暗喩と直喩と揶揄の狂騒曲
小学生のときに先生が言った言葉を覚えている。
「暗喩を使うと相手に伝わりづらいので直喩をつかいましょう」
記憶が定かではないが、確か国語の時間だと思う。
「君は太陽のように明るい」という言い方が直喩。
「君は僕の太陽だ」という言い方が暗喩。
〇〇のようにと、たとえであることを明確にしないと相手に意味が伝わりづらい。というか、間違った言い方になってしまうのです、というのが先生の言い分だった。
具体的に言えば、「君は太陽のように明るい」という文章の中で「太陽のように」というのが例え話ということが明確になる。たとえているのだから、君は太陽そのものではない。そう、昼間にぎらぎらと輝いている太陽ではない。太陽の表面温度は約6000度である。太陽は地球から遠く離れており約1億4960万kmも離れている。端的に言えば 1AU である。太陽の表面には黒点があり、そこですら4000度もあるのだが、まわりの温度が高いために黒く見える現象となっている。だから、君が太陽そのものだったら、君は僕から遠く離れた存在であるし、君に近づくことなんて到底できやしない。表面には黒いつぶつぶがあるように見えるが、それはシミやほくろというわけではない。だから「君は太陽のように明るい」と言ったとしても、君は太陽そのものではないのだから、その黒いほくろを気にする必要はないのだ、という意味ではないのだ、きっと、たぶん。
一方で、「君は僕の太陽だ」という暗喩を使ったとしよう。聞いた君は、びっくりする。まさか、あなたは、地球なのでは? 最近、二酸化炭素を吐き出しているのは牛だということを知った人間が住んでいる地球は、まさしく温暖化が進んでいる惑星である。だから私は太陽。地球の前後にある金星のように焼き尽くし、火星のように冷えて固まってしまうところは微妙な位置にあり、実にハビタブルゾーンに位置している奇跡的な地球の位置を、ないがしろにしている人間の住む惑星。そんな人間でありヒトであり霊長類を自称するなんておろかな地球のいち生物がいる惑星が(80億匹ほどいるらしいが、蟻や蜂に比べたら全然少ない)、自分たちの住処を破壊しているなんて、なんて愚かな地球、なのだろうかあなたは。と太陽は思ってしまうかもしれない。
でも、びっくりしないでくれたまえ、これは単なるたとえ話であって、決して事実そのものを示しているわけではない。「君は僕の太陽だ」と言ったとしても、君は太陽そのものでもないし、僕は地球そのものではない。仮に地球だとしても、時代によっては天動説があったり、地動説があったりして、どちらが中心かわからない。つまりは、家庭に入っている人が太陽であり、外で働いている人が地球という意味かもしれない。それとも、家庭に入っている人が地球であり、外で働いている人が太陽かもしれないじゃないか。家庭に入れば家事をして「家事」を仕事としたら、まるで無職のような風潮を色濃く国勢調査で示しているかのように思う人は、少なくとも1人だけいるようであるが、ええと、1人以上はいるんだけども、明確にいえば上野千鶴子なんだけど、それ、ジェンダー論的に偏っていますよ。家事をする人が女性とは限らず男性かもしれない。いや、そもそも「家事」に「女性」をワンセットで考えてしまうところにジェンダーギャップがあるのではないか、というようなことを考えてしまう直喩の筆者であるのだが、地動説と天動説のどちらかの時代であるか明確にならなければ、どちらが家庭なのか外なのかというのがわからない。もちろん、ここでは性別を記述していないので、男女が逆かもしれない。組み合わせだって、男男もあれば女女もある。そこには時代性があって、背景となる時代をきちんと把握しておけなければ、性別すらあやうくなり理解が怪しくなってしまうリスクがあるのだ。
と、小学校の先生が言ったかどうかわからないが、少なくとも、安易に暗喩をつかうと誤解を招きやすいということを言いたかったらしい。
いや、先生、僕の文章が分からなかっただけじゃないんですか?
なぞと、したり顔でいう生徒、だったかどうかはわからない。いや、筆者じゃないよ、きっと、たぶん。
暗喩と「メタファー」という言葉で言い換えるようになったのはいつの頃だろうか。たぶん、英語圏の影響が強くなったからだろう。メタファー(metaphor)はギリシャ語の μεταφορά (metaphorá) に由来し、「運ぶこと」や「移すこと」を意味する。meta- は「超えて」や「変化」を意味し、-phor は「運ぶ」を意味する。つまり、メタファーは「あるものから別のものへ意味を運ぶ」ことを指す。暗喩は、ある概念や対象を直接的に別の概念や対象に置き換えることで、その特性や関係性を強調する表現技法である。たとえば、「時間は金なり」という表現は、時間の価値を金銭に例えている。この場合、時間と金銭は異なる概念であるが、両者の価値や重要性を強調するために暗喩が用いられている。まさしく、タイム is マネー、である。雑誌 Times は金で買え。万引きするな、という意味だろう。
当てこすりという意味での揶揄は、皮肉の表現となるので、相手に直接伝わってしまうとまずい。例えば「君は月のようだ」と言ってしまうとまずい。月は実際にはでこぼこがあって、クレーターがある、月のクレーターもあばたもえくぼと言われるように、可愛いの可愛くないのと君の眼鏡は近眼用か? と問われるぐらい、お前、やつのどこがいいんだよ? と突っ込まれることもあるだろうが、いや、そんなことどうでもいいだろう。とか言い返してしまうんだ。小学生の頃は、男子は男子で固まっていたし、女子は女子で固まっていた。女子の中で陰険ないじめがあるとは当時は思いもしなかったし、あったことはない。だから、両想いとか片思いとか、ちょっとした恋心あそびごっこという形で、男子同士でも揶揄があるわけだ。いや、それって揶揄というのかわからないので、ちょっとした直喩という形だな。でも、その頃は、男子が女子に興味があるなんて男子の中で「カス」扱いされることが多いので、それを表面に出すことはできない。それができるのは、頭のいい、背の高い、いまでいえばイケメンぐらいなものだ。イケメンの小学生なんて、どんな感じの大人になるのだろう、と想像することもあるのだが、いや、そこで考えているのは小学生なのだから大人なるのは随分未来のはなしだ。皆大きくなれよ、と筆者は言ってみたいところなのだけど、それって暗喩ですか? ってとらえてしまうと、いや、そんなことないですよ /// と言ってしまったら、それ、何!? ということになってしまうじゃあないですか。いや、それは別に直喩の話をしているわけでもなく、別に暗喩を使っているわけでもないし、フロイト精神分析を持ち出そうとしているわけではないんですよ。とフェミニストに言い訳をしたくなりつつも、それに反論して、けっ、毎日そんなことを考えているのかよ、キモいな、と思っているような筆者を想像してしまうのですが、いえ、そんなことはありません。
話をもとに戻せば(いや、別にそんな話をしていたわけではないのですが、ふー)、安易にエロ話に帰着するような話はあまり面白くはない。マジで。揶揄は、相手には直接は伝わらないけども、周りには伝わるような暗号みたいなものだ。符丁みたいなものですね。つまりは、「あいつは山」だな、「そうだな、川だよ」という符丁を使って相手を揶揄することもできる。ふへへへへ、と笑ってしまったらおおしまいだから、まるで忍者の符丁のように真剣な顔をして言うのがコツだ。まじめな顔をして、夜道のすれ違いがてら
「あいつは山だな」
「そうだな、次は川で」
と言えば、実にそれらしいものだ。グループの中での符丁なのだから、ひとりの相手に伝わることはない。それこそ揶揄の真骨頂というところだろう。
しかし、立場を変えて、相手の立場になって考えてみたまえ。いや、立場が変わったとしてみたまえ。もっと正確に言うと立場が変わったのだ。
暗喩、直喩、揶揄がすべて届かない。声が届かない。
ひょっとしたら、相手は何か悪意を伝えようとしているのかもしれないし、善意を伝えようとしているのかもしれない。どちらかよくわからない。まるで、英語がわからない日本人が、英語圏の学生に囲まれているようなものだ。そこで、日本人は、にっこりと笑う。いわゆる、日本人スマイルを駆使する。
あいまいな笑顔が、相手には通じない。敵意がないことを示しているのに、敵のように見られる。さらに罵詈雑言が続く。けれども、私には言葉が通じない。よくわからない英語が私を刺しているらしいが、その痛みは私には届かない。
暗喩、直喩、揶揄が届くのは、言葉が届くときに限る。耳に届かない知らない言葉で言われた揶揄は、私にはまるで、宇宙人の言葉のように思えてくる。
それはどちらの意味なのか、そもそも無視なのか、排斥なのか、排除なのか、指摘なのか、それすらもわからない。ただ、私ができることは日本人的なスマイルを続けることだけだ。
コミュニケーション不全であればこそ、言葉は通じないが、それは現象であって結果に過ぎない。時間軸を無視した結論だけ述べて、冷笑しても意味がないだろう。
不全であり、すれ違いを前提に自分のことを伝える。
「月がきれいですね」
彼女が去っていくかどうかは、私にはわからない。
物語がハッピーエンドであるのが、私には伝わる。
【完】
「聲の形」の原作を読み終えたので、感想替わりにまとめてみました。




