アカシア
以前連載していた作品を短編にしました。一話完結だったので、連載が滞ってた身にはなんとも助かったり(汗)
アカシアの花言葉は、『優雅』、『友情』、『秘密の愛』。
町外れの丘にある、一本のアカシアの木。そこに、仕事を終えてから、僕は毎日訪れている。
誰もいない開放的な世界。喩えるのが詩人なら、そう喩えたかもしれない。
けど、僕は違う。
アカシアの木の幹にもたれていると、何かに守られているような気がして、不思議と落ち着くのだ。
まるで、背中を合わせて座っているのが旧友のような安心感。
けどまあ、旧友とまでもいかないが、友達ぐらいは既になっているのかもしれない。仕事を始めてから三年間毎日、一日も欠かさずここに来ているのだから、それぐらいの関係にはなっているはずさ。
次の日。いつものように坂を登り、丘に出ると、見知らぬ女性が居た。
艶やかな金髪を腰まで伸ばし、優雅な同色のドレスを身に纏っていた。年は十六ほどだろう。彼女が夕陽を背に佇む姿は、出来過ぎた絵画のようで、逆に何か不安を覚える。
彼女の在り方が、あまりにも不鮮明で、繊細すぎたから。
しばらく惚けていると、彼女は僕に気が付いて、軽く頭を下げた。僕も軽く会釈した。
「ここは……気持ちがいいですね」
春の夕風を浴びながら、彼女は口を開いた。
「ああ、自己紹介が送れました。私の名前はエリス・バーケンライト。エリス、とでも読んでください」
彼女は自らをそう名乗ると、スカートの端を持ち上げて、気取ったポーズを取った。 彼女は、バーケンライトと名乗った。その、姓は、このあたり一帯の領主の姓だ。
しかし、何かの冗談だろう。こんな所に貴族の娘が来るはずがない。
それよりも、笑顔が似合う人だな、と思った。もちろん顔立ちはすごく整っていて、文句のつけようがない。
ただ、何か、彼女は僕に誤魔化していることがある。そんな気がした。
「ふふ、不思議な方ですね。バーケンライトの姓を聞いて何も言わないなんて」
そんなことを言われても、別段統治に不満があるわけでもないし、彼女にそんな反応をするのは失礼なような気がした。
「何にもお喋りにならないなんて、やっぱり不思議な方ですね。でも、一緒に夕陽を眺めるのは悪くないでしょう?よければ一緒にどうぞ」
もとよりそのつもりだったので、彼女と反対側になるように座り、お互いに夕陽が見えるようにした。
アカシアの黄色い花の下。木を挟んでお互いに背を合わせて座っていた。
お互いに干渉しないまま、時間はただゆっくりと過ぎて行く。
夕陽は傾き、半分以上が山に隠れると、彼女は立ち上がった。
「あまり遅くなるとお父様が心配されるので、私はこのあたりで失礼します」
僕は頷いた。彼女は僕を見て微笑み、
「明日も、来ていいですか?」
わざわざ聞くまででもないことを、心配そうに聞いてきた。
月日が経つのは早かった。気が付けば夏になり、彼女は夕涼みにアカシアの元に来た。秋になると、父親が縁談の話ばかりすると怒っていた。冬には、雪がちらつく中、半べそをかきながら坂道を歩いてきたこともあった。
そんな彼女と過ごして、僕は何を感じたのだろう。友情、愛情。色々と憶測は立てれるが、一つ確実なのは、彼女は僕にとって、既にかけがえのない存在になっているということだ。
季節は巡り、彼女と出会って二度目の春。彼女は泣き腫らした目をして、やってきた。
「秋口に言っていた縁談。お父様が勝手に受けてしまったの」
どうやら、見合いの予定を勝手に組まれたことが相当気に食わない様子。でも、さすがに何も言わないで行かないのは自己中なのではないだろうか。
「……えぇ。そうね。お父様に相談してみるわ」
でも、もう少し居させて、と彼女は再び視線を夕陽に戻した。まるで、もう二度とここには来れないと言っているようだった。
その日を境に、彼女はアカシアの元へ表れなくなった。
二日ほど経って、彼女のことしか考えていない自分に気付いた。
夕暮れを見ながら、憂いている彼女の表情が頭から離れない。けど、僕は平民で相手は貴族だ。釣り合わないどころか、密会同然で会っているのがわかったら下手すれば処刑されてしまう。
なんて、都合のよい言い訳だと思った。
自分も相手にも迷惑がかかると、自分に言い聞かせ……違う。自分だけ納得し、町で一番大きな屋敷に行くのを踏み止どめた。
それからの日々は空虚だった。
仕事はしているのかしていないのか、自分でもわからないくらいあっという間に時間は過ぎる。
一日は、夕焼けから始まり、夜の訪れで終わるようなものだった。
前までの僕は生きるために日々を生きていた。が、彼女の存在が大きすぎて、僕は変わってしまった。
僕はもう。彼女がいないと生きていけないのかもしれない。
なら、いっそのこと、賭けてみよう。
アカシアの幹に背中を預ける。今日から、僕はここを動かない。
縋れるのは、自らのそうであったらいいと思う願望のみ。
彼女が、もし、自分のことを好いていてくれるなら、ここに戻ってくると信じて、僕は待ち続けよう。
頭上には、黄色いアカシアの花。
一瞬だけ、彼女の髪とドレスがちらついた。
お前が、もしかしてエリスなのか?
なんてことを尋ねながら、僕はそうであったらここを動けないじゃないか、と自嘲する。
僕は待つ。
彼女に伝えるまでは、心の内に閉じ込めておく、秘密の恋。
山に半分ほど隠れた太陽は、今まで見たどの太陽よりも、綺麗だった。
目を瞑る。
彼女が来たら、さっきの夕陽のことを話して、僕の家に招待しよう。
それまでは、僕は夢を見よう。叶わなかった時の最後の頼み。
瞼の裏には、彼女の微笑み。僕は微笑み返して、暗い世界にいる彼女の隣りへと駆けていく――