。
「別に。それよりもう満足したか?俺はやっぱりこんな部活動とも呼べない活動するくらいなら学習でもしてるよ。だからこれ以上付き合うのは嫌かな。次からは一人でやれよ」
「冷たー。今日はキミが慣れるために部活の内容を少しライトにしといたのにっ。……せめてもう一回だけ参加してほしいな?」
淡井はそう言って、上目づかいで俺を見た。……腹立つくらい絵になるが、かといって妥協する気はない。
……と、意固地になって拒絶しようと思ったが、よく考えれば別にそれほど悪い提案ではない。正直言って部活の本当の活動があるのなら多少は気になるし、二度と接点のないだろう淡井にだって、普通の人間としてそれなりの興味は持っている。これからの人生、こういう人間との付き合いが活きることだってあるだろう。
だとすれば、俺は、先ほどの自分の発言を単純に『真面目に活動しているところがみたい』という意味にしてしまえばいいだけの話だ。実際、淡井にはそう伝わっていそうな節がある。
そこまで考え、俺は適切な発言を作り、返した。
「はいはい。じゃ、期待しとくよ」
「そ。じゃあまた明日ね。―――ということで今日はここで部活終わりっ!じゃねー」
淡井は言うと、また夕日を乗せた街並みを眺め出した。こちらも見ずに左手をひらひらと後ろ向きのまま振っているのは、もう帰っていいという意味だろう。
お前学校に置いてきた荷物どうするつもりだ、とか、買った荷物一人で運ぶ気か、とか、言いたい事は実のところたくさんあったが。
これ以上淡井と一緒にいるのは、何となく嫌だった。別に殺した夢を見たからだ、とは思いたくないが。
自分の予感がなんてあてにならないんだとも思う。いいことなんて特になかった。
客観視すれば、俺は逃げるように屋上を後にする。
俺は素直に学校に荷物を取りに帰り、妹のゆりのもとへと急ぐことにした。




