勇気の灯を
「ん…」
「おお、ようやく目が覚めたか」
「ん…?…う、うおああああ?!……っ!」
橙野火翔が目を覚ますと、目の前に見知らぬ男の顔があった。
「…ったく、怪我人が起きて早々んなに動くんじゃねえよ。ってか、人の顔見てそんな避けるとか失礼」
「…お、お前誰だよ!」
「誰って、医者だけど」
「医者?! 嘘だろ!」
「あのなあ、いくら俺様が若くて超絶かっこいいからって、疑うんじゃねえよ。まったく、こんな生意気な患者初めてだわ」
確かに医者と呼ぶにはいささか相応しくない、茶髪で派手な印象を与える若い男は、呆れたように頭を掻く。火翔は白いベッドの端に寄り、男を疑わしそうに睨みつけていた。
「失礼します。…あら、火翔!目が覚めたのですね!」
と、そこへ制服を着た女子高生が入ってきた。火翔の高校での同級生である、黄緑寺風薫だ。
「風薫…?この状況は一体…」
「火翔は…その、詳しくはまたお話しますが、お分かりの通り、大怪我を負って気を失っておりましたの。それで、緊急のことでしたので、我が黄緑寺家が所有するこの病院に運ばせていただきました。そして、治療にあたってくださったのが…」
「この若き天才医師、藤岡夏希様ってわけだ。納得したか?生意気娘」
「……」
火翔は彼が本物の医者であることは理解したようであるものの、相変わらず警戒の態度を解こうとしない。風薫は不安そうに二人を交互に見ながら、遠慮がちに言った。
「勝手なことをして申し訳ありません、火翔…。ですが、藤岡先生は信頼できるお医者様ですわ。これは保障できます」
「…まあ…風薫が謝ることじゃないけど…」
「…ありがとうございます。では…私この後学校で生徒会の会議がありますので、そろそろ…」
「!あ、ああ…。わざわざ来てくれて、ありがとうな」
「また来ますわ。お大事に。それでは…」
風薫は最後にもう一度だけ二人を振り返り、申し訳なさそうに病室を後にした。
「さってっと。いつまでそうしてるつもりだ?ちょっと傷の具合見るから…」
「な…?く、来るな!」
「はあ?もうお前何なの。俺何かお前の気に障るようなことしたわけ?むしろ感謝されてもいいよな?」
「いいから近づくな!」
患者の一貫した強情な様子に、医師はすっかり困り果てていた。
「本当何なんだよお前…。…あ、もしかして男が怖いとか?」
「…!」
藤岡医師がふっと漏らした言葉に、火翔の表情が凍り付く。それを見た医師は納得したようににやりとしながら数回頷いた。
「はっはーん。なるほどね。何、トラウマでもあるわけ?」
「うるせえ、黙れ!」
「はいはい、悪い悪い。でもまあここ病院だからそんなでかい声出すなって」
「……っ」
「じゃあ今回は女の看護師さん呼んでやるけど、お前の担当俺だから、また様子見に来るからな」
「いい!ってかむしろ退院させろ!もう動け…っ!」
「ったく、無理してんじゃねえよバカが。お前寮暮らしなんだろ?家もそんな近くないらしいし、もうしばらくはここで療養しな」
「……」
「じゃあまた来るからな。次はそのクソ生意気な態度、もうちょっとどうにかしろよ!」
そう言い残し、医師は火翔の病室から出て行った。
――――――
「…おい、お前いい加減にしろよ…」
あれから三日。医師は何度か火翔の病室を訪れたものの、依然として患者の態度は変わらない。
「あのさあ、俺思うんだけど、そういう態度自意識過剰なんじゃね?」
「お前には言われたくない」
「俺は過剰じゃなくて本当にかっこいいからいいんだよ。ってか、お前だって俺ほどじゃないにしろ見た目男前の部類じゃねえか。何をそんなにびびってるわけ?」
「……やっぱり、お前もそうか」
「ん?」
医師の言葉に、火翔は少し悲しげに漏らした。そして、ふっと嘲るように笑う。
「男ってやつは外見だけで人を判断しやがる。中身なんて見ようとしない。外面だけ見て、そして…。……だから男は嫌いなんだ」
「…なるほど、な」
「分かったらとっとと出て行ってくれないか」
「そう早まるなって。まあじゃあさっきの言葉は謝ってやるよ。でもさあ、ちょっと言いたいんだけど、お前自分が軽蔑してる男と同じことしてるって分かってる?」
「何だと…?」
「だってそうだろ?相手が『男』ってだけでろくでもない奴だと決めつけてやがる。お前だって人の中身全然見てねえじゃねえか。お前、俺様がちゃんと気使ってお前にほとんど近づいてないの気が付いてる?」
「…!」
医師の言葉に驚きを隠せない火翔。返す言葉を見失っている少女に、医師はさらに続けた。
「こんな簡単なことにも気が付かず、一方的に男を悪役にして自分は悲劇のヒロイン面して。それって楽しい?」
「う…るせえ…!」
「おいおい逆切れかよ。俺はお前のために言ってやってるんだぜ?これからの人生、ずっと男と接触せずにいるつもりか?社会出れねえぞ?」
「うるさい!お前に何が分かる!」
「何も分かんねえよ?分かるわけねえじゃん。お前中身見て欲しそうに言うわりに全然見せようとしないし。たださ、辛いことがあったからって、ずっとそれに固執してるのってどうかと思うわけよ。過去にしがみつくばっかしないで、ちょっとは意識変える努力すれば?周りがみんな傷口に触れないように甘やかしてくれると思ったら大間違いだぜお嬢さん?」
「……うるさいうるさいうるさい!!」
火翔はもはや医師を直視できないのか、ぎゅっと目を瞑って叫んだ。しばしの沈黙が病室を包む。
「……ここ、病院」
「…!」
大きなため息の後、医師がボソリと言う。これまでとは違う、重くて暗い言い方で。
「あっそ。あーはいはいすいませんでした。…もういいわ。お望み通りもう関わらねえよ。怪我もマシになってるみたいだし?とっとと退院して女の園に引きこもってれば?…じゃ、担当変えてもらうから。お大事に」
「あ…」
たっぷりと皮肉を込めた言葉を残し、医師は火翔の病室から去って行った。最後に少女に向けた視線は、鋭く冷たいものだった。
――――――
火翔は一人きりになった病室のベッドの上で、思いを巡らせていた。自分を縛り付けてやまない、あの「過去」。
中学生だったあの頃、自分は髪を長く伸ばしていた。「俺」という一人称含む話し方、優れた身体能力、服装等の趣味…。すべてが男らしい中、髪の長さは自分が「女」であることを証明するためのものだった。でも、そのせいで…。
「見た目だけは美人」。そんな風なことを言いながら、多くの男達が襲い掛かってきた。不敵な笑みを浮かべて。…怖かった。力の限り走って、それでも捕まって。力の限り暴れて、それでも対抗しきれなくて。
…もしあの時、偶然警察官が通りかかってくれなかったらどうなっていた?…そんなこと、想像することさえ恐ろしくて。
あんな恐怖を味わうかもしれないなら、いっそのこと、「女」らしさなんていらない。「男」になんて、近づかない!!…そうして、髪を短く切り、女子校に編入した。それが、今の俺。
…じゃあ…なんで髪を伸ばしてた?男らしく振舞うことが好きな自分が、なぜ「女」であることを示す必要があった?
それは…それは、男らしい「女」である自分に、誇りを持っていたから。そんな自分が、好きだったから。そして…自分が好きな自分を、「女」として求めてくれる誰かに出会いたかったからじゃなかったのか…?その思いすら、今の自分からは消えてしまった?
「…俺…本当何なんだろうな」
そこまで考えると、火翔はじっとしていられなくなり、傷がまだ完全に癒えていない身体を引きずりながら、病室を出た。今更かもしれない。何を言いたいのかなんて分からない。それでも今、あいつと話がしたい。そんな思いで。
しばらく歩き回り、最終的に彼を見つけたのは屋上だった。手摺に寄りかかってこちらに背を向けている。火翔はしばらくその姿を見ていたが、勇気を振り絞ってその背中に声を投げかけた。
「…っ、先生!」
反応はない。しかし火翔は、そのまま言葉を続けた。
「…その…さ、上手く、言えねえんだけど、その…。…俺、自分に非があるとか認めたくなくて、あんたに反発ばっかして…。でも、本当は、心のどこかでは、俺、自分が間違ってるって言われるの、待ってたんだ。もう、男に怯えなくていいって…。完全にはそりゃ、無理だけどさ、でも、俺だって、一歩踏み出したかった。けど、過去にあんなことあったのに、男を求めるとか、そんなことしていいのかとか、思っちゃって…。…あーもー何言ってるんだろ、俺…。…とにかく!俺がずっとあんな態度とってたのに、俺のこと思っていろいろ言ってくれたの嬉しかった。だから、その…。…ありがとう、ございまし、た」
「……」
相変わらず医師は振り返らず、何の反応も示さない。しばらくの沈黙の後、火翔がその場から黙って立ち去ろうとした時だった。
「…俺さ、友達みたいな恋人ってのに憧れてたんだよね」
「…は?」
背中を向けたままの医師の唐突な言葉に、火翔は足を止める。
「だから…さ、」
医師がくるりとこちらを向く。そして、微笑みを浮かべて優しい口調で言った。
「お前のこと、いいなって思ったんだよね」
「な…?!」
目を丸くする火翔。医師は楽しそうに笑った。
「いやあ、ようやく俺様のありがたみが分かったか!おっせーんだよ生意気娘が!」
「…お前、下心あったのか…?」
「おいおい、ようやく『先生』って呼んでくれたと思いきや、また『お前』呼ばわりかよ。ま、これからは『夏希』って呼んでくれてもいいけどな!」
「おい、質問に答えろ」
「あ?ああ、そればっかじゃねえよ?俺紳士だし。まあでも、一歩踏み出す相手として、これほどいい男いないと思うけどどうだ?…火翔」
「……」
すっかり夏希のペースで、火翔は何も返せない。そのまま戻ろうと出入り口に向かいかけて、傷の痛みにバランスを崩す。
「っ!」
「おい!…っ」
夏希は少女に駆け寄ろうとするも、その場で踏みとどまる。しばらくその場でうずくまっていた火翔だが、やがてぼそりと言った。
「…手、貸してくれないか…?……夏希」
「!……ああ。しょうがねえな」
夏希がゆっくりと火翔に近づいていく。
…大丈夫だ。こいつのこと、正直よく、分かってないけど。でも、俺が分かろうとしないと、何も変わらないよな?自分のことだけ一方的に分かってもらおうなんて、そんなの贅沢だ。だから…。
火翔は夏希に向かって、手を伸ばした。