葵 3
瑞葉は北野姫の館の外に出て、辺りをのんびりと散策していた。
健は瑞葉が協力して一緒に雷神を探すことになることを北野姫に報告に行って、まだ戻って来なかった。暇を持て余した瑞葉はずっと気になっていた外の様子を見に行くことにした。
館の正面から出るとまっすぐと細い道が伸びており、その道に沿って歩いて行くと、先には集落があり人々が生活しているようだった。皆、麻を織った素朴な着物を着ている。
ちらほらみえる建物の屋根は茅ぶきで、中には高床式のものや物見やぐらのようなものもある。手前には水田が広がり、ここが豊かな土地であることが伝わってきた。
瑞葉は集落から少し離れたところで立ち止まり、近くにあった手頃な石の上に腰かけた。
(本当に昔の日本なんだ)
広がる景色を見て、瑞葉はもう認めるほかなかった。
(昔の日本なんだなあ)
空の色や吹き抜けていく風、空気の匂い、木の緑が、なぜだか突然無性に愛おしく感じた。
集落の人々を眺めていた瑞葉は、ふと数人の男性たちに目を止めた。何かを持って北野姫の館の方向へと歩いて行く。
「何を運んでいるのかしら」
「あれは戦いの道具だよ」
ひとり言に思わぬ返事が返ってきて、瑞葉はぎょっとした。声のした方を見れば、もう見慣れた顔がそこにはあった。
「健って、どうしていつも突然現れるの?」
「こっちとしては突然現れているつもりはないんだけどなあ。瑞葉がぼんやりしているんだよ」
この話題は永遠に平行線をたどりそうだったため、瑞葉は話を変えた。
「あれは戦いの道具ですって?どうしてそんなもの運んでいるの」
「そりゃ、戦いがあるからさ」
何でもないことのように健は言った。
「戦いがあるの?」
「ああ、あるよ。今は不在とは言え、この村は雷神の加護する土地だからね。とても豊かなんだ。だから他の集落のやつらに狙われるのさ」
「そうなんだ」
瑞葉は驚いた。何だか現実味のない話だった。
「そこにある水田も大きいものね。この時代にこれだけ広い水田に水を引くだけでも大変でしょうに」
「そうだな。この水は近くを流れる川から引いてきているんだ。北野姫の話では、どうやら尊が一役買ったらしい」
健はにやりと笑みを浮かべた。
「昔、ここは貧しい村だった。ある日、雷神がやって来て川から水を引き立派な水田を作ったそうだ。それから雷神はこの村を守り、村人たちは雷神を祀るようになったんだとさ」
「ふうん」
「なんだ、愛想のない反応だな。この村の連中は雷神の話を聞くと何度目だろうが涙を流してありがたがるぞ」
健は期待はずれという顔をした。
「だって私はこの村の連中じゃないし、それに何だかおとぎ話でも聞いてるような気分なんだもの」
「はは。確かにそうだ」
健が笑ってそう言うと、瑞葉はほっとした。そして、気になったことを聞いてみた。
「ねえ、雷神はどうしてこの村からいなくなってしまったの?」
健は腕を組むと考えるようなしぐさをした。
「それが分からないんだよなあ。北野姫に聞いてもいつもはぐらかされるんだ」
瑞葉は、おや、と思った。
「健は雷神と兄弟だったときのことをどれくらい覚えているの?」
「ひとつも覚えている訳がないだろう。普通、前世のことなんか覚えていないよ」
呆れた顔で健は瑞葉を見た。瑞葉はびっくりした。
「そうなの?それじゃあどうして自分が雷神のお兄さんだって分かるの?」
「分からないよ。実を言うと、最初は全く信じてなかったんだ。でも何だか必死に頼まれると嫌とは言えなくてさ。それにちゃんと元の時代に還してくれるし、手伝うくらいいいかなって、そんなものだよ」
そんなものなのだろうか。瑞葉はぽかんとして聞いていた。自分だったら、こんなに風に考えられないだろうと思った。
「でも、つい最近分かったんだ。やっぱり俺は尊の兄貴なんだと思う」
瑞葉に向かって言うというより、ひとり言のような声で健はつぶやいた。
最近何があったんだろう、と瑞葉は思ったが、何となく聞くことができなかった。それは健が普段とは違う表情で雷神の森を眺めていたからだった。
未来から来たという同じ境遇の者同士、なんとなく瑞葉は健に仲間意識を感じていたが、決して踏み込めない一線にショックを受けた。そしてそんな自分に衝撃を受けた。
(健とは昨日会ったばかりなのよ。踏み込めない一線なんてあって当然じゃない)
瑞葉は胸の辺りにあるもやもやとしたものを気にしないことにした。
「そうだ。大事なことを忘れていた。さっき北野姫のところで雷神のことを占ってもらったら、西に行けと出たんだ。だから、俺は西の方角へ行ってみようと思う」
瑞葉の気が逸れている間に健は普段の調子に戻っていた。
「それで、瑞葉も一緒に来てくれないかと思って」
うかがうようにこちらを見る姿がなんだか幼く見えて瑞葉はふきだした。
「もちろんよ。さっき約束したでしょう、私も雷神を探すって」
健はほっと息をついた。
「よかった。じゃあ瑞葉も一緒に高千穂へ行こう」
瑞葉は眉をひそめた。
「……高千穂?」
「そう。西と聞いて一番に思いついたんだ。天の岩戸の伝説を聞いたことがない?高千穂の天の岩戸は天照大神が隠れていたとされる地だ。ひょっとしたら雷神も隠れてるかもしれないじゃないか」
さも良案だと言わんばかりの健に、瑞葉は冷静になろうと努めた。
「天の岩戸の神話は知ってる。高千穂って確か宮崎県だったわよね?」
「ああ」
「そしてここは、私が元いた場所と同じなら、京都府――近畿地方よね?」
「ああ、ここは京都市の北側にあたる」
「高千穂までどうやって行くの」
瑞葉は大まじめだった。健は呆れた声を出した。
「ばかを言うなよ。この時代に新幹線や飛行機があると思うか」
「ばかを言っているのは健の方よ。九州まで歩くと言うの?それにたぶんだけど、雷神は高千穂にはいないわ」
「なぜそう言えるんだ」
「なぜってなんとなくよ」
「なんとなくか」
「そうよ。悪い?」
言いながら、瑞葉は自分でもむちゃくちゃだと思った。歩くのが嫌だと駄々をこねる子どもと変わらない。
しかし、意外にも健は笑った。
「悪くないよ。瑞葉がそう思うならそうなんだろう」
瑞葉は目を丸くして健を見た。
「なんとなくってやつは案外ばかにできないんだぞ。なんとなくついでに、瑞葉はどこへ行ったらいいと思う?」
健がまじめに言っていると分かったので、瑞葉も真剣に考えた。
しばらく考えて、やがてある場所が頭に浮かんだ。
「この近くを流れているっていう川の上流へ行ってみたい」
「川の上流……北だな」
「だめかな」
「いや、構わないさ。実は俺も北の方はあまり知らない。行ってみる価値はあるだろう」
北野姫の占いとは異なるが、瑞葉はなんとなくそこへ行きたいのだった。




