神隠し 2
「雷?」
やっとの思いで返した瑞葉のつぶやきを聞いて少年は頷いた。
「そう。この地は厳れる神の領分だから」
声を出したことで少し落ち着いてきた瑞葉はうさんくさげに少年を眺めた。
少年はなんとも奇妙な格好をしていた。上下の白い服は瑞葉が見知っている和服とも言えず、上は着物のように着こなしているのだが、下にはズボンのようなものを履いている。顔の横で髷を結い、首からは勾玉を連ねた首飾りをして、腰には太刀のようなものを差していた。
(まるでそう、弥生時代の人みたいだわ。日本史の教科書に載っていた……)
「あなたは誰?いつからそこにいたの」
さっきまで誰もいなかったのに――。
不信感から問い詰めるような口調になってしまったが、少年は瑞葉の態度などまるで気にする様子もなく答えた。
「ここへはついさっき呼ばれたから来た」
瑞葉が眉を寄せたことに気づいているのかいないのか、少年は戸惑う瑞葉にはお構いなしにしゃべり続けた。
「誰に呼ばれたのだろうと思ったのだけど、なるほどそういうことか。私は君を待っていたけれど、まさか本当に君が来るだなんて思わなかった。だって、君と最後に会ってからずいぶん長い時間がたった気がする」
まるで瑞葉の知り合いかのように話す少年のことを、もちろん瑞葉はまったく知らなかった。少年は瑞葉に話しかけているはずなのに、瑞葉の反応を気にするそぶりを見せないことも瑞葉をいらだたせた。
ふと気づけばいったん止んでいた雨が再び降りだしていた。ぽつり、ぽつりと雨粒が顔にあたるのを感じながら、この人はなんて淡白に話す人だろう、と瑞葉は思った。表情や口調からは少年の感情を読み取ることはまるでできない。
危ない人かもしれない。けれど少年も今いる場所もどこか現実味に欠けていて、瑞葉はまるで夢でも見ているかのような錯覚を覚えた。顔にあたった雨が頬をつたっていく。
「でも君が来てくれてよかった。これで私たちは帰ることができる」
「帰るってどこへ帰るの」
濡れた前髪が目にかかってうっとおしい。瑞葉は目を細めて少年を見つめた。
「私たちが帰る場所といえばただひとつ。大地を支える女神の国だ」
雨はますます強くなってきていた。
自分は一体何をしているのだろう。こんなずぶ濡れになってまでおかしな少年に付き合わずにさっさと帰った方がいいのではないか。そうだ、喫茶店の旦那さんと奥さんも瑞葉のことを気にかけているに違いない。面接の時間はとうに過ぎている。
しかし、そう思うのとは裏腹に体はその場から動こうとしなかった。
「じゃあ、私たちって」
言ったあとですぐに後悔した。瑞葉の本能が告げていた。これは聞くべきではなかった。
「もちろん、私と君のこと」
瑞葉ははじかれたように背を向けると、もと来た道を走り出した。
心臓が痛いくらいに鳴っている。あれは何だったのだろう。何と言っていた?
(女神の国?帰るですって)
瑞葉は後ろを振り返らずに階段を駆け下りた。しばらく行くと水の流れる音が聞こえた。境内を流れていた川だ。
(こんなに近かったかな)
行きはずいぶん歩いた気がしたが、初めて歩く道のため長く感じたのだろうか。
少し行くと、段の終わりが見えた。そこはさっき入ってきた鳥居だった。
(こんなにきれいだったかしら)
よく見た訳ではなかったからいまいち自信はないが、鳥居全体に塗られた丹の色はもっと褪せていて、所々はげていた気がする。しかし目の前の鳥居は鮮やかな朱色をしていた。
(まるで最近できたような――まさか、まさかね)
見上げると、空は夜のように真っ暗になっていた。
雨はもう本降りになっていて、遠くの空ではごろごろと低い音がしていた。
部屋の空気が動いたのを感じ、北野姫は顔を上げた。この部屋の主である自分に断らず入って来る人物はひとりしかいなかった。
「こんばんは、健。良い夜ですね」
健と呼ばれた少年はおもしろくなさそうな声を出した。
「いい夜なものか。外はひどい雨だぞ。この館に来るまでにずいぶんぬれたんだ。おまけに雷まで鳴ってくるし」
「良い夜ではないですか」
北野姫は微笑んだ。
「ここは雷の神をお祀り申し上げる社です。雷は神のお姿のひとつですよ」
健はいっそう顔をゆがめた。
「だが、あれは他所の雷だ。この地の雷はもうずっと長い間鳴っていない」
北野姫は気使うように健を見ていたが、突然体をこわばらせた。
「北野姫?」
異変に気づいた健が戸惑いながら姫を呼んだ。
北野姫はまだ固さの残った声で告げた。
「森の空気が変わりました。誰かがこの地を訪れた」




