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女達の迷家 その5

「くれぐれもっ! くれぐれも気をつけてねっ!」


 亀田さんに念を押され、むしろ屋敷内探索を変わって欲しいと願ってしまう。


「わかってますよ亀田さん。那子のことは俺にお任せください」


 なんだかきりっとしながらそう宣う葵さんを後目に、内心行きたくないと訴えるわたしがいる。


「よっし。いくぞ、那子」


 そう言って手を伸べる葵さんの顔をじっと見てしまう。


「……那子?」


 首を傾げる葵さんの手をやけになって掴んでも、なんの臭いも感じない庭は静かなままだった。


「っ!? 亀田さん、いってきますっ!!」


 半ばやけになって廃屋敷に向かって足を進める。

 引きずられるような形になった葵さんが、慌ててわたしの横を歩く。


「いってらっしゃい~」


 亀田さんのどこか呑気な声を背に、わたしと葵さんは廃屋敷へと足を踏み入れたのだった。





「ぐぅ……」


 廃屋敷の中を満たしていたのは、むせ返るような腐臭だった。


「那子? 大丈夫か?」


 涙目になりながらも、首を縦に振る。

 いや、全然大丈夫じゃないけど、ここで外に戻ってはそれこそ話が進まない。


「だい……じょぶ……」


 パシパシと目を刺す臭いに涙を滲ませながら、廃屋敷のエントランス部分を見渡すも、不思議なことに霊の姿は見えない。

 あの時代の流行りだったのか、洋風と和風をミックスした洒落た建物は、しっかりと手を入れていれば、今でも和モダンな建物として人気が出そうだ。

 そして……なんとなく見覚えがある。


「……臭いは凄いけど……何もいないね?」


 確認するように葵さんを見上げれば、わたしを何かから庇うように半分抱きしめながら、葵さんも辺りを見回していた。


「……そうだな。……どういうことだ?」


「……わかんない」


「……いくぞ」


 エントランスでとどまっていても仕方ないと、わたし達は屋敷の奥へと足を進めていった。


「……ないな」


「ないね」


 洒落たタイルの張られていたであろう台所、使用人が詰めていたらしい小さな部屋。

 ひび割れた浴槽の置かれた浴室。

 次々と覗き込んでいくも、何も視えない。


 だけど……。


「どんどん臭いがきつくなってく」


 奥へ奥へと向かうほどに、臭いが堪えがたいほどになっていく。

 本来どんな悪臭でもそのうち慣れてしまうはずの嗅覚に、それを上回るスピードで悪臭が叩きつけられる。

 ぐちゃぐちゃと頭の奥まで染み込んできそうな死臭に、ぐらぐらと気分が悪くなっていく。


 そして……。


 廊下に置かれた花台に見覚えがあることに気づいてしまった。


「っ?! 葵さんっ!」


「那子? どうした?」


 葵さんの腕を引いて、半分に割れた花瓶の乗る花台を指差す。


「あれ……夢の中で見た……。あの花瓶の置いてある場所に近い扉の中に……」


 くるりと視線を流せば、ボロボロのはずなのにしっかりと閉ざされた扉が目に入った。

 あの……扉の向こうには、いったい何がいるのだろうか……?


「……開けるぞ」


 葵さんが扉のノブを握り締める。

 ぐっと葵さんの腕に力が入って、ぎぃぃぃと悲鳴のような音を立てながら扉が開いていく。


「……女性の……部屋か?」


 中を覗き込めば、ボロボロのカーテンや当時は珍しかったであろうベッド、繊細な彫刻の施された鏡台に、この部屋の主が女性であることを示していた。

 そして、この部屋をわたしが見るのは初めてじゃなくて……。


「夢で見たのと同じ……」


「……そうか」


 葵さんを見上げれば、いつになく真剣な表情を浮かべていた。


「……ここに……女の人が蹲っていて……」


 部屋の中央まで進んで、女性が蹲っていた辺りに立つ。

 そこには擦り切れた絨毯があるだけで、もちろん女性の姿などない。ある訳がない。


 だけど……。


 そこから臭い立つ強い死の臭いと哀しみの臭いは確かにそこに在って。


「……那子」


 葵さんがわたしの手をぎゅっと握る。

 だけど、わたしの視界に変化はない……?


「……あ……」


「どうした?」


 じわじわと汚泥が染み出すように、擦り切れた絨毯に影が差す。

 それはうねうねと蠢いて、固まって、いつしか女性の姿を形作っていた。


『どうしてどうして……。私のせいじゃない……。顔が……顔が……私の……顔が……。

 あの化け物が……どうして……どうして……あんな化け物に……っ!』


 慟哭しながら、自らの顔を掻きむしる朧げな女性の姿。

 こけた頬に幾筋もの蚯蚓腫れが走り、美しいと言われていたであろう面影は僅かにしか見て取れない。


『どうしてどうしてどうしてどうして……』


 どうしてをひたすら繰り返す憐れな幽霊は、徐々にその輪郭を失くしていき、ふっと消えていった。


「ずいぶんと……顔を気にしてました」


「……そうか。女性の顔、特に鼻の部分が崩れていて、手とか見える部分に赤い発疹が出てる……だっけ?」


「そうです」


 つらつらと上げられる女性の姿に同意を示す。


「後妻は……病死じゃなくて……主人は……失踪……」


 ブツブツと呟く葵さんの様子をぼんやりと見ていたら、突如として背中が騒めいた。

 ぐるりと部屋を見回せば、いつの間にか現れたのか、何人もの女性の姿があった。


 それはさっき蹲っていた女性とは別人で……。


 彼女達は口々に嘆きを零す。


『どうしてどうして……』


『死にたくない死にたくない……』


『気持ち悪いのこっちにこないで……』


『化け物っ! 近づかないでっ!』


『シニタクナイシニタクナイっ!!』


『やめてやめてやめてぇ!!』


『近づかないで近づかないで!』


『バケモノバケモノバケモノッ!!』

 

『やめてくださいやめてくださいっ!!』


『睨まないで! こっち見ないでっ!』

 

『こ……』


「こ?」


 ぴたりと女達の口が止まった……かと思いきや。


『ころさないでころさないでころさないで!!』


『コロサナイデコロサナイデ!』


『シニタクナイシニタクナイ!!』


『いやだいやだいやだ!』


『殺さないでコロサナイデころさないでっ!!』


『いやいやいやいやいやいやいや!!』


『いやぁぁぁぁぁぁ!!!』


『やだぁぁぁぁぁ!!』


『やめてぇぇぇぇぇ!!!』


 ぐわんぐわんと耳鳴りがするほどの絶叫が部屋中を吹き荒れる。

 耳を塞いでみても、頭の中に直接流し込まれるような怨嗟の言葉は途切れることはない。


「や、やめて……」


 頭の中をかき混ぜられるような不快感に気分が悪くなる。

 さらには鼻腔を満たす死の臭いがわたしに襲い掛かる。


「っ?! 那子っ?!」


 傾くわたしの身体を慌てて葵さんが支える。

 クリアになった視界には何人もの女の人が嘆き悲しんでいて……。


 浴衣のような物や着物、少し古風なワンピースを着ている女性が多い中、一人だけ今風の服装をしている女性がいた。

 ゆるく巻いたロングヘアに、シフォン素材っぽいブラウス、太めのデニムにスニーカーは、夏の時期によく見た気がする。

 そして……あの動画が撮られたのも……夏だった。


『かえりたいかえりたいかえりたい……ここは……ここにいたくないの……かえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたい……』


 膝を抱えて蹲る彼女にそっと近づく。


「あの……大丈夫ですか……?」


 思わず声を掛けてしまう。

 届かないかと思いきや、俯いていた彼女は顔を上げた。


 その顔は……。


 二番目の動画で行方不明になったとされている女性の顔だった。


『かえりたいかえりたい……ここはいや……ここはこわい……アイツが……アイツが……』


「あいつ?  あいつって誰ですか?」

 

『ここにいたくないいたくないいたくない……あいつがくるくるくるくる……あいつがあいつが……アイツアイツアイツ……』


 ガチガチと口元をふるわせて、心底怯えている彼女の背中に手を伸ばした瞬間。


「ひっ?!」


 腕を握り締められた。


『ねぇたすけてたすけてたすけてあいつがあいつがあいつがこわいこわいこわいこわい……』


 ぐっと生気の無い顔が近づいてくる。


「ひぃ?!」


『アイツガアイツガアイツアイツアイツアイツ……』


 壊れた機械のようにそれだけ繰り返す彼女。

 じんわりと白目の部分が黒く染まっていく……。


『ねぇかわってかわってかわってかわって……』


 近づいてきた顔がわたしの顔に重なりそうになって……。


『バケモノが……クル……』


(すすぎ)っ!」


 彼女の背後にふわりと現れた小さな影が、ざんと袈裟懸けに刃をふるう。


『あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙』


 真っ二つになった彼女の輪郭がぼやけ、ざらりと塵芥のように消えていく。


 そして部屋は静まり返る。


「……那子、一度出るぞ」


 葵さんの言葉に、わたしはこくりと頷くことしかできなかった。


 

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