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葵 1

 翌朝は昨夜の雨が嘘のような晴天だった。

 瑞葉は宛がわれた部屋から廊下へと出ると、眠りにつく前と変わらない景色を見てこれが夢ではないことを実感した。

 昨夜は、ここが昔の日本だということ、瑞葉がタイムスリップしたのはこの地の雷神によるものらしいことを聞くと、夜も更けてきたためその場は解散となった。

 そして瑞葉は最初に通された部屋に戻り、そこで一夜を明かすことになった。すぐに帰るつもりでいた瑞葉は困惑した。

(そういえば、どうやったら帰れるか聞くの忘れちゃった。でも健はここと現代を行き来しているんだもの、方法はあるはずよね)

 瑞葉は廊下の端に立ってぼんやりと外を眺めた。部屋は中庭に面していて、廊下にでると目の前には大きな池が見えた。池の向こうは茂みになっていて、さらにその向こうには北野姫と会った館と雷神の森がある。

 今日は北野姫と森へ行くことになっていた。瑞葉が見た赤い矢はずっと昔にいなくなったこの地の雷神の姿であり、雷神を祀る巫女の北野姫は自分も森へ入って確かめると言い出したのだった。

(北野姫は森に入ることができるのね。それは彼女が巫女だからとして、それじゃあ健はなぜ森に入ることができたんだろう)

 瑞葉は健と雷神の森の中で出会った。北野姫は森には普通の人間が入ることはできないと言っていた。瑞葉が森に入れたのは、雷神自身が瑞葉を呼んだかららしい。健も何か理由があるのだろうか。

「花と話でもしているの」

 近くから聞こえた声に振り返ると、健が隣に立っていた。瑞葉がさっきまで眺めていた先に咲いている白い花を見ている。

「おはよう、健。私は花と会話なんてできないわ。ただ、眺めていたの」

「そう?あんまり熱心に見ていたからさ」

(それでも、普通の人はそうは思わない)

 変わった思考回路を持つこの少年は、どこか風変りな空気を纏う少年だった。

 それでも、同じ時代から来たという点で瑞葉は昨日会ったばかりの彼に親しみを覚えていた。

「少し考えていたの。今日、北野姫と森へ行くの」

「うん、知っている」

 続きを待つようにこちらを見ている健の視線を感じながら、庭を眺めたまま瑞葉は言った。

「確か森は普通の人が入ってはいけないのだったわね」

「ああ、そうだ」

「私、あなたに会う前にもあの森で人に会ったわ」

 隣で健が息を飲む気配がした。瑞葉は続けた。

「あなたによく似た人よ。最初は同じ人だって思った。でも髪型が違ったの。よく見たらほかにもいろいろ違った。その人、私を待っていたんですって。女神の国へ帰ろうと言われたわ」

 瑞葉はゆっくりと健の方を見た。今日、初めて正面から健の顔を見た。健は考えの読めない顔で瑞葉を見つめて黙っていた。が、やがて口を開いた。

「それは(たける)だ」

「尊?」

「いや、わからない。それは確かに尊だったのか」

「わからないわよ。私は尊が誰だか知らないのに」

 健は気まずそうに眉を下げた。

「そうだった。すまない、それくらい驚いたってことだ。尊はつまり俺の弟なんだ」

 瑞葉は数度瞬きをした。

「弟?」

「ああ、俺に似ているやつならたぶん尊だ。そして俺が探している雷神でもある」

 瑞葉は驚いた。

「雷神は矢ではなかったの?」

「神に姿形なんてないさ。稀に人間の前に現れるときに、人間にも見ることができるような形を取ることがあるんだ。尊の場合、それが矢だったり人の姿だったりする」

 瑞葉は茫然としてつぶやいた。

「じゃあ、本当に彼が雷神なのね」

「とは言え、尊が人の姿で現れるなんて、あいつが姿を消すよりはるか昔のこと以来だ。ずっとあいつは矢の姿で森にいたんだ。まさか瑞葉が人の姿の方の尊とも会っていただなんて」

 信じられない、という風に健は首を振った。が、瑞葉にはそれよりも気になることがあった。

「ねえ、尊は健の弟ってどういうこと」

「いや、弟と呼ぶには少し語弊があるな。俺が尊の兄だったのはずいぶん昔のことなんだ。正確には、尊の兄の魂を持って生まれたのが俺だってこと」

 瑞葉は混乱して頭を押さえた。

「ええと、雷神のお兄さんということは健も神様なの?」

「俺は人間だよ。その昔、どこか遠い地からやって来た雷神とこの地に暮らしていた人間の娘の間にできたのが俺と尊ってわけだ。尊は神の血をひき、俺は人間の血をひいた。人間の俺には尊と違って寿命があるから、何度も生まれては死んでいるけど。そして今生きているのが俺だ。生まれ変わりと言っても俺は普通の人間だから当時の記憶なんてないし、全部尊から聞いた話だけどね」

 話ながら健は普段の調子に戻っていた。瑞葉は何とか理解しようと必死になっていたので、

「矢といい、尊といい、瑞葉には本当に驚かされるな」

 と健が言ったとき、驚いたのはこちらだ、とは思うだけで口にはしなかった。

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