転校生<ファム・ファタール>
誰がこうなろうと予想できた──?
平田は教壇に立ち、感慨に耽る。
忌まわしき記憶を反芻し、問い質す……最悪に陥った時、どの時点から道を誤ったと考える?
そこに至る経緯、あるいはきっかけの段階、もしくは寸前? はたまたこうなる運命だったか。
“ようこそ黄泉市立双山小学校へ!”
平成中期に撮られたと思しき卒業生の褪せた看板が学校手前で出迎える。
もし、あの日この市へ来なければ……。
生徒の声でハッとする。
「先生はどうしてサングラスを掛けているんですか?」
*
そして、彼女がやってきた。
「じゃあ、もう皆知ってるとは思うけど、今日から新しい仲間が──」
風向きが変わる。
一ノ瀬瑠衣。
東京からの転校生。父親の都合だという。
誰の目にも明らかに綺麗な子で、圧倒された。
ぱっちりとした目。通った鼻筋。ぷるつやリップ。
整えた髪型。小洒落た私服。ちょっと見方を変えればいけ好かないガキと言えた。
一同、興味津々。キラキラした都会の匂い、大人っぽい子。
皆の顔が輝く──“何この子、面白い!”
特に表情、仕草、返す応えがとにかく鮮やかで、一瞬にして空気をかっ攫った。
──あんなの。
予感は悪しくも的中、芽衣の内心は嫉妬の渦が塒を巻いていた。
それに引き換え、こういう時の果奏は上手かった。早くも親しげにし、例のあざとさを有利に働かせ、人垂らしのテクに機転を利かせた。
そのお陰もあって、クラスは既に受け入れモード。
なんだかんだで芽衣に目配せしつつも、聖来も話したそう。
津田の横を指定され、不登校児である彼とも気兼ねなく喋った。
瑠衣は本当に誰とでもよく話し、人の心を掴むコミュニケーション能力に長けていた。
*
給食後の休み時間。教室の片隅で、オタクグループの仲川らはこう分析する。
「うーん僕としては彼女は、新しい時代の象徴に思えるよ」
仲川太一。
男子の、冴えない面々に重きを置きながら、そのフランクさで上位軍とも引け目をとらず話せる存在。
天パなのでモジャと呼ばれていた。
「そうか? 単に新しく来たってだけだろ」
鎮西亮太。
仲川の親友で、アニメ仲間。呼び名はチンタ。
「いやいや、彼女の特異な点としてそのコミュ力にあるよ」
「まあ確かに受け答えはバッチリだけど」
「あれは、なんていうか、次元が違うよね。都会だ」
「はあ? ただ見た目が良いだけだろ? つか派手だろ、今に反感買うぞ」
「もう買ってると思うぞ、現に楠見の奴らまともに口利いてない」
そう笑って肩をすくめるのは、真中仁。
やけに声が太いので、名前をもじってフトシと呼ばれていた。
「そうは言っても三ツ矢さんとは絡んでるし、何より松木くんが受け入れてるだろう」
「ああ、な」
その名前が出て、鎮西は納得せざるを得ない。
「ってことは余計楠見の目の敵ってことじゃないのか?」
「分かってないなあ真中フトシくんは。このクラスで一番安全に生きてくには、女子の連中に気を遣うことじゃなくて、女子の人気者の松木翔くんと仲良く出来るかなんだ」
「それは、男子でも女子でもか?」
「そうだな……例えば僕たちが何かミスをしても、松木くんが許せば女子だって許すけど、松木くんが許さなかったら女子は当然、男子はなおさらやってやろうって気になる。女子の場合は確かに調子に乗るなと怒るだろう。でもあの松木くんラブな楠見さんが逆らうと思う? 嫌われるかもしれないのに。それに一ノ瀬さんの場合は」
「場合は?」
「何かが違うだろう」
「何かって何だよ?」
漠然とした答えに肩を落として笑う一同。
「まあ、お前はもうあの子が好きだってことだな」
仲川を揶揄う鎮西。
「だって見てご覧、今日もあんな対立して」
教室の前の入口で、芽衣と果奏がいつもの嫌味合戦を交わしていた。
「きゃ~! 今日の果奏ちゃんのワンピも可愛すぎる! フリフリが付いててお人形さんみたいっ」
──何そのダッせえ服、ピアノの発表会?
果奏も応じる。
「嬉しい! 芽衣ちゃんに言われるのが一番アガるかも。そーゆーカジュアルなスタイル? に憧れてるから……私こーゆーのしか着れないし」
──あんたじゃ似合わないよね、かわいそう! 出来るなら私みたいに可愛く振舞ってみれば??
「うちもそーゆーの着れないから羨んじゃうっ!」
──ムリムリ、出来ねーよバカらしくって。
*
「で、どんな様子だ?」
「いやまだ来てすぐだから分かんねえよ……です」
「フッ、別にタメ口で構わない」
初めて顔を合わせた担任初日、始業式を終え、待ち侘びた生徒の前でどう挨拶したものか探っていると、ある生徒がおどけてこう発した。
「先生はどうしてサングラスを掛けているんですか?」
なんだ? このふざけたガキは。
「えーと……君は、藤島功くん、かな?」
「はーい、そーでーす。それで、どうして先生はサングラスを掛けてるんですか? 先生がそーゆーオシャレしてきてイイなら、俺だって髪染めてきたいんですけど、イイですよね!」
周りの生徒が乗っかり、クスクスと笑い出す。
ああ、こいつはクラスのお調子者なんだな、小賢しい。
「えーと、先生がサングラスを掛けてるのは、オシャレじゃなくて身だしなみだからね」
「だったらピアスもオッケーってことですかあ?」
ガキが。非常に細かいことだが、“どうして”なんて言葉遣いもこまっしゃくれてて癇に障る。
──いや待てよ、こいつは使えるんじゃないか?
「えー、藤島くんは後でお話があるので、職員室に来るように」
生徒たちは“怒られた~”と無邪気にはしゃいでいたが、平田は別の考えを巡らせていた。
始業式の日は半日で、色々と都合がよかった。
「なんすか先生」
「ちょっと付き合ってくれるか」
「え……」
「あ、忙しいか?」
「いや、そういうわけじゃないすけど」
「悪いな。すぐに終わるから」
「はあ」
そう言って自分の車まで誘い込み、計画通り平田は藤島を襲った。
「おい! やめろって! ……教師がこんなことしていいのかよ?!」
藤島を後部座席に拘束し、片方の足の小指にペンチを押し当てた。
「頼む、言うことを聞いてくれ。暴力を振るいたくない」
「もう振るってるだろ?!」
「藤島は気になってる子とかいるか?」
「い、いねえよ……」
平田はため息をつき、覚悟を決めた。
「俺が今から5を数えるから、その間で答えてくれ」
ペンチを持つ手を握り直し、力を込める。
「嫌だ嫌だ止めてくれ頼む! ちょっとからかっただけで……悪かったよ先生」
「4」
「待って! 5数えるんじゃないのか?」
「そう言ったはずだが」
「5から数えるだろ普通!」
「ん? ……ああ、俺は0を言いきるタイプだから。3」
「待て待て待て!」
「つかもう5秒経っただろ」
平田が痺れを切らし、切るフリで脅すと、藤島は慌てて答えた。
「さ、櫻井だ!」
「サクライ……? って誰だ」
「1組に入った転校生の!」
櫻井詩織。
瑠衣が転校してくる一週間前、つまり皆が進級すると同時に始業式の日に転校してきた子だった。
「ああ……。悪いが、クラス内でいないか?」
「は、はあ……?」
せっかく答えてくれた手前申し訳なく思い、カウントを止める。
藤島も怖くて真剣に頭を巡らせる。
「えー、三ツ矢……かな」
「三ツ矢って……あのぶりっ子か」
平田は押し当てていたペンチから藤島を解放し、次の段階に移った。
「ありがとう。じゃその三ツ矢って子に嫌われたくないよな」
藤島は訳が分からず曖昧に頷く。
「俺が君に求めるのは、クラス内の人間事情だ。誰と誰が仲が良いとか、誰が何をやらかしたとか、どんな様子か逐一報告してほしい」
「ど、どうして……」
「余計なことは気にしなくていい。とにかく理由があって俺は担任になった3組の人間関係を把握したい」
「それと俺が好きな子にどういう……」
「もし君が俺を欺こうとして何かしでかしたり、あるいは逆らったりしたら、最悪のタイミングで持ち物検査を実施する」
「え?」
「俺は手が器用だから、君のカバンから三ツ矢のリコーダーを発見したりしてみせる」
「そ、そんな……」
「もしの話だ。社会的に死にたくはないよな? それにタダでやってくれとは言わない。今回手荒いマネもしたし見合うご褒美は用意するつもりだ」
「はあ……サングラスを掛けてるか訊いただけでこんな……」
「そうだな、人には訊いて良いことと悪いことがある。例えば女子のウィッグとおっさんのヅラが同じ用途なわけあるか? 普通訊かないだろ」
「それとこれとは。あ、あと、さっき思ったんだけど」
「なんだ」
「あざとかわいいとぶりっ子は違うと思うんだ」
「……そうなのか?」
「三ツ矢はぶりっ子じゃない」
「……うん、分かった。気をつける」
「これも一つの大事な情報だろ?」
「ああ、そうだな。……勘違いしないでほしいんだが、別に訊かれたことは怒ってない。君が使える奴だと思って呼び出した。君は、クラスの上位の人間なんだろ?」
「まあ、多分?」
「じゃあ転校生が来る一週間後にまた頼んだ。それで、サングラスの理由は……」
平田は掛けていたのを外しながら、目を見開いて藤島の顔に近づけた。
「右目が義眼なんだ」
*
放課後、入った3階のトイレで偶然瑠衣と出くわした葉菜子。
水を出し、手を濯ぎかけた時、鏡越しに3番目の個室を開けようとする瑠衣の姿に目がいった。
「あ、そこは……」
まずい! と思い老婆心でつい注意の声が出た。
手を止めて振り向く瑠衣。
「何?」
眉間に皺を寄せ、露骨に鬱陶しげな態度を取った。
「あ、いや、そこは、幽霊が出るっていう危ない場所だから……」
まさかの反応に葉菜子は狼狽えた。
「……だから?」
「あ、入んない方がいいかなって」
すると瑠衣は、いかにも怠そうに大きく溜め息を吐き、開きかけた戸を強く閉め、舌打ちをして出て行った。
……え、なんで?
呆気にとられて出しっ放しになっていた蛇口を締める。
分からなかった。他の皆には、自分よりも下位の男子たちにだって明るく振舞っていたというのに。
──あたし、何か悪いこと言った……?
そうして自分も帰らなきゃと出口に足を向けたところ、バタン! と急にドアが閉じられた。
え……何? 瑠衣なの?
「ねえ開けて、開けてよ」
葉菜子はドアを叩いたり、ノブを回したりして必死でドアを開けようと試みる。
「ねえ! 一ノ瀬さんなんでしょ? 開けてよ! なんでこんなことするの?」
どれだけ力を込めても開かず、一旦手を離した。息を整える。
ドアの窓は磨りガラスで向こうがよく見えない。とはいえ人影すらも見えない……そう思った時、四角い窓を下方から埋め尽くすように黒々とした影がせり上がってきた。
溢れた墨汁を思わす黒だが、よく見れば押し付けられた剛毛な髪の毛の繊維を認識することが出来た。
いやいやいや、ちょっと待って……あたし何にも悪いことしてないのに。
葉菜子は悪霊が自分を襲ってきたのだと思った。
いよいよ窓は髪の毛で覆い尽くされ、もうダメだと絶望した。
後ろに下がろうとして腰が抜け、その場にへたり込む。
窓の闇も追うように下がり、途端、ノブがガチャッとゆっくり回転する。
鈍く、ギィーッと嫌な音を立てて、ドアが細く開いた。
息を呑み、見開いた目を離せずにグッと凝らす。
影が現れ、髪の隙間から目を出し、指を一本ずつドアに掛け、その勢いでついに、ようやくドアが開かれた。
声を出そうにも出せず、大きく息を吐き出す葉菜子。
そこに現れたのは鬼の形相をした老婆の姿だった。
「邪魔だよ」
しわがれた声で、そこをどくようシッと手を払う。
遠くから下りてきた山姥にも見えた。
「え……?」
「ほら、掃除するから」
「あ……」
三池崇子。雇われの掃除屋。見ると不幸になる──。
ああ、本当に居るんだ、“魔女”って。
「綺麗にしないとね。繋がってるから」
繋がってる……?
*
翌日、校長が遺体で発見された。死因は転落死。現場は新校舎が密接し、陽の当たらなくなった裏庭。3階のトイレから見下ろして直ぐの場所だった。遺書の類は見つかっておらず──。