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葵 5

「この先に村があるんだ。北野姫の村とも付き合いがある村で、今日はそこに泊めてもらおう」

 口に出しはしないが密かに今夜の寝床を心配していた瑞葉は、思わずほっと息をついた。正直、野宿を覚悟していた。

「まだ明るいけれど、もう進まないの?」

「張り切っているのは良いことだけど、初日からそんなに飛ばすと後が大変だよ」

 健は笑って後ろを歩く瑞葉を振り返った。

「それに、この村を越えるとしばらく村なんてないから、これ以上進むと今夜は野宿になる」

 きっと健ひとりならそれでも構わなかったのだろう。健は旅に慣れている。おそらく野宿はこれまで何度となく経験済みだろう。しかし、今回の旅には瑞葉がいるため、今日はここまでにしたようだった。

「ありがとう」

 瑞葉がお礼を言うと、健は意外そうな顔をした。

「瑞葉って、ありがとうとか言うんだ」

「言うわよ。失礼ね」

 瑞葉がにらむと、健は考えるように空を見上げた。

「ごめん、そんなつもりはなかったんだけど。ただなんとなく、瑞葉はありがとうとかごめんとか、言わなさそうだなぁって。誰かと勘違いしてるのかな。瑞葉って、誰かと似てるんだよな」

 誰だっけ、と真剣に考え出した健が本当に悪気なく言っているようなので、瑞葉は怒る気が削がれてしまった。

「それよりも」

 思考の海から戻ってきた健が仕切り直すように言った。

「言っておかないといけないことがあったんだった。村に着いたら、俺たちが雷神を探す旅をしてるってことを言わないでほしいんだ」

「なぜ?」

「この世界には戦があることは言っただろう。この時代、雷神の加護があるということは、とても魅力的なことなんだ。それこそ武力で奪おうと考える奴が現れるほど。でも同時に、雷神の加護があることで周りの奴らはそう簡単に村に手を出せない。牽制になるんだ。だから雷神がいなくなったことは知られてはいけない。村でも知っているのはほんの一部の人間だけだよ」

 瑞葉は村を出る前に見たことを思い出した。のどかな村で戦の準備をする人たちに違和感を覚えたが、その平穏は簡単に崩れるものなのだ。

「これから行く村はうちの村と友好的だ。それでもこれは絶対に漏らしてはいけない」

 真剣な口調の健に、瑞葉も表情を引き締めた。健が心の底から村のことを思っているのが伝わってきた。

「うん。わかった」

 瑞葉もまた、彼らが傷つけられるのは見たくなかった。




 健の言った村は歩いてすぐの所にあった。

 山の中にあるため、大きさはそれ程大きくなく、住んでいる人の数も北野姫の村と比べて大分少なそうに見える。

 健は村の人たちと面識があるようで、瑞葉のことも笑顔で迎え入れてくれた。

「健殿ではないですか。今日は一体どうしたのですか」

 集まって来た村人の中から、ひとりの青年が進み出た。

「こんにちは、深尋(みひろ)殿。実は、北野姫のお使いの途中なんですよ。目的地に着くまでに夜になってしまいそうなので、この村で一晩泊めてもらえませんか?」

「そうでしたか。では我が家へどうぞ。父も健さんに会いたがっています」

 そう言うと、深尋と呼ばれた青年は瑞葉の方を見てにこりと笑った。

「そちらのお嬢さんは初めてですね。私は深尋と言います。この村の長の息子です」

 ふたりのやり取りを眺めていた瑞葉は、突然話しかけられて慌てて背筋を伸ばした。

「初めまして、瑞葉です」

「瑞葉さん、どうぞよろしくお願いしますね。では我が家へと案内するので付いて来てください」

 そう言って歩き出した深尋の後を追いかけるように、瑞葉と健も歩いて行った。




 村長だという深尋の父親は、深尋とは違ってあまり笑顔を見せない人物のようだった。

「しばらく振りですな、健殿」

「はい、八尋(やひろ)殿もお変わりないようで何よりです」

 館へ着いた瑞葉たちは、村長(むらおさ)である八尋の部屋へと通された。そこにいたのは、厳格そうな老年の男性だった。顔見知りらしい健を見ても、表情を崩すこともない。しかし健は気にした様子もなくにこにこと挨拶をしていた。

「北野姫のお使いですか。これより北には何もなかったはずですが」

 深尋にしたのと同様の説明をすると、八尋はそう言って考えるように一旦言葉を区切った。

「成る程、雷神には我々人間の及ばぬ深遠なお考えがあるのでしょうな」

 含みのある八尋の言い方に、瑞葉は引っかかるものを感じた。隣に座る健の様子をちらりと伺うと、健は何も言わず笑顔で八尋の探るような視線を受け止めていた。

「北と言えば、近頃彼らが何やら動いておりますよ」

 沈黙を破ったのは八尋の言葉だった。その内容に健は眉をひそめた。

「長彦ですか」

 八尋は頷いた。

「定期的に遣っている偵察の者が言うには、何でも周辺の村から武器を集めているとか。山の奥へ入った村の者も、何人か長彦の手の者を見かけております。こちらの様子も探られておるようですな」

 そう言って八尋はため息を付いた。息子の深尋も険しい顔をしている。

「八尋殿はこの先をどうお考えですか」

「戦になるでしょうな、それも近いうちに」

「やはり戦ですか」

「はい。遅かれ早かれ彼らとの間に戦が起こるのは避けられませぬ。それが今だというだけのことです」

 長彦は、山の向こう側に住む部族の若き指導者だった。雷神に守護される豊かな北野姫の村を狙っている。この村は、長彦の動きを見張り、攻め入って来たときには応戦して村まで入らせないようにする役割を担っていた。そのため村人は男が多く、女こどもはほとんどいなかった。

「さて、血なまぐさい話はこれくらいにしましょう。瑞葉さんという女性もいらっしゃることですし」

 重苦しい空気を払拭するかのような明るい声が部屋に響いた。深尋の言葉に、八尋は瑞葉の方を向いた。

「瑞葉さんとおっしゃったか。山奥の何もない村ですが、ゆっくりしていって下さい」

「いいえ、何もないだなんて」

「長の言う通りですよ。この村は雷神の加護がある訳ではなく、耕す土地もなければ、田に引く水もない。幸いにも北野姫と交流を持てているため、色々と恩恵を受けていますが」

 深尋がかすかに自嘲気味に言うと、瑞葉は首を傾げた。

「でも、この村の近くには泉があるじゃないですか」

 瑞葉がそう言うと、八尋は片方の眉を上げて、おや、という顔をした。

「泉を見ましたか。さすがは健殿が連れてくる客人だ。あの泉は気まぐれでしてな、一所に留まらぬのですよ」

「泉が、気まぐれ?」

 瑞葉はきょとんとした顔をした。

「そうです。正しくは泉におわす神がですが。本来、神とは気まぐれなものです。神にとって我々人間など、顧みる事もないほど取るに足らない存在だ。あなた方の雷神のように特定の地に留まる神はごく稀なのですよ」

 疑問が顔に現れていた瑞葉に、八尋は丁寧に説明した。

「泉が神様ということですか」

「はい。泉だけではない。この世のあらゆるものに神は宿っています。特に木や岩や水といったものは依代となることが多いですな。その泉も依代のひとつなのですが、何しろ気まぐれで、泉を見られることはそう簡単ではありませぬ」

 瑞葉は驚いて目をまるくした。

「そうなんですか」

「はい。この前泉が現れたのは、確か私がこどもの頃でしたかな」

 八尋は当時を思い出すように顎に手を当てた。

「泉を見る者は幼いこどもが多いのです」

 それまで黙っていた健が吹き出し、瑞葉は真っ赤な顔で笑う健を睨んだ。

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