女達の迷家 その1
お待たせいたしました!
第二章「女達の迷家」連載開始いたします。
ちなみに章タイトルは「おんなたちのまよいが」と読みます。
前回カフェの店員だった那子ですが、色々あって葵とペアを組むことになりました。
その業務の一環としていくことになったのは、箱根にある曰く付きの廃屋敷で……?というお話になる予定です。
お楽しみいただければ幸いです。
「縊鬼って知ってる?」
いつもニコニコとした笑みを絶やさないように見えるが、メガネの奥の瞳は冷え冷えの青柳流支部長にそう告げられて、嫌な予感に思わず天井を仰ぎ見たわたしは悪くないと思う。
「ようこそ。内閣府直属怪異調査対策室東京支部へ」
そう言って扉を開いた葵さんに促されるよう部屋に入って、わたしは少しだけほっとした。
扉の開かれた先の光景はどこにでもありそうな、ドラマとかでもよく見る普通の企業のオフィスみたいだったからだ。
……まぁ、窓が無いのが気になったけど。
ほら、胡散臭い葵さんが所属する組織だし、国の省庁が入居してるビルの地下にいわくありげにあるんだから仕方ない。
もっとこう……おどろおどろしい感じだったり、逆にロボットアニメに出てきそうなモニタがいっぱい並んだ変に機械的な部屋を想像していたから。
普通である意味ほっとした。
まぁ……その安堵は裏切られるんだけど。
扉をくぐると室内にいた人の視線がわたしに集中した。
それは決して悪意あるものじゃなかったけど、どこかこちらを探るようなもので、ちょっとソワソワする。
「こんにちは。君が……葵くんが言ってた人かな?」
そう言って現れたのはすらりとした長身の男性だった。
艶々とした銀髪を片方の肩に流して緩く結んでいる。
普通の男性がしたら微妙になりそうな髪型だけど、長躯に合ったスーツと細い銀縁のメガネと……メガネの奥の新緑のような瞳を持つ目の前の美丈夫にはよく似合っていた。
口元はにこやかに笑みを刷いてるけど、新緑の瞳はこちらを探るような色を乗せていて。
バクバクと鼓動が早くなる。
だけど……。
男性が一歩一歩近づいてくる毎に強くなる森の薫りが……。
妙に心を落ち着ける。
その人がカツリと革靴の踵を鳴らして目の前で立ち止まると同時に、ふわりと森林の中にいるような錯覚を覚える程に。
癒される香りにうっとりとしていると、ふっとわたしの腰に葵さんの手が触れた。
その手に促されるように慌てて頭を下げる。
「は、初めまして! 楠木那子と申します! どうぞよろしく……うひゃあぁぁぁぁぁ!!!」
「ど、どした?! 那子?!」
顔を上げて目の前の美丈夫に視線を戻した瞬間、悲鳴を上げてしまう。
ついでに身体のバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
そんなわたしをがっしりと支えてくれたのは……もちろん隣にいた葵さんで……。
「ひゃぁぁぁぁぁ!? って、葵さん?! 触んないでっ!!」
「おまっ! 倒れそうになったのを支えてる俺にそんなこと言う?!」
「だ!? だって!! 視えちゃうっ! 葵さんが触ってると視えるぅぅぅ!!」
最早パニックだ。
だって……葵さんに触れられているわたしの目に映るのは……。
長身の美丈夫なんかじゃない。
そこにいたのは……。
天井を突き破りそうに大きな……。
蒼い鱗の龍だったんだから。
「ひえぇぇぇぇぇ!!」
ぐぐっと巨大な龍の顔が近づいてきて、わたしの顔を覗き込む。
長い龍のヒゲが、目の前でふよふよと揺れている。
「ほぅ? どうやら葵くんが触れると『視える』というのは本当のようですね」
大きな顔が上下に揺れて、巻き起こった風でわたしの髪がふわりと舞い上がる……ような気がした。
「……那子? 何が見えてるんだ?」
訝し気に問いかける葵さん。
という事は、葵さんはこの人の正体を知らないの?
「り、りゅ……ひぃぃぃぃ!!」
目の前の存在を告げようとした瞬間、がぱりとその咢が開いた。
わたしなんか一口で呑み込まれそうな大きさに、鋭利なナイフが並んでいるような歯列に、いっそ気絶したくなる。
とりあえず正体をばらすなということだと理解して、龍に向かって高速で頷きを返す。
ふんと鼻息を一つ吐かれた後、龍の顔は遠ざかっていった。
「……葵くん。とりあえず那子さんとちゃんと話したいので、那子さんから手を離してください」
「え? あ……はぁ」
わたしと龍のやり取りをきょとんとした顔で見ていた葵さんが、わたしの腰を支えていた手を離す。
途端、目の前の蒼い龍は、長躯の男性へと姿を変えた。
「そこまであからさまにほっとしなくても」
大きく息を吐いたのを見られたのか、目の前の美丈夫(正体は龍)が思わずといった苦笑を溢していた。
いやでも考えてもみて欲しい。予告なしで目の前に巨大な龍が現れたら……命の危険を感じても仕方ない。
さて、と目の前の男性が口を開く。
「ようこそ。那子さん。内閣府直属怪異調査対策室東京支部へ。私はこの東京支部の支部長を任されている青柳と申します」
にこやかに微笑まれ、握手を求めるかのように手を伸ばされる。
恐る恐るその手を握れば、確かに人の手の感触と、ふわりと森の薫りが漂った。
「でも……本当に葵くんが触れると視えるようになるんだねぇ」
不思議だね?
ぶわりと香りが強くなって、新緑の瞳がわたしの目を覗き込む。
その近すぎる距離に思わず後ずさってしまい……。
「ひぇっ!?」
わたしの後ろに立っていた葵さんにぶつかってしまう。
その瞬間、目の前には巨大な龍の顔。
……そろそろわたしは気絶しても許されると思う。
「さて……。楠木那子……さん?」
「……ひゃい」
ふんわりと森の香りが漂う小さな会議室で、わたしは青柳支部長と向かい合って座っていた。
あの後、葵さんが近くにいて、うっかり触れてしまうとわたしの精神が持たない……と言うのを口実に、青柳支部長と面談という形で葵さんと引き離されたのだ。
まぁ、いい年の大人なので? べ、別に見知った葵さんがいなくとも? なんとか……
「で?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
上擦ったわたしの言葉に、目の前のイケメンがくすりと笑みを零す。
「そんなに怯えないで。すまないね。葵くんから『視える』とは聞いていたんだけど、私の正体を認識できるほど視えるとは思ってなくてね」
ふふっと笑う目の前のこのお方は、恐らくこの間の事件で遭遇したのとはレベルが違う存在なのだろう。
「……あのっ!」
「何かな?」
わたしの言葉にコテリと首を傾げると、さらりと綺麗な銀髪が揺れる。
「あのっ……支部長は一体……? 森の中のような香りと何か関係が……」
あるんですか? と訊ねて失敗したと気づいた時には後の祭りで。
先程まで穏やかに微笑んでいた目の前のイケメンは、メガネの奥の瞳を光らせて、不穏に口角を上げていた。
「ぴゅ!」
「……そう言えば、そもそも霊や霊障の臭いを嗅ぎ分ける能力が事の発端でしたっけ。
私から森の匂いが……。なるほど? それは私が司る属性に由来するものですね。
改めて、私は天の四方のうち東を司る霊獣、青龍です」
以後お見知りおきを。と言われて、何と答えるのが正解なのか。
はぁどうもという日本人ポイ返事をするのに精いっぱいだ。
いや、普通に考えて無理でしょ。
目の前に神様の親戚のような、伝説の存在がいるんだから。
漫画や小説ではよく出てくる設定だけど、現実に、目の前に現れるのは想定外だ。
「青龍たる私は、緑を、木を司りますからね。恐らくそれ故に森の匂いがするのでしょう」
「え? 青龍……様は水じゃないんですか?」
呼び捨てしそうになって慌てて敬称をつけたりしながら疑問を訊ねると、にこやかな微笑みが返ってきた。
「龍である事と、青が付くことで良く間違われるのですが、我々霊獣で水を司るのは玄武なんですよ」
玄武玄武とマニアックな記憶を掘り出す。
「……あ、亀……」
「それは本人に言わないで上げてください」
……どうやら玄武様は亀ではないらしい。
「……それにしても、良き鼻をお持ちですねぇ」
本当に……と青龍様が愉快そうに目を眇めた。
だけど……。
「この嗅覚でよかったことなど……一つもありません」
「……そうですか?」
今までの人生を思えば、この嗅覚が役に立ったことなんて……。
「だったら、ぜひとも我々と共に来て、その嗅覚を、その目を活用してください」
きっぱりと言い切られ、思わず困惑する。
そもそもここは……なんなんだ?
「あの……そもそもここは……?」
なんなんですか? と続けたわたしにきょとりと青龍様が目を瞬かせた。
「あれ? 葵くんから聞いてませんか?」
「あやし……んんっ! 特殊な国の機関だとしか……」
あと、幽霊とか退治する役目があったり、急遽一介のカフェの周りに、偽工事の設定でバリケード築ける程の権力を持ってたりとかしか知りません。
わたしの言葉に、今度はふふっと愉快そうに青龍様が目を眇めた。
「まぁ、大体合っているのですが……。
そうですね、まずここは内閣府直属怪異調査対策室東京支部と言いましたが、東京支部というからには本部があります」
少々長くなりますが……。と前置きして告げられた話は、俄には信じがたい内容だった。
日本の歴史に深く関わっていた陰陽という考え方は、遥か平安の時代より陰陽寮という形で公の、国の組織として存在していた。
だが、明治時代の近代化の波に押されて、公には陰陽寮という存在は消滅した……とされていたが。
近代化によって人のライフスタイルが変わったとはいえ、いや変わったからこそ昔から存在したいわゆるあやかしとか霊とかの存在が無くなる訳もなく。
人知れず陰陽寮の機能、特に普通の人の手に負えない部分を担っていた組織は残されていたらしい。
それが『内閣府直属怪異調査対策室』だそうだ。
因みに本部は京都にあるらしい。
由緒正しい陰陽師はやはり京都に所縁があるからだろうか……とぼんやりと考えてしまっても致し方ないと思う。
「とまぁ、そういう訳で。我々は人々に害をなす、人々の手におえない存在をどうにかしている組織です。
お察しいただけるかと思いますが、まぁこんな業務内容ですので採用するのにも色々条件があって、万年人手不足なのですよ。
なので……那子さんのような方を採用できるというのはこちらとしても大変助かりまして……」
にんまり口角を上げる青龍様。
但しメガネの向こうの緑眼は不穏にキラキラしている。
「あ、あの……わたしも只人ですので……。荷が重い……か……と」
あ。失敗した。
「我々としてもねぇ。祓う能力は絶品、式神の能力も最高峰。ただ一点よく『視えない』だけで、敵に手こずる葵くんを見ていると思うところあるわけですよ。
業務を任せると、きっちり終わらせてくれるのですが、だいたいどこかしら怪我をしてますからねぇ。
ですが……『視える』那子さんがいれば……葵くんの怪我も減ると思うんですよねぇ」
「ぐぅ……」
確かに葵さんが不必要な怪我を負うのは、わたしとしても痛々しくて見ていられない。
だけど……。
「ですが……「うち、特殊とはいえ国家公務員扱いですからお給料いい方だと思うんですよねぇ」 うぐぅ……」
「業務が業務ですから危険手当とかも付きますし……。そう言えば那子さん、今無職になって住むところがなくて葵くんの家に居候されているんでしたっけ?」
にんまり微笑む目の前のお綺麗な顔がなんだか腹立たしい。
「……家主が怪我をするのは……居候としても辛い……ですよね?」
「んぐぅ……」
ちらりと隣の部屋にいるであろう葵さんのことを思い出す。
変な事態に巻き込んでくれたが、助けてくれたのもまた事実で。
最初に出会った時、葵さんには死の臭いがまとわりついていた。
それが『視えない』ことが原因であるならば、『視える』わたしがいれば……。
葵さんにあの死臭がまとわりつくことも減るのだろうか。
そう思い至ってしまえば……もう駄目だった。
くっそ全部葵さんがイケメンなのが悪いっ!
見当違いな八つ当たりをしつつ、ふうとため息を吐く。
そして……。
ぐっと目の前の緑眼を見返して、口を開く。
「……よろしくお願いいたします」
こうしてわたしは、内閣府直属怪異調査対策室東京支部の一員になり、葵さんの『目』としてバディを組むことになったのだった。
そして話は冒頭に戻る。