葵 6
瑞葉は八尋の館から出て外を歩いていた。
その後あの場は解散となり、夕食をごちそうになることとなったのだが、まだ時間が早いので準備ができるまで自由にしていいこととなった。
瑞葉は特にする事もなかったので、ぼんやりと村の様子を眺めていた。
女性とこどもがほとんどいないことを除けばごく普通の村だった。この村の男性の家族は、山を下りたところにある北野姫の村で暮らしている。それは、ここが戦場になることを想定されたものだからだった。しかし、食事の準備をしている村人たちののどかな様子からはそんなことは全く感じられなかった。
瑞葉はさっきの話を思い返した。ピリピリと緊迫した空気の中で、瑞葉はひとりついて行けずに困惑していた。戦なんて、まだいまいち現実味がなかった。
「こんなところにいたんだ。いないから探したよ」
もう慣れてしまったのんきな声がして、瑞葉は顔を上げた。
思えば健と出会ったのはつい二日前のことなのに、一緒にいるのが当たり前になっている自分に内心驚いた。
「深尋さんにはちゃんと言ってから出てきたわよ」
「そうなの?それは知らなかった」
瑞葉がそう言うと、健は肩をすくめた。
「ここは俺たちがいた時代ほど安全とは言えないからね。いなくなると心配するよ」
「それはさっきの話のせい?戦になるって」
瑞葉は尋ねた。現実味はないが、無視もできない話題だった。
健は苦笑した。
「うん、そう。戦になっても瑞葉が戦うことはないから安心していいよ。でも戦場で巻き込まれることはあるかもしれない。今ももしかしたら奴らがこの近くまで来ているかもしれないしね。だからあまりひとりにならないで」
初めて見る厳しい表情の健を思わず見つめて、瑞葉は自分が考えなしだったと気付いた。
「そうだね、ごめんなさい」
瑞葉が頭を下げると、健は困ったような微妙な顔をした。
「いや、瑞葉をこの時代に連れてきて巻き込んだのはこっちだから。こちらこそ怖い思いをさせてごめん」
「ううん」
瑞葉は胸の辺りがもやもやとした。
確かに瑞葉は巻き込まれたのかもしれないが、一緒に雷神を探すと決めた今は、そうは言って欲しくなかった。が、それを健に言うこともためらわれた。瑞葉がこの世界で頼れるのは、健と北野姫だけだ。そのふたりが瑞葉のことを仲間とは思っていないのかもしれない、という考えは、瑞葉を臆病にさせた。
「この旅では、君の世界とは違って危険な事もあるかもしれない。でも瑞葉が危険なときは、俺が必ず守るから。だからお願いだ、どうか辞めるとは言わないで欲しい」
縋るような目でこちらを見つめてくる健に、瑞葉は戸惑いを覚えた。
「……言わないよ」
瑞葉がそう言うと、健は見るからにほっとした様子を見せた。
(なぜ、そんなに私の協力を必要とするの?私が雷神を見つける確証なんてひとつもないのに)
瑞葉にはこれっぽっちも自信などなかった。森で雷神に出会えたのもなぜだか分からないし、そもそも瑞葉は本当にあれが雷神だったのかもかも怪しく思うのだ。
しかし健は違った。何故か健は瑞葉が雷神を探し出すと確信しているようだった。
(もしも雷神を見つけられなかったらどうなるんだろう。健も北野姫もすごく期待をしているのに。ううん、普通に考えて私が雷神を見つけると考えることの方が無理があるわ)
一度浮かんだ不安は、消えることなく染みのように体の中を広がっていった。
「そろそろ戻ろうか。いつの間にかこんな所まで来てしまったし」
いつもの調子に戻った健の言葉に、瑞葉は辺りを見回した。
気が付けば回りは木ばかりになっていた。知らない間に村の外れまで歩いていたようだった。
「本当だ。全然気が付かなかった」
「ははっ。考え事をすると周りのことは見えなくなるんだもんな。どうせまたつまんないことで悩んでるんじゃない?」
笑う健に、誰のせいだと言いたかったが、それを言うと健の言うことが正しいと認めたのと同じなので、瑞葉は不機嫌そうに顔をしかめてそっぽを向くのに留めた。
「何でも言ってよ。瑞葉に無理を言っているのは自覚しているんだ。だからその代わり困ったこととか嫌だと思うことがあったら何でも言って欲しい。俺は、知らない所で瑞葉が苦しむのは嫌なんだよ」
瑞葉は不機嫌な振りも忘れて思わず健を見た。健は予想に反して苦しげな表情をしていた。
「瑞葉が辛いときは俺が代わって引き受けるし、危険な目にあっていたら命に代えても守る。きっと、俺がこの世界にいる意味はそのためなんだ」
思わずまじまじと見つめると、健は居心地が悪そうに目を逸らした。
「おかしいかな。でも俺は本当にそう思っているんだ」
瑞葉は急激に血が顔に集まるのを感じた。何か言おうと口を開いたが、結局それが言葉となることはなかった。
先に気付いたのは健だった。
はっと健が見た方向に、つられて瑞葉も視線を向けた。
瑞葉たちがいる場所から少し離れた所に一人の男がいた。男は瑞葉たちが気付いたことを知ると、逃げるように逆の方向へと走り去った。
「言ってるそばからだな。長彦の手の者だ」
そう言うと、健は男の後を追って走り出そうとした。
「ちょっと、健!」
驚いて瑞葉が叫ぶと、健はこちらを振り返った。そして瑞葉を落ち着かせるために肩に手を置いた。
「長彦がすぐ近くまで来ているのかもしれない。瑞葉はこのことを急いで八尋殿に知らせてくれないか」
健は優しく、しかし嫌だと言わせない口調で瑞葉に言った。
「健はどうするの?」
「俺は、さっきの奴の後を追う」
何でもないことのように健は告げた。
「そんな、危険だわ」
「大丈夫、少し様子を見てくるだけさ。奴らを確認したらすぐ戻るよ」
そう言うと、健は瑞葉の返事も聞かずに走って行ってしまった。
ひとり残された瑞葉は健の後ろ姿を眺めていたが、はっと我に返ると慌てて村の方へと走り出した。
深尋は八尋の屋敷の前で瑞葉と健を探していた。
瑞葉は、少し近くを散歩してくると言っていたのでそれほど遠くへは行っていないはずだった。
どこにいるのだろうかと辺りを見渡していると、こちらへ走って来る瑞葉の姿が見えた。
「瑞葉さん、夕餉の準備が整ったのですが健殿はどうしました?何かあったのですか」
普通ではない瑞葉の様子に、深尋は首を傾げた。
「向こうに長彦の手の者がいたんです。長彦がいるかもしれないからと、健は後を追って行きました」
瑞葉が伝えると深尋の表情がさっと変わった。
「わかりました。長に伝えます。瑞葉さんは屋敷にいてください。決して外へは出ないよう」
すぐに村の男たちが屋敷の前に集まった。皆、手には木を削った槍や石を磨いた斧といった武器を持っていた。
瑞葉は屋敷の中からこっそり外の様子を見ていた。さっきまでの平和な雰囲気は欠片もなかった。
重々しい空気にぶるり、と体を震わせると、瑞葉は健と別れた方向に視線を向けた。
健はまだ戻ってきていなかった。
瑞葉は不安でいてもたってもいられなかった。早く健の無事を確かめて安心したかった。
「私、少し様子を見てきます」
「あ、瑞葉さんはここにいた方が――」
近くにいた深尋にそう告げると、制止の声も聞かずに屋敷を飛び出した。
瑞葉は脇目も振らずに走っていた。早く健に会いたかった。
もうすぐ村のはずれだという所まで来たとき、不意に誰かの声が聞こえた気がして立ち止まった。
瑞葉は声のする方へゆっくりと近づいて行った。声はだんだん大きくなり、やがて誰かが争っているのだと分かった。
家の陰からそっと様子を除くと、そこには若い男と少女がいた。男は少女を連れ去ろうとしているようだった。嫌がる少女の口を無理やり抑えると、
「騒ぐんじゃねえ。村の連中に気づかれるだろうが」
と凄んだ。
(長彦の手下だわ)
瑞葉ははっと息を飲んだ。
どうしよう、と辺りを見回すと、そばに両手で持てる位の石があるのが目に入った。
瑞葉はそっと石を掴むと、男の後ろから近づいていった。
男は暴れる少女を抑えつけるのに気をとられているようで、瑞葉には全く気付かない。
瑞葉は男の背後に立つと、男の頭目掛けて思いきり石を振り下ろした。
ガツッと鈍い音がして、男は地面に倒れ込んだ。瑞葉は男の顔を恐る恐る覗き込んだ。
ピクリとも動かないが、息をしているのでどうやら気を失っているだけのようだ。
瑞葉はほっと息をついた。とっさに殴ってしまったが、殺人犯になるのはごめんだった。
瑞葉は次に少女の方を見た。
少女は地面に座り込んでいたが、突然現れた瑞葉を驚いた表情で見上げていた。
「君はだあれ」
「私は瑞葉よ。旅の途中でこの村へ寄ったの。あなたは大丈夫?けがはない?」
「君が助けてくれたから平気だよ。そっか、健と一緒に来た女の人は君なんだね」
少女は瑞葉を知っているようだった。健の知り合いだと分かると安心したのか警戒を緩めた。
「ひとりでいるなんて危ないじゃない。八尋さんたちのいる所へ戻りましょう」
そう言うと瑞葉は座ったままの少女に手を差し出した。しかし少女は瑞葉の手を取らず、首を横に振った。
「いいえ。そっちへは行かない」
何故と瑞葉が問いかけるより早く、少女は瑞葉の手を掴むと自分の方へと引き寄せ、石を鋭く尖らせた小刀を首筋に突き付けた。
「健と共に旅するお嬢さん、君を探していたよ」
少女はにっこりと笑って言った。
「北野姫の館から健が連れて来た女性。長彦は君に興味があるみたいなんだ。だから、一緒に長彦の元へ行ってもらう」
瑞葉は頭から血が引いてゆくのがわかるようだった。
「あなたは長彦側の人間だったの?」
少女は肩をすくめた。
「今の状況を考えると、そういうことになるのかな」
「瑞葉!」
あっけらかんと少女が言ったその時、瑞葉が心の底から聞きたかった声が聞こえた。
「健!」
瑞葉は声のした方に向かって叫んだ。
「あらら、もう来ちゃったんだね」
振り返ると、息を切らした健と深尋が立っていた。瑞葉の首に小刀が当てられているのを見て健は顔を険しくさせた。
「明里、瑞葉を離せ」
低い声で健が睨んでも、明里と呼ばれた少女は全く気にした様子はなかった。
「それはできない。長彦に連れてくるよう言われてるんでね」
「長彦の元へ帰れると思っているのか」
「思っているさ」
明里は先ほどから倒れたままの男を足で――両手は瑞葉を捕まえていてふさがっていた――揺さぶった。
「武爾、起きろ」
ほとんど蹴っていると言ってもいいほど激しく揺らされて男はやっと目を覚ました。
「頭が痛えな」
「武爾、君の出番だよ」
呻きながら訴える武爾をさらりと無視をして明里は告げた。
武爾の頭が痛いことに関しては、瑞葉は大いに責任を感じていた。が、誰もそのことに触れなかったので内心ほっとしていた。
「このお嬢さんを長彦の元へと連れて行く。君は彼らが追ってくるのをせいぜい邪魔してやってくれないか」
明里はそう言うと、まるで荷物のようにヒョイと瑞葉を肩に担いだ。
油断していた瑞葉は抵抗らしい抵抗もできなかった。
「瑞葉!」
健は瑞葉を助けようとした。が、武爾がそれを阻んだ。
「おっと、俺のことを忘れてもらっては困るな」
健が動けないのを見ると、明里は近くにつないでいた馬に瑞葉を乗せた。そして自分も瑞葉の後ろへと飛び乗ると、
「それではこれで失礼するよ。武爾、適当なところで引きあげておいで」
と言って馬の腹を蹴った。馬は短く嘶くと、村の外に向かって駆け出した。
「瑞葉!」
健は必至に手を伸ばした。
瑞葉もこちらに手を伸ばしたが、届くことなく距離はどんどん離れていく。
遠ざかってゆく瑞葉を、健は信じられない思いで見ていた。




