シシャの行進 その4
「はぁぁぁぁ??」
「これ、妙齢の女子がそうそう阿呆面を晒すでない」
「いやだってこれ……」
雪に指摘されて、慌ててポカンと開いていた口を閉じるも、まだまだ驚きは止まらない。
つい一昨日までフツーに営業していた筈のカフェが、わたしの職場であるカフェが、そのお店がテナントとして入ってる筈の場所が、工事中と言わんばかりのフェンス(しかもあの中が見えないやつ)、に覆われていたらアホ面にだってなるってものだ。
近づいてよくよく見てみると、フェンスに貼り紙がされていた。
『ガス供給管工事の為、ご迷惑をおかけいたします』
「はぁぁぁぁ?」
一昨日の段階でガス管工事の話なんて微塵もなかった……と思う。
「対外的には、このビルの中にあるガス管の一部に破損が見つかって、ガス爆発の危険があるという事になっている。
だからこそのこの大仰なフェンスと、このビル内への立ち入り禁止措置ってワケ」
「……誰の指示で?」
わたしの疑問に、葵さんがにやりと笑う。
「俺の職場。就職する?」
「……謹んで遠慮サセテイタダキマス」
一度でも足を踏み入れたら引き返せなくなりそうな、ぞくりと背を走る悪寒を信じてそう告げる。
往生際が悪いのぅと雪が呟いたのは聞こえないふりをする。
「よっし、いくぞ。
中に入ったら……手、離すなよ?」
「手、繋いでたら色々視えちゃうんですが?」
「だからだろう?」
何言ってんだコイツみたいな顔されても、出来ればアレは二度と視たくない類のものなんですが?
「那子がアレらを視て、指示したヤツを雪が祓う。そういう話だっただろう?」
「いやいや?! 霊道の出口を故意に塞いでいる呪物を探すって話でしたよね?!」
ギャンギャン噛みついてみるも、相手にはあまり響かない。
「だから......呪物を探すのにも周りにいる雑多なヤツラをどうにかするのが先だろう?」
「いやいやいや……まぁ」
きょとんと妙に幼い表情で見られて、何だか諦めがついた。
……もしかしたらそれも葵さんの作戦かもしれないけど。
そっと手を伸ばして、葵さんの手に触れる。
……どこか嬉しそうな表情を浮かべた葵さんに、ぎゅっと握り返された事には気づかないふりをしながら。
「いやぁぁぁ! 臭いぃぃぃ!! ここ臭いぃぃ!! お家帰るぅ!!」
いつから店が締め切られていたのか知らないけど、一昨日よりはるかに濃く強くなっている腐臭に思わず葵さんの手を振り払って、反射的に身体が逃げを打つ。
「那子! 元凶がまだ見つかってねぇぞ! ほら!手ぇ繋いでやっから!」
途端、視界を占める数々の異形達。
蠢くソレらを視覚に収めるのは、なかなかの苦行だ。
わたしが指し示した方向へふわりと降り立った雪が大鎌を振うごとに、サクサクとそいつらが消えていくことが唯一の救いだろうか。
「うぅ……っていやぁぁぁ! 左斜め前方から貞〇みたいのが出てくるぅ!!! もうやだぁ!!」
「よしっ! 雪、祓えっ!!」
葵さんの指示で、雪がわたしの指し示した方向に飛んでいく。
ざんっと小気味いい音を立てて、〇子の身体が真っ二つに切り裂かれ、黒い塵のようになって消えていった。
「うむ、これはなかなか良い塩梅じゃのぉ」
満足げに胸を張る巫女服の幼女。手には身の丈以上の大鎌。
の後ろに迫る無駄に手足が長いゾンビみたいな異形達。
「もういやぁ゙ぁぁ!!」
雪の後ろを指差しながら、泣きの悲鳴を上げても、いつの間にか葵さんの両腕がわたしの腰に回されていて、身体にがっちり抱き込まれ、逃亡不可避。
こんなロマンチックじゃないバックハグなんて、マジでいらん!!
「いやぁ! 那子さまさまだなぁ!! こんなに効率がいいとはなぁ」
しばらく叫んでいると、店にひしめいていた異形達は全て雪の大鎌の餌食となり、わたしは(主に精神的な)疲労で、くったりとカフェのソファに身を預けることとなった。
やたらご機嫌な葵さんと雪の、胡散臭い陰陽師コンビを恨めし気に見やる事も忘れない。
「うむ。祓う場所がここまで明確だと、大鎌も振るい甲斐があるというものよ
葵に異形達の攻撃が向かう事もないしのぅ」
雪の言葉に、僅かな引っ掛かりを覚えた。
「……ちょっと待ってください」
「なんだ?」
「なんぞ?」
くるりと振り返ったコンビの視線がわたしに集まる。
「今までのお祓い……お祓い?で、葵さんの身に危険が及ぶことが?」
わたしの疑問に、陰陽師とその人に使役されている式神が顔を見合わせる。
そして……。
「いつもの事じゃの」
「だいたいそうじゃね?」
「なんで?!」
なんでと言われてもなぁ……と顔を見合わせる二人。
「あー、幽霊とか異形とか穢れの類は、普通の状態であれば、此方側に干渉する程ではないんだが、俺らが駆り出されるような現場にいる奴ってのは無駄につえぇからな。
物理的な霊障となってこちらに傷をつけたり、呪ったりしてくるんだよ。
俺らだけだと、黒いモヤみたいにしか視えねぇからな。時折食らったりも……」
葵さんの呑気な台詞に、言い知れないモヤモヤが沸き上がりつつもどこか納得してしまう自分もいて。
「……ウチのカフェにアイスコーヒーを買いに来た日も危ない現場に向かう前だったんじゃないですか?」
葵さんと初めて会ったあの日。
アイスコーヒーを買いに来た葵さんから漂ってきた花の香りと……むせ返るほどの死の臭い。
それはもしかして……。
「ん? ……あぁ、あの日は確かに……なぁ」
「んん? あぁ、葵が油断しおって右腕に霊障を負った日の事かのう?
全治二週間の上、彼のお方にだいぶ絞られておったのう」
何もない空中を眺めて、記憶を攫ったらしい雪の言葉に、思わず眉が下がる。
くるりと二人に背を向けて、ざわざわと、もやもやとする胸の痛みを堪える。
ぐっと眼球の奥が熱くなって、自分でも制御できない感情が溢れそうになる。
「……あー……那子?」
なんとなくわたしの良くない心情を察したのか、葵さんが恐る恐ると言った態で話しかけてきた。
だけど……。
葵さんは葵さんの仕事に誇りを持ってるのだろうし、素人同然、赤の他人のわたしが口出す権利も、そんな立場でもない。
……今のわたし達の関係は、何やら怪しい国家秘密機関(めちゃくちゃ権力ありそう)に所属する陰陽師と、たまたま職場が霊の吹き溜まりになった事によって巻き込まれた一般人にしか過ぎないのだから……。
胸に去来する何とも言えない気持ちを押し殺して、立ち上がる。
「……那子?」
俯いた顔を上げて。
「さて、諸悪の根源である呪物を探しましょう!」
きっぱりとそう告げる。
……今はまだ、これでいい。
そう思い込んで、ココロのどこかにある感情に名を付けるのを後回しにした。
「うー? ここなんか臭い……? 臭いが強い気がします」
異形がいなくなったという意味で視界がすっきりして穢れの悪臭も薄くなった店内を、あちらこちらと動き回る。
そうしていると、店の出入り口から一番遠い、奥まった席から僅かな悪臭が漂っていた。
近づいてみると、一見普通のテーブルと、二人分の椅子が設えてあるだけで、他の席と何ら変わりがないように見える。
「ふぅん? ……特に……何もない……か?」
葵さんがテーブルに常備されているペーパーナプキンホルダーや、宣伝用の三角ポップをひっくり返すも、特に特別な物は見当たらない。
「……葵さん、手いいですか?」
臭いだけでは拉致があかないと、葵さんに手を伸べてみれば、ぎゅっと包み込まれるように握られて……恋人繋ぎにされた。
……くっ! 相変わらず顔のイイ男は距離の詰め方えぐいなっ!
これで何人の女の子をチョロく落としてきたのやらっ!! なんか腹立つなぁ! こんちくしょうめっ!
……何やら訳の分からない八つ当たりにも似た負の感情を持て余しながら、葵さんに触れたことによって視えざるモノが視えるようになった目で、くるりとテーブルの周りを見回す。
「……下?」
黒いモヤのようなモノがじんわりとにじみ出ているのは、目の前のテーブルの下からだった。
「……これは……?」
テーブルの下を覗き込もうとしゃがむと、手を繋いだままだったので、葵さんも同じように隣にしゃがみ込む。
葵さんの目元に彩りを添えている小さなホクロがやたらと視線を引く。
テーブルの下という偶発的にできた閉塞空間で、異性と近接するこの状況が何やら気恥ずかしい。
それを振り払うように一つ頭を振って、テーブルの天板の裏に当たる部分に視線を這わせば、比較的すぐソレは見つかった。
白い紙に黒い墨で筆で書かれたようなソレは、模様のようにも文字のようにも見えて……。
ペタリと貼り付けられたソレに、思わずつないだ手と反対の手を伸ばす。
「っ! 待て! 那子!」
葵さんの制止の声に、ソレに届きそうだった指先がピクリと跳ねた。
「……これは……」
じっとソレを観察する葵さんの、いつになく真剣な表情をぼんやりと眺めていると、コクリと一つ葵さんが頷いた。
「……これは、誰かの手によって偶然に持ち込まれた可能性もある呪物とは訳がちげぇな。
……誰かがわざわざこの店のこの席に来て、わざわざコレを貼ったんだ。……この店に霊や異形といったものを集めて閉じ込めるようにな……」
葵さんの言葉にぞくりと肌が粟立つ。
「いったい、誰がこんなことを……」
葵さんが何やら懐から取り出したお札のような物をその紙に貼り付けると、フヨフヨとそこから漂っていた黒いモヤは、シュルシュルと消えていった。
貼り付けたお札ごと謎の紙を剥がした葵さんの言葉によれば、どこかの誰かが人為的に、この店が、この店に関わる人々が、異形による悪い影響を受けるようにしたという事だ。
この店に恨みがあったのか……愉快犯か……。若しくは……。
どの選択肢を選んだとしても気分のいいものではない。
「……とりあえず報告だなぁ。那子、助かった」
繋いでいた手が解放されて、葵さんが立ち上がる。
視界に映っていた黒いモヤはもう視えなくなったけれども、ぞくぞくとした悪寒は消える事はない。
だからなのか、葵さんと離れた手が寂しくて、心細くて堪らない。
「……ほら」
よほど途方に暮れた顔をしていたのか、葵さんがわたしを立ち上がらせるために手を貸してくれた。
伸ばされた手は、すらりと長い指と、わたしのより大きな掌で構成されていて……。
いつまでもプニプニとして子供っぽいわたしの手を乗せれば、その違いは明らかで、とても頼もしく感じて、なんだか安心できる気がした。